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タイプ別で見る三国志の軍師

by
紫苑
紫苑
三国志の時代を語る上で、君主を支えた軍師の存在が欠かせません。

軍師は、国家を統治した君主や戦場を駆け巡った将軍と比べて地味な存在ですが、国家の命運を握る役割を果たす重要なポストでした。

しかも、基本は国家を拡大する路線自体は共通していながらも、それぞれの軍師たちが様々な能力を発揮していました。

では、どのような形で能力を発揮したのでしょうか?

そこで今回は、数多くの軍師たちを5つにタイプ別で分類しました。




■ 軍略家  荀彧、程昱、陳羣、司馬懿、魯粛、諸葛亮、沮授

長期的なビジョンで国家の国是・基本方針を策定して、国家の命運を握ったのが軍略家。
いわゆる大局観がものを言う、広義での軍師に当たる。

代表例としては、荀彧や沮授の「献帝擁立」、呉と同盟を締結してから魏と対抗する諸葛亮の「草廬対」(そうろたい)、単独による統一をそのものから否定した魯粛の「天下三分の計」が該当する。



■  名望家  周瑜、程昱、蔡瑁、陳宮

君主が統治した土地で名高い名声・声望を持つ事で政権を安定させる事に貢献したのが名望家。

周瑜や蔡瑁は地方の有力豪族で、特に周瑜は孫策の死後、孫家から独立してもおかしくなかった。

陳宮が兗州(えんしゅう)で曹操の徐州遠征中、張邈らと反逆をして呂布を迎え入れた際、兗州のほとんどが呂布に呼応した。
しかし、同じく兗州で名声を築いていた程昱が、民心の心を揺るがさず、3つの城を留まらせる活躍を果たしている。



■  謀臣  郭嘉、賈詡、荀攸、戯志才、龐統、法正、鄧艾

優れた戦況判断能力を持ち、謀略に基づいて敵を分断して、臨機応変の戦術を考えるのが謀臣(ぼうしん)。
軍略家が広義での軍師に対して、謀臣は狭義での軍師と言える。

郭嘉は孫策の死を予言し、袁氏の滅亡となった河北平定に貢献。

賈詡は張繍に仕えた際、曹操を撃退した経緯が有っても、今後の成り行きを鑑みて曹操に降伏するよう張繍に進言した。



■  諫臣  張昭、諸葛瑾、董允、費禕、田豊、孔融

原理・原則を述べて君主の暴走を諫める役割を果たしたのが諫臣(かんしん)。

張昭は晩年、孫権との不仲が度々顕在化され、田豊と孔融は諫言を繰り返した後、殺害された。

費禕は仲の悪かった魏延と楊儀の仲介役も果たしている。



■  叛臣  郭図、許攸、曹操、司馬懿、鍾会

君主に仕えながら、己の権力・地位を拡大したのが叛臣(ほんしん)。

曹操は献帝、司馬懿は曹氏に仕える事により、己の権力・地位を揺るぎ無いものとした。

曹操は司馬懿を警戒するように曹丕へ伝えたが、曹丕と曹叡が相次いで早逝した為、司馬懿の専横を許す格好となった。




以上、次の番外編を除いて、桃園で最後の歴史投稿を終了致します。

今回も含めて41も有った投稿数に、こんなにたくさん投稿していたのかと思うと感慨深いものが有りますね✨





司馬懿司馬炎vs馬騰韓遂





様々な形でデッキが組み立てられる強みの馬騰韓遂。

今回のお相手は、呼廚泉と主将器が迅速の韓遂の組み合わせです。

お相手は、呼廚泉の長時間に渡る高武力の射撃を加えて、馬騰韓遂で荒らして行くスタイル。

こちらは、呼廚泉の射撃に耐えられるかの兵力を意識しながら我慢して、最初の司馬炎は遊軍が発動する寸前まで耐えられましたね。

最後は内乱で逆転できるか微妙でしたが、際どく勝てました✨

お相手は、覚醒3の司馬炎が来るまでに積極的に仕掛けた方が良かったですね。

 
更新日時:2026/02/17 12:45
(作成日時:2026/02/17 09:05)
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