「あの蒼空、極はいずこであろうのう」
※横山三国志より
魏への侵攻中、五丈原にて孔明がもらした一言。
度重なる魏への侵攻で病を患い寿命を悟る。
あの孔明も病には勝てなかった。
※知力10でも
軍師としては優秀だった孔明。
司馬懿に教えを乞いたいと言わせるほどだった。
一つ思うことは、孔明は病になるほどの
ハードワークだったのでは?と。
※武力2で頑張りすぎた
孔明亡き後の蜀は、姜維が後を継いでいるが
姜維「しか」いなかったような気がする。
※真面な号令持ち
孔明が優秀すぎたために、なんでも一人で
おこなっていたのでは?と。
それにより後任の育成が足りなかったように思える。
もし孔明の後任が、姜維以外にもいたなら、魏(晋)との
争いの結果も変わっていたかもしれない。
そもそも孔明の仕事を分散することが出来たら病に
ならなかったかもしれない。
組織として、ワントップの脆さを再認識する
出来事だったと思った。
ほうとう辺りがもう少し長いしてれば、全然展開は変わった気がする
ほむほむさん>
そうです、龐統や法正あたりが、あと10年20年長生きしていたら
孔明のタスクも分散出来たかも。。。
なんかの文献で見たんですが、法正が長生きしてれば天下三分の図式も変わっていたかもって書いてるのを見たような見てないような…。いかんせん入蜀してからは法正と諸葛亮のツートップみたいな感じでしたね。
啓耀さん>
蜀は良い人材が入るけど、苦労が絶えないせいで早死する人が多いのが残念!
蜀後期は費禕や蔣琬など内政面で優秀な人もいましたが、孔明・魯粛・郭嘉のような先が見える「今後のビジョンを描ける人材」という一番大事なポジションがいなかったんだろうな、という印象です。
おかか容疑者さん>
組織を運営していく上で大事な能力ですね!