50

酒と三国志【後編】

by
紫苑
紫苑
引き続き、前回と同じく三国志の時代に於いて、酒に関するエピソードを持つ4人を紹介いたします。



■ 諸葛亮

三国志に於ける天下の大軍師・諸葛亮も酒が好きだったかは不明だが、酒に関するエピソードが有る。

諸葛亮が息子の諸葛瞻に宛てた家訓・「誡子書」(かいししょ)には、普段からの日常的な素行や学問への取り組み方等を諭している中で、酒の飲み方に関しても


「酒は交際に欠かせないものだから飲んでもいいが、節度をもって飲みなさい」


と戒めていた。

この辺りは、現代と比べて娯楽の少ない時代にとって、酒は必要不可欠であり、外交や内政の席に於いてはなくてはならないツールだと認識している。
 


■ 張飛

本場中国では、「三国志の中で酒を交わしたい人物」の中で堂々たる1位を獲得している張飛!

三国志演義や(三国志演義を基にした)横山三国志では、劉備や関羽の留守を預かる為、「禁酒の命」を受けていたにもかかわらず酒を飲んでしまった結果、徐州と劉備の妻・甘夫人と徐夫人を呂布に奪われるという大失態をやらかしてしまう。










横山三国志より


そんな張飛を読者は、ドジだけど憎めない人物像と捉えているのでしょう。


しかし、正史『三国志』には、張飛が酒好きだったとか酒を飲む場面は一切描かれていない

これと同様、官渡の戦いで袁紹軍の食糧庫を曹操軍に奇襲された淳于瓊も、三国志演義では酒に浸っている場面を描かれているが、正史では一切描かれていない。

つまり、どちらとも、酒が原因で戦に敗れたという記述はないのだ。







■ 孫権

孫権に関しては、既に燈蝋之斧さんが取り上げておりましたが、こちらでも紹介します。

孫権は、とにかく大の酒好きであると共にアルハラの常習犯として有名!


今回の投稿では、孫権が皇帝になった時の宴会の出来事を取り上げてみます。


 
孫権は、臣下の一人一人に酒を注いで回り、無理やり飲ませるという迷惑っぷり(まさにアルハラ)を全開していた。
 
この時、虞翻は酒を飲みたくなかったので、寝たふりをしていた。





寝てるなら仕方ないと孫権は虞翻に酒を注がずにやり過ごしたが、虞翻が寝たふりをしていたことに気づくと、孫権の怒りは頂点😡
 
 
余が注ぐ酒が飲めないなら、死んでしまえ!


とところま刀を抜くところまで進展💦
 
 
これを見た周りの者達は止めに入り、虞翻は殺されずに済んで一件落着・・・
 

この件がきっかけで、孫権は後に「酒の席でワシが出した命令は無効」という命令が下されたのでした。




■ 孫晧

皇帝に即位した当初は、倉庫を開放して民を施す等を施政した事により、明君であると称えられた孫晧。






しかし次第に粗暴且つ驕慢で執念深く、酒や女色を好む性格へと豹変して民臣を失望させてしまうのです。

宴会を行う際は、参加者を酔いつぶれるまで飲ませるのがお決まり。

宴会中では、10人の監視員が

・ノルマを課せられた酒の量を飲んでいない者
・孫晧に対して不満そうな顔つき及び妄言を吐いた者
・宴会で失態をした者


等を見つけて孫晧に報告すれば、罰を与えひどいものは即座に厳刑を実行した。



このような孫晧の徹底的な粛清の背景には

・皇帝に即位した時は蜀が滅んでいて、天下の趨勢は晋の統一へ進んでいた中、孫晧が自暴自棄になっていた
・孫権の後継者争いで勃発した「二宮の変」で、父親の孫和が太子から幽閉された怨みが根深った

と見るのが有力な定説となっている。


このような孫晧の悪行に対して、家臣たちはすっかり見放してしまい、彼の為に忠誠を誓う者はいなくなり280年、呉は滅亡。



滅亡後、孫晧は洛陽に移り、司馬炎との席で皇帝時代の悪行を後悔したそうだが、それは後の祭り・・・









以上、2回に分けた酒にまつわる三国志の歴史コラムを終わります。

あと稼働終了まで2ヶ月に迫った中、最低一つは歴史投稿したいですね✨

 
更新日時:2025/12/24 23:12
(作成日時:2025/12/24 23:10)
カテゴリ
雑談・雑感
コメント( 2 )
ミロ
ミロ
12月25日 8時3分

張飛ビールとかありましたね。
ライバル酒会社の桃園の誓いシーンで出禁になって孔明になった話、狂おしいほど好きです。

紫苑
紫苑
12月25日 12時46分

ミロさん
張飛をラベルにしたビールが有ったのですかw
酒の席で漫画に描かれている張飛の豪快な飲みっぷりを見れば、酒が進みますよね😀

ミロ
コメントするにはログインが必要です
シェア