三国志後期に於いて蜀の五虎将(関羽、張飛、趙雲、馬超、黄忠)亡き後、蜀の軍事面を支えた武将は魏延と姜維の存在が欠かせません。
三国志大戦では、共にデッキの軸となるカードを多数有ります。
では、実際のところ、どちらが優秀だったのかを少し掘り下げてみました。
■ 軍事的階級
魏延に与えられた兵権は、非常に控えめなものでした。
219年、劉備が漢中を支配し魏延が漢中の太守に任命された時でも、最大でも二、三万人程度でありました。
対する姜維は、諸葛亮が存命だった頃から精鋭部隊を率いる事が可能でした。
そして費禕の死後、軍権を掌握して基本的に全国の兵力を自由に配分する
大将軍の立場にいました。
魏延の最高役職が
征西大将軍だった事から、軍事的階級の面では当然、姜維が上でした。
しかし、五虎将亡き後の蜀は、魏から降将・
姜維や王平を即将軍に抜擢するなど人材不足が顕著だったので、何とも言えないところでしょうか?
■ 戦績
魏延は諸葛亮からの命令に従っていた為、厳密には独立して攻勢を指揮したことはないがらも、基本的に勝利を収めていました。
対する姜維は、諸葛亮亡き後の北伐を断行。
256年の段谷の戦いで敗戦した(敗戦後、姜維は後将軍に降格)事があっても、魏とはほぼ互角の戦いだったと言われています。
ただ、魏延が第一次北伐で諸葛亮に進言した長安に最も近い
子午谷奇襲が採用され成功したら、姜維より上だったかもしれません。
■ 人格
費禕が使者として呉の孫権と会談した際
「楊儀、魏延は牧童のごとき小人だ。一時的な状況によって聡明と功績が認められたが、諸葛亮がいないなら、必ず災いとなろう。」
と孫権から言われる程、魏延は人格面で難が有ったと言われています。
対する姜維は
「姜維の学びを楽しんで倦まず、清廉で倹約な様は、まさに一世の模範である」
と(出自が不明ながら)評される程、
魏延と比べると姜維に軍配が上がると言って良いでしょう。
三国志大戦での姜維は、諸葛亮と同じく、一枚を除いて魅力が付与されているのも頷けますよね✨
司馬懿司馬炎vs槍文鴦
最初の計略の打ち合いは、司馬師の槍を見せる事で衛瓘の突撃を最低限回避する事に成功。
二回目の打ち合いは、衛氏が迎撃を取られたのは痛いけど、上手く文鴦を包囲してセーフティリードを取れて転身。
終盤の打ち合いは、ここで相手方が連環を併せて文鴦を使って来ましたが、リード差と武力差で圧倒できたのが大きかったですね✨