皆さんは、三国志の主役・勝者を思い浮かべると誰を想像するでしょうか?
様々な武将の名が挙がって難しいでしょうが、大概は曹操と諸葛亮でまとまるかと思います。
この曹操と諸葛亮。
日本の徳川家康と同様、質素もといドケチで法に厳格であった共通点が有ります。
では対して、引き立て役・敗者を思い浮かべると誰を想像するでしょうか?
今回は、私が選んだ三国志の引き立て役を3人を取り上げます。
■ 姜維
諸葛亮の後を追うように、姜維も6度にわたる北伐。
諸葛亮のようなノーリスクを採る戦術をしなかったので、第4次北伐の段谷の戦い(256年)で大敗。
これを契機に、諸葛亮とは異なる内政に関して全くのノータッチしていたツケが回ってきて、姜維は成都に帰還できない程の孤独状態に。
最終的には、蜀の滅亡を許し、更に蜀の再興を鍾会とクーデターを企てるも失敗・殺害といった具合に、亡国の将に相応しい武将となった。
■ 袁紹
名家・袁家の血筋に加え、自身も威風堂々たるスタイルだったので多くの名士・有能な人材が加入。
更に、人口が多くて肥沃な冀州(きしゅう)を地盤にしたのも大きく、公孫瓚を滅亡した時には、勢力最大となる河北四州(冀州・幽州・青州・并州)を制覇。
順調に行けば中華統一ができた。
そして、献帝に代わって皇帝にもなれた。
しかし、袁紹が天下を握ったら、これまでの血筋至上主義の政治体制のままになるからなのか、天が許さなかったのだろうか。
最終的には、優柔不断な性格が災いとなって、数百年に一人の英傑・曹操の前に敗北となる。
■ 劉備
諸葛亮が加入するまでは、各地を転々する流浪の客将。
劉備が皇帝になれたのは、諸葛亮のおかげであると自他共に認めていただろう。
皇帝になれた事自体は良いけど、劉備にとっては、やはりもどかしさが有ったのだろう。
最終的には、皇帝が部下(関羽)の弔いで出陣した中国史上類を見ない合戦、夷陵の戦いで大敗。
その際、患ったとされる赤痢などで223年崩御する。
このように、誰が相応しいのかを考えると、歴史の面白さに気付きますよね(^ ^)
以上で今回の投稿は終わり。
そして、「一ヶ月ほぼ毎日投稿月間」も今日で終わりとなりました。
来月からは、皆さんと同様「気が向いたら」のペースで投稿する予定です。
という訳で、来月もよろしくお願いしますm( )m
諸葛亮に見出されたエピソードで無茶苦茶やっても良い奴印象の姜維さん。それに比べて魏延さん…(´・ω・`)
>炎頭の群れさん
蜀の人材事情を考慮してでも、魏延を生かして欲しかったですよね(-_-;)
2人とも存命なら、天水・隴西を姜維。長安を魏延で進軍してたらどうなっていたのだろうか・・・