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驕り高ぶった天才 馬謖幼常(前編)

by
うさまる
うさまる
「もし、あの時が無かったらどうなっていただろう?」
歴史好きなら一度はifストーリーを妄想するのでは無いでしょうか?

我々横山三国志オタクにとって代表的な事例といえば
「もし、徐庶が魏に行かなければ…」
「もし、龐統が落鳳坡で死んでなかったら…」
といったところでしょうか。

それと並んで考えてしまうのが
「もし、馬謖がやらかしちゃってくれなければ…」


魏延伝を書いた時に3回も名前を挙げた馬謖
今回は彼について語りたいと思います。
 
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馬謖は馬一族五人兄弟の末っ子として生まれます。
秀才だった彼等兄弟には、共通して名前に「常」の文字が入っていたので「馬家の五常」ともてはやされました。

その中でも特に優秀だったのが四男の馬良
馬良は若くして眉毛が白い特徴があったので「白眉最も良し」は後世のことわざとなる程有名になりました。
ですが、その兄は夷陵の戦いで戦死してしまいます。

敗戦から病となり、余命幾ばく無いと悟った劉備は白帝城で諸葛亮に後事を託します。
その時言った遺言の一つが「馬謖は口先だけで信用出来ないから重用するな」でした。
 

そんな馬謖でしたが、人材難となった蜀にとって貴重な人物。
劉備の死後、幕僚に加えられます。
日夜戦術について語り合う諸葛亮馬謖
諸葛亮にとって、頭脳明晰な馬謖は後継の弟子と言える存在となっていました。

その才能が大きく発揮されたのが南蛮遠征。
「城を攻めるは下策。心を攻めるが上策」
馬謖の発言は的を得ており、しぶとかった孟獲達を心服させる事に成功します。
 

国力を上げて後顧の憂いも断った。
ついに諸葛亮は先主劉備の悲願であった漢王室再興を掲げ、北伐に乗り出します。
電光石火の動きに魏国は混乱。
天水、南安、安定の三郡が蜀に降伏します。

諸葛亮は北伐の先陣として馬謖を将軍に命じます。
諸将は魏延、呉懿といった歴戦の猛者を推したのですが、諸葛亮は反対意見を押し切ります。
これから蜀を背負うべき愛弟子に経験を積ませたい思惑もあったのでしょう。
地理に詳しい王平を副将につけて、奪取した街亭の守備に向かわせました。


戦地を一望した馬謖は山頂に陣を構えるよう指示を下します。
それを聞いた部下は慌てます。
「陣は街道に構えるべし。決して山頂に構えてはならない」
それは諸葛亮が禁じていた事だったのです。

当然王平は街道に陣を移すよう何度も諌めますが、馬謖は聞く耳を持ちません。
若い頃から戦場で生きてきた王平は文字の読み書きが出来ませんでした。
そんな王平馬謖は「無能者」と軽んじていたのです。


古来より「戦場では高みを征する者が有なり」と言われてきました。
高い場所であれば敵が何処から来るのか見渡す事ができます。
上から駆け下りる兵は勢いが違いますし、放たれる弓矢や投石の威力や射程は下からとは段違いです。


仮に街亭を守り抜いたとしても諸葛亮の采配による成果。
馬謖は自分の力で戦果を挙げたかった。
それは超える事の出来なかった兄馬良以上の名声を得る為…。
師である諸葛亮も考えつかないような勝ち方をして、自分を未熟者と侮る諸将の鼻を明かしてやりたかった。

それを実現する機会が目の前に来ている!
勝利を確信する馬謖の顔は自信に満ちていました。
 
to be continued…
作成日時:2021/10/16 12:16
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