張飛が巴西の太守を務めていた時のお話です。
巴西に有る剣閣(四川省広元市剣閣県)は、成都から関中(長安)まで行く際、必ず通る場所で頻繁に兵馬が往来してました。
この往来の際、悩ませたのが夏の猛暑による疫病でした。
そこで張飛は、諸葛亮の助言をヒントに、剣門(けんもん)から閬中(ろうちゅう)まで柏の植林事業を着手しました。
言い伝えによると
「午前中に植えると、午後には日陰をつくり凉をとった」
と言われるぐらいの驚異的な植林作業をされたようです。
この植林事業は、秦の時代が始めとされ、張飛が2回目の合わせて合計6回行われています。
その規模は、両脇に三百里ほど連なり、総勢およそ8000本の巨木の柏並木。
この巨木道を、一般に
「翠雲楼」と呼ばれています。
なお、楊貴妃がいる唐の時代(4回目)には、ライチを運ぶ為に植林されたそうです。
そして月日が経ち、264年、魏に降伏した劉禅が洛陽への引っ越しを受け、この翠雲楼を通ることになりました。
劉禅は通る道中、雨が降って来たので、ある巨木を雨宿りにしました。
張飛の次男・張紹は、その巨木を
「阿斗柏」と名付け、そこにいた人達の胸をなでおろしたと言われています。
余談になりますが、張紹にこんな逸話があるなら、「長槍の指揮」より回復系の計略の方が相応しいですね。
出すとしたら、自軍の征圧内で回復する内容かな。
そして、劉禅が洛陽であの「
魏はいいところ」発言をした時の事です。
蜀の人達は、劉禅へのヘイト心の余り、かつて劉禅が雨宿りした阿斗柏を切りつけたり、火をつけたと言われています。
それでは、どのような状態になったか見てみましょう。
写真でお分かりのように、右側の「張飛柏」は、無傷と言って良いほどの立派な柏木であるのに対し、
左側の阿斗柏は、無残にも実際にやられた跡が残ってますね・・・
更に、ちょっと角度を変えた阿斗柏がこちらです。
画質が悪いですが、より傷跡の深さが見えるでしょう。
こんな被害を受けても、1800年以上の年月を経ても健在なのは、それだけ立派で丈夫なのでしょうね。
以上となります。
次回も、翠雲楼のある剣閣で有名な歴史遺産を紹介します。
張紹の言ってる「はーちゃん」て阿斗柏の「はく」から取ってるものなんですかねやっぱり。イラストにも木の精…というかホラーモンスターっぽいのがいてますが。
まさかあの計略ってこいつらを槍に宿らせて伸ばしてるんじゃ…
>指鹿為馬はよさん
どうやら、台詞の「はーちゃん」や背景のイラストは、阿斗柏から採ってるぽいですね。
この真相は、大戦広報から定期的に投稿される「今日の武将&色紙紹介」シリーズで解るでしょう。
そして、長槍も日よけに出来ないことは無いですね。