年末年始の恒例行事と言えば、忘年会及び新年会!
という訳で、今回は三国志で登場する人物のお酒🍶にまつわるエピソードを紹介して行きます。
その前に先日、X(旧Twitter)で「三国志の中で酒を交わしたい人物」のアンケートを取りました。
結構、票が割れましたが、上記の通り諸葛亮がトップ🏆
私も諸葛亮推しなのですが、普段は冷静沈着な諸葛亮が酔ったらどうなるか興味深いですね✨
それでは本題に入りましょう。
■曹操
乱世の英雄・超生の傑と讃えられた曹操。
政治面・軍事面等、多方面にて活躍した曹操は、酒にまつわる分野でも功績を残している。
曹操が詠った
『短歌行』の冒頭では
【原文】 対酒当歌 人生幾何
【読み】 酒に対しては当(まさ)に歌うべし、人生幾何(いくばく)ぞ
【和訳】 酒を呑んだら歌うしかないだろ!人生なんてどうでも良いわ!
とテンション高めな詩を残している。
この詩で想像通り、宴会では酔うとテンションが上がり、大笑いして杯や樽に頭を突っ込み、酒で頭巾をビチャビチャにしたという逸話が「曹瞞伝」に書かれている。
また、美味しい酒のレシピとして「九醞春酒法(きゅううんしゅんしゅほう)」を献帝に上奏している。
■曹丕
曹丕も父親譲りの愛飲家とされている。
『太平御覧』によると、葡萄酒(ワイン)を好み、「葡萄は醸すと酒となる。善く酔えども醒めやすい。考えると涎(よだれ)が出てしまう」と人に勧めている。
この曹丕なら、いかにもワインが好きそうですね✨
■曹植
曹丕と曹操の後継者争いで争った曹植も、かなりの酒好きで多くのトラブルを起こした。
例えば219年、曹仁が関羽に包囲されると、曹操は曹植に救援を命じたが、曹植は酔っていて動けなかったという失敗談を持っている。
また、千鳥足となって皇帝のみが通行を許される通行してしまった事が有る。
その結果、当然ながら叱責され、後継者争いから後退されたとも言われている。
■徐邈
曹操が食糧難等により禁酒令を出していた時でも、徐邈は呑みまくって泥酔したところを趙達に見つかってしまう。
趙達が詰問すると、徐邈は
「先程、聖人の毒に当たってしまった」
と返答して、趙達はこの返答を曹操に報告。
ここでの聖人とは、清酒の隠語とされていたのですが、曹操からすれば
「徐邈にとっての聖人とは、君主である余のことであろう。
まさか余が毒を盛ったと言うのか!
禁酒令を破って泥酔しておきながら、職務を遂行できなかったのを余のせいだと言っているのか!」
と大激怒!!😡
これを見て鮮于輔(ぜんうほ)は、
「澄んだ清い酒のことを聖人と呼び、濁った汚れた酒のことを賢人と呼び区別しております。
おそらく酔ったためのジョークでしょう。
普段の徐邈(じょばく)は、おとなしく慎み深い性格です。お許しを!」
と命乞いした為、徐邈は罪に問われたものの、死罪は免れた。
三国志大戦の撤退台詞で
「おお〜、聖人の毒が〜」
と言っている意味がこれでわかりますね✨
以上、まだまだ取り上げたい人物が多いので、今回はここまでとします。
後編は、年末の繁忙期で忙しいですけど近日中に・・・