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史実解説ー張嶷・馬忠・張翼についてー

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燈蝋之斧
燈蝋之斧
こんばんは!燈蝋之斧です!

今更ですが、月刊少女野崎くんを読んでハマりました。アレ面白いですね。絵描きあるあるネタやアドベンチャーゲームあるあるとかが、地味に自分に突き刺さって面白いです。

だがしかしやばらかもんと言い、SEGAは私の好きな漫画とコラボしてくれますな。

あ、大戦の方は順調で10連勝達成しました。覇者相手にも勝てたし、14州でも象決死あればやれそうです。

それはさておき、今日は前に予告した通り、張嶷・馬忠・張翼の史実解説をしていきたいと思います! え? 横山三国志で祝融に捕まった奴らの史実解説とか盛り上がらんって? ノンノン、実は彼ら本当は凄い人達なんです。特に張嶷に関しては、個人的に五虎将に引けを取らんのではないかと思ってます。大風呂敷を広げましたが、割とガチです。

蜀贔屓の自分としては、この三人は結構好きです。あ、今回は全体的に良い話が多いので、身構えないで平気です。

この三人は性格面も問題ないのでね。魏延とか楊儀とか法正とか劉巴と違ってね。

では、始めます。

張嶷(字名:伯岐 生没年:???〜254年)
単刀直入に言います。彼、蜀末期屈指の名将です。しかも、忠臣かつ名統治者かつ、人格者で知略も働きます。いや、本当に彼は欠点がないのよ。

個人的な印象は武勇をマイルドにして、知略と内政スキル高めた趙雲。

張嶷は貧家の生まれでしたが、20歳の頃に益州の県の功曹になりました。その際、任地が山賊に襲われ、上司が自身の妻子を捨て逃げる中、山賊から上司の妻を救い出した事で劉備の評価を得て、抜擢されました。

ね? 趙雲ぽいでしょ?

彼の主な功績は、馬忠の副将として南蛮を平定した事が挙げられます。彼は持ち前の武勇を駆使し、従う部族には恩恵を与え、敵対する部族は打ち滅ぼしました。時には部族の長をそのまま解放し、時には偽投降した敵に逆スパイさせたりと知略を使って、荒れまくっていた蜀の南方を15年程平和に統治しました。

異民族にはかなり慕われていた様で、彼が都に戻る際、異民族の民が涙ながらに車に追い縋ったと言われています。あと百人位の部族長が、張嶷に従い朝貢しました。

なんで、魅力持ちじゃないんだ……。

張嶷の最期は254年の北伐での事。病の身を押して、従軍。歩行困難な中、敵将を調略したりと活躍しました。ただ、戦の最中に徐質の軍と戦い討ち取られてしまいます。が、張嶷の部隊は大将が討たれても怯まずに、却って奮起。味方の倍以上の損害を敵に与えた挙句、徐質を討ち取り返します。

最早、薩摩隼人か坂東武者並のメンタル強度と練度。

彼の訃報が南蛮に届くと、南蛮民は皆涙を流し、彼の廟を建て四季や天災時に祀ったと言われてます。

なんで、魅力持ちじゃないんだ……(2回目)。

普通に名将です。演義で過少評価されてるのが解せないくらい。

まあ、演義は諸葛亮贔屓なので張嶷や馬忠の手柄は彼に移管されたんですが。

正直、演義は諸葛亮が超強化された反面、他の蜀将が弱体化してる感。総合的に見たら、正史の方が蜀強い疑惑。

彼は費禕暗殺や諸葛恪失脚を予言していたりと、観察眼にも優れてました。あと、最後の出征前に劉禅に今までのお礼とお別れを告げて、劉禅を泣かせてます。

能力、性格に全く非の打ち所がねぇ!

ちなみに張嶷は、夏侯覇が蜀に来た際にすぐ友達になろうと言う彼にこう言っています。

張嶷「私はあなたの事よく知らないし、あなたも私の事知らないでしょ? 友達ってのは、もっとゆっくりなるものだと私は思うの。だから、三年後にまた同じ事言ってくれたら嬉しいなっ!(超意訳)」

モテる女子ががっつく男を降るみたいな口上。

と、智勇政治魅力忠誠が高いレベルで揃った武将がこの張嶷です。私の好きな蜀将ベスト5に入る武将でもあります。まあ彼は、嫌いになる要素もないですからね。

 
馬忠(字名:徳信 生没年:???〜249年)
旧名は狐篤。夷陵の敗戦後、援軍を率いて永安の劉備に引見しました。その際、劉備は「黄権を失ったが、代わりに狐篤を得た」と彼の人となりを評価しました。

武官人材の発掘に定評のある劉備。

彼の主な功績は、張嶷と同じく南蛮平定。張翼から南蛮の反乱鎮圧を引き継ぎ、張嶷を率いて功を立てます。

彼の人格は度量が広く、寛大で公正。冗談に大笑いはしても、怒りを顔に出すことはなし。また、決断力に富み、従う者には恩恵を与えたため、異民族からは畏敬されていました。だから、彼が死んだ時、張嶷と同様に南蛮の民は涙を流し廟を建て祀ったそうです。

