先日、私の祖父が103歳で亡くなりました。
祖父が生まれた1917年は、第一次世界大戦の
真っ只中であり、ロシア革命が起きた年。
翌年には、本人が記憶していると言う米騒動が
起きた年といった、全世界が動乱期でした。
祖父の学業の成績は、下記の写真の通り大変優秀でした。
しかし、これだけの優秀な成績を修めても、1929年からの世界恐慌からのデフレによる大不況で、父の会社は不渡りを発生。
これにより、祖父は高校を受験はさせてくれたものの、進学を断念せざるを得ませんでした。
もし、進学できたなら、お笑いコンビ・千鳥と同じ高校でしたね。
そして、五一五事件で犬養毅が暗殺された1932年の3月、祖父は叔父が商いをしている韓国・釜山へ行きました。
当時は日本語が使えた日韓併合の時期を考慮する
と、相当貴重な写真ですね。
ちなみに、祖父は自転車を漕ぎ「御用聞き」をしていたそうです。
そして、4年後に帰還してからは、2度の赤札礼状を受け出兵。
南方のニューギニア戦線から帰還した1946年までは、本当に労苦の日々だったと思います。
それから5人の子供を育てた後、書道教室で雅号を取得(龍洞)。
そして、7月1日の朝、梅雨の時期でありながら天気は雲一つもない晴天。
祖父はこの時を待っているかのように、天国へ旅立ったのです。
祖父が生まれた翌年には、5億人が感染したと
されるスペイン風邪が大流行。
そして亡くなった時、新型コロナが大流行している
のは、何かの巡り合わせなんでしょうか?
亡くなる前から心の準備はしてたとは言え、いざ現実に向き合うと、とても辛くて悲しいです。
祖父が長生きしてくれたおかげで、たくさんの思い出が出来たのは、本当に感謝であると同時に、自分は幸せ者だったのかと思う次第です。
ちなみに、祖父が長生き出来た要因は
①酒・タバコを一切出さなかった
②自家製ヨーグルトをよく摂取した
③歯が丈夫だった(歯並びも綺麗だった)
④性格が楽天家
だったのが大きかったと思います。
そして、葬儀を済ませた先週末、ようやく自分の大戦活動が始まったのです。
まずは、大戦NETから厳選武将を登録しました。
すると
といった具合に副将器が3つ並ぶ結果となりました!!
この結果は、天国へ旅立った祖父からの贈り物なのでしょうか?
上記の写真の通り、義兄弟になるまで使う自分に
とっては、すごく嬉しかったです(^ ^)
今verは、騎馬が環境に良いと言えるので、漢鳴
誘導からの迎撃をたくさん狙ってみたいですね。
貴重な資料をありがとうございます。
日韓併合が1910年で写真の昭和3年が1928年ですね。
日本が朝鮮で行った近代化を教科書レベルではなく庶民レベルの資料で垣間見れたのが非常にタメになりました。
生存率7%と謂われるニューギニアから帰還しただけではなく103歳まで生きられたのは奇跡だと思います。
こういう方がいたからこそ今の日本があると思うと、尊敬の念を感じます。
是非おじいさんからの贈り物を大事に使ってあげて下さい。
>野獣先輩24さん
ありがとうございます。
ニューギニア戦線は、そんなに生存率の低い戦地だったんですか。
終戦の3ヶ月前からは、配給される米が1日170グラムまで減らされて、現地食のタピオカも貴重な炭水化物だったそうです。
今後、皇甫嵩を使うなら、余程の無い限りは速3を使います。
すごい貴重なお話が読めてありがたいです🐘
103歳の長寿を全うした波乱万丈な人生でしたな。
揃いの皇甫嵩。大切に使ってください。
>楊狐さん
祖父は正に全う、完全燃焼したと思います。
今回紹介した戦前の話は、祖父の自分史からです。
今後、戦時中の生活に興味を持たれるなら、市販されている(情報統制が全く無いとは言い切れない)書籍より、自分史のような自費出版した書籍の方がむしろ良いですね。