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『個人経営のゲーセンを作る夢の話』第3話

by
四天王FAL
特イベ
特イベ
四天王FAL
第3話は、潰れたゲーセンを買い取って自分の店を立ち上げた店員さんの話から始めましょう。
 
まだ格闘ゲームが人気だった20年前。
ラウンドワンも全国展開していなかったので、まだまだゲームセンターは個人経営店が多かった時代、この頃からメーカー系列店が増え始め、特にセガ系列が多かったですね。
セガは、大型機やプライズ機なども多く手掛けていましたから。
 
まあ、タイトーやナムコ、コナミ、カプコン、SNKなども直営店を持ち、
プライズやプリクラ機など、やはり流行りの機器の自社開発は行ってました。
 
20年前は、ちょうど、格闘ゲーム全盛期から少しブームに陰りが出て来始めた頃、プリクラは逆にブームが来ていて、高画質で大判を刷れる機種が人気に。
ちょうどこの頃位から、ICカードによる戦績の保存をするゲームや、独自の大型筐体が出始めた頃です。
 
具体的に火蓋を切ったのは、今でもある『ダービーオーナーズクラブ』
 
今まで、ゲームは青年、少年層をターゲットにしていたのが、それよりもやや高い世代に狙いをつけた、まさに革新的な筐体でしたが、なにせお値段も高めで、
当時でも1000万円越え。
しかも設置する床面積もかなり広く、大きな店舗で無ければ導入できない為、逆にセガ系列の強みにもなりました。
 
その後もセガからはアバロンの鍵やWCCFなど、大型筐体は同じくお値段も高めだが、斬新で魅力的なものが多く発売。
そしてブームとなる、『三国志大戦』が出る訳ですが、この頃は、カードを使ったゲームが多く出てきて、
データでは無く実物のカードが手に入いり、アイテムとしてコレクションなどの価値のある、新たな分野のファン層の開拓に成功しました。
 
他社からも、ガンダムカードビルダーやドラゴンクロニクル。
そして若年層向けに、ムシキングやラブ&ベリーなどが、最盛期を支えます。
 
この頃は、ネットカフェと言うロケーションも広く全国展開で見るようになり、麻雀格闘倶楽部やMJなど、大型筐体とは異なる、逆にコンパクトな大きさで、設置場所に困らない本格派麻雀ゲームがヒット。
今までゲーセンの麻雀は、脱衣麻雀などのアダルトなものが主流だった流れを完全に断ち切って、スタンダードになりました。
 
 
そう言う時代の流れを機微に読み取れた経営者なら個人店でもギリギリ生き抜けたと思いますが、中々難しい。
 
プライズ専門店や、プリクラ専門店など、大衆性に特化した店舗構えも都市部では増え始め、どの店も均一に新作があると言ったビデオゲーム全盛期から細分化し始めた頃です。
 
 
この頃、知り合いのゲーセン店員Yさんが独立して元々あった店舗を引き継ぐ形で買い取ったも聞いたので、一度訪ねた事があります。
 
JR宇治前の、『ゲームステーション』と言うお店を買い取った形になります。
 
Yさんは、自分が高校生の時に常連だったお店の店員さんで、
今では珍しくないクレーンゲームでのギミック、特に、玉を入れたらゲット、や棒を穴に入れれば景品ゲットなどの仕組みをいち早く自作した方で、後に問屋さんが真似してギミックを作って売ったとも言われてます。
また、有名店ならではの、連射ボタンや、1台に別々の基板を入れて切り替えスイッチで選べるものなども作って、インカムに貢献してました。
 
そう言う、アイデアと技術のある店員さんが、よくあるお店とのこじれで独立と言う形になりました。
 
当時の宇治駅は、まだ木造の柱がホームにあって、トイレも、なんと男性用小便器は無くて、ただ壁があり、それに向かって垂れ流すと下の溝を伝って下水に流れていくと言う、戦前の様な仕様。
個室も汲み取り式でした。
 
まだ、駅前にもほとんどなにも無かったイメージで、県道の広い道だけがあった様な記憶です。
 
その駅前、と言っても商店が何件か並ぶ中にその店はありました。
 
入ると、狭いラーメン屋の様なイメージで、横が5、6メートルほど、奥行き10メートルほどの店舗、中央に格闘ゲームの対戦台が8セットほどと、片側の壁にシングル台が並び、入口手前にビートマニアとクレーンゲームがあるだけのシンプルなお店。
店舗の外にUFOアラカルトと言う爪で吊るしてあるプライズを摺り下げて取る機械とクレーンゲームとがあった。
 
UFOアラカルトには、当時、カラー版が出た為、価値が下がったからか、ワンダースワンも吊るされていた。
1店舗のみなので、プライズ販売業者からも、1ケース丸々売りでは無く、小分けしてアソートで販売するものを仕入れているそうで、他にも独自のルートから、人気のありそうなものを入れている様だ。
 
他にもカウンターで、当時は代理店が多かった携帯電話の加入申し込み代行などもやっていて、携帯のモックが並んでいた。
個人店だからこそ、なんでも出来るのだ。
 
この店が、居抜きで800万円ほどで立ち上げて、
月の売上が500万ほどだったかな、そんな話をしていたと思う。
 
後々、店舗を畳んで別の仕事を始めた
Yさんも、ガンで若くして亡くなり、42歳でこの世を去りました。
 
最後に会った時はガオラのネカフェコーナーにいて、
「おう、ファル、おまえ今、なにやっんねん、は?三国志大戦?リネージュしろリネージュ」
が最後の言葉となりました。
 
個人経営店としては携帯電話の仲介窓口も起こすと言う、二足のわらびを履くかたちでの経営方法ですが、
次はそう言った、複合店舗の話をしようと思います。
 
 
作成日時:2021/02/12 10:32
カテゴリ
雑談・雑感
コメント( 1 )
papachan_292227
papachan_292227
2021年2月12日 14時16分

ガオラ………………
なつかしいですなー

四天王FAL
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