なんで、魅力持ちじゃないんだ(三回目)。

彼の後、張表や閻宇が南蛮統治を引き継ぎました。両者とも結構頑張ったと評価されてますが、やはり人格と功績面では馬忠に及ばなかったそうです。

うん、この人も普通に有能ですね。
末期蜀もまともな人材はいるんだ(o^^o)

というか、内政官は割と良いのよね、蜀。派手な武将がいないだけで。野望値高いのもあんまいないから、魏や呉みたいな内乱起きないのは良いけど。


張翼(字名:伯恭 生没年:???〜264年)
前漢の大功臣、張良の末裔。祖先も漢中王に仕えたし、浪漫を感じる蜀将。劉備の入蜀時、家臣となりました。あの定軍山の戦いでは、趙雲配下として曹操軍相手に活躍してます。

その後は、地方官や北伐要員として活躍。姜維配下のベテラン将軍として、従っています。

南蛮にも彼は赴任しましたが、法に厳格だったために異民族の反発を買い、任地で反乱が起きてしまいました。そのため、彼は中央に召還されてしまいます。

周りの人間は、張翼に早く戻って弁明を行うよう勧めましたが、彼はコレを拒否。後任の馬忠のために戦の準備を整え、万全の引継ぎをしてから、成都に戻りました。このおかげで馬忠は赴任後にすぐ反乱を鎮めることが出来ました。

責任感ある社会人の鑑。李厳とは大違いだね。

諸葛亮はこの話を聞き、却って彼を評価したそうです。良い上司だね、諸葛亮。

その後は姜維に北伐を止めるように進言する等、常識人として史書に出てきます。姜維は北伐に反対する張翼を内心疎みながらも、能力的には必要だったのか北伐の度に彼を従えました。張翼も渋々、これに付き従ったそうです。

ツンデレ張翼。

彼の最期は、姜維と鍾会のクーデター計画に巻き込まれ、魏の武将に殺害されたというもの。なんだかんだで、最期まで姜維と一緒でした。実は仲良かったんじゃない?


……とまあ、こんな感じです。

あ、一応言っておきますが、祝融に捕まった馬忠と張嶷や守将を突き落として劉備に降伏した張翼は演義のフィクション部分です。というか、祝融は正史にいないし。七縦七禽に近いエピソードはあるけど。

蜀末期武将は蜀が滅亡した事もあり、結構過少評価喰らいやすいと思います。姜維や諸葛亮の引き立て役になる事も多いですしね。

でもまあ、劉備が評価した武官人材、諸葛亮が評価した文官人材は有能な人が多い気がします。まあ、劉備が選ぶと魏延や楊儀、李厳、法正みたいな性格に難がある人材がちょいちょい混じるんですがね。劉備は自分しか使えないタイプの人材集め過ぎですわ。

劉備死後に上記人材がやらかす辺り、どんだけ劉備怖かったのか気になりますわ。

次回はどうしようかな? 呉書も届いたし、呉武将解説も面白そうだけど。あ、蜀の外交官と孫権とかのテーマも面白そうなの書けそう。演義だけの架空武将解説とかも三国志初心者の人には需要あるのかな?

まあ、なんか考えてみます笑

長文、失礼しました!

では!
更新日時:2019/04/11 20:30
(作成日時:2019/04/11 20:30)
コメント( 11 )
11件のコメントを全て表示する
燈蝋之斧
燈蝋之斧
2019年4月12日 19時18分

>>うさまるさん
蜀の隠れた名将ですからね! 生き様も立派ですし!
>>けいとさん
いえいえ、いつもありがとうございます!
正直、武官自体はそこまで人材いない訳でもないと思います。国力と中央の権力者の質が悪いのと、戦略面や連携が取れてないのが問題だったかなーと。仮に関羽や張飛いても、上手く使わなきゃ意味無いですからね。
>>gurrifon315さん
演義だと王双強いですからね。趙雲や魏延、姜維未満の蜀末期武将は噛ませ化するという。
知らない人が見ると、馬忠は呉の馬忠とも混同するし紛らわしいですよね笑

燈蝋之斧
燈蝋之斧
2019年4月12日 19時25分

>>新人魔術師さん
陳式以外は確かに当てはまりますな、その傾向。
王平はキチンと立伝されてますよ! 確か馬忠とかと同じ括りですね。
>>金村保坂非道さん
渋い所がお好きですね! 王平が有能なのは馬謖のやらかし知ってる人は大体知ってるので、文章量の兼ね合いもあり削りました。機会有れば書きたいです(^^)
>>ジェイムズ9さん
234年〜263年の蜀はあまり描かれないですからね。実際は曹爽を撃退したり、夏侯覇をFA取得したり色々あるのですが。それなりにネタはある時代なので、誰か漫画で描いて(懇願)

燈蝋之斧
燈蝋之斧
2019年4月12日 19時32分

>>おかか容疑者さん
史実に忠実だと、1.5の魅力槍とかですかね。
張嶷と馬忠ファンは演義だと可哀想ですね……。
>>めがねたぬきさん
当時の人も張嶷の姿勢を評価したそうです。
断りつつも、前向きな振り方してる所に張嶷の魅力を感じますね笑

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