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「天子があるのは知っているが(以下略)」

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梅☆
梅☆
「天子があるのは知っているが、朝廷をかさに着、暴威を振るう賊がいるころも知っている」
 ※横山三国志より

曹操が「むむむ」と唸るような、馬超の一言。



全盛期の馬超は、ルックスやセリフや筋肉がイケメンだった。
イケメンじゃない馬超を探すのも難しいほど。



そんな馬超(イケメン)の人生は、順風満帆だったのだろう。

でも少し考えてしまう。

西涼の時の馬超は、親の仇の曹操をあと一歩のところまで追い詰め
『錦馬超』と呼ばれるほど活躍し、ヒャッハーしていた。



でも馬超と言えば、蜀の五虎将として有名だったが、その頃の馬超って何かしたっけ?と。



特に目立った戦果は挙げていなかったと思うが、それでも五虎将と
されていたのは、馬超は人間的(内面)にもイケメンだったんでしょうね。

つまり蜀の馬超は、個人スペックは良く魅力的だが
計略がイマイチなので戦果もイマイチだったと。。。



納得した。

■■バックナンバー■■
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作成日時:2019/10/17 09:08
カテゴリ
雑談・雑感
コメント( 2 )
夜羽
夜羽
2019年10月17日 10時9分

蜀の中で貴重な漢の官位持ちだった……という完全な実利的理由もあったとは思います。
漢の重臣が部下ということで劉備の箔にもなりますしね。

梅☆
梅☆
2019年10月17日 11時7分

夜羽さん>
つまり曹操に敗れて弱った馬超を、劉備が美味しく召し上がったという訳ですねww

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