いつもは子供達の成長記録を書いてますが、今回は少し思うことがあり、自分の思い出を描きたいと思います。
自分が三国志大戦を始めたのは、三国志大戦3の忠義時代の終わり、漢軍追加の前くらいでした。
仕事の後輩のS君が、ゲーセンでやってるのを見て興味を持ったのが始まりでした。
始めて印象に残っているカードは、槍魏延と槍王平。計略は大車輪戦法です。
当時、攻城エリアに触れると槍が出なくなり、連凸をくらってしまうことに悩んでいた自分にとって、攻城していても消えない車輪という計略は神計略に見えていました。
同じく連凸が出来る馬馬岱を入れて、攻めは車輪、守りは神速、遠距離の弓黄忠プラス1コストで完璧なデッキと勘違いしていた時代があります。
当時はS君の友達のM君もプレイしており、何度か見せてもらってはいたのですが、今ほど解説や実況しながらプレイしてくれるわけでもなく、勝ち負け以外の試合展開は何故そうなるのか全く理解出来ない初心者の自分でした。
ある時2人から店内対戦に誘われます。格ゲーをやり込み勝率も高かった自分は、勝つ自信もなく。負けるのも悔しいので断っていたのですが、強く誘われどうしても断れなくなり店内対戦することになりました。
最初にS君との対戦で、正直お互い使っていたデッキは覚えていません。ただ各個撃破された試合だった様で、負けた後、初めてアドバイスらしいものをくれました。
それは「部隊をまとめて動かさないと駄目」と言うものでした。向上心はそれなりにあった自分は、初めてのアドバイスが嬉しくて、次からはまとまって動こうと心に刻みます。
次はM君との対戦。中盤、しっかりまとまって動いた部隊が、敵陣に攻め込んだ瞬間。相手の1コストの計略が発動します。
連環の計
部隊全てに妨害がかかりほとんど動かなくなります。
動かなくなったこっちの部隊を無視して次々と敵部隊がこちらの城に近づいて来ます。守ろうとしても自分の部隊はほとんど動きません。
今なら計略効果も理解していますが、当時はちょっとしたパニックです。
しかも同時はコスト依存の概念が乏しく、1コストでも攻城力が高かったんです。
頑張って戻そうとした部隊がようやく通常速度に戻った瞬間。
再度の連環の計をくらい、自分の城が落ちるまで眺めるだけの自分がいました。
そんな馬鹿な!アドバイス通りにしたはずなのに!
後ろを振り返ると苦笑いしたS君が、「バラバラにあがらなきゃ駄目」とか言いやがりました。
今ならわかるけど、当時は怒りと悲しみで泣きそうでしたわ。正直、今でも説明不足なのをまず謝れよって思っています。
なぜ、この話を急に書いたかと言うと、いつもの次女がパパとの店内対戦の時に、門柵前まで、武神関羽、馬馬姫、剛槍張苞がまとまってラインを上げて号令を打った瞬間。
子供の成長を感じながら、容赦なく牛歩の計で止めた自分がいました。
ごめんなさいm(_ _)m
コメント失礼します。今なら分かるけど初心者には分からないアドバイス…あるあるですね。自分も連環は苦手でした。
前回に続き、次女様への容赦なき全力投球に笑わせていただきました。これからもほっこりする記事、待ってます!
コメントありがとうございます。記事には書いていませんが、1試合に2回同じことをしました。正直少しだけ心が痛みます。
今後も、子供達の緩やかな成長をつづりますので、よろしくお願いします。
はじめまして。このゲームってチュートリアルで教えないことが多過ぎて、最初は何がわからないかわからないですよね…
次女さんへの既視感は、このゲームやってて先輩になったときに必ず通る道なんだなあと身につまされてます。連環のススメでかわいがりされたなあ~初心者の頃、と懐かしく思いました
先人曰く、ススメロック(2度がけ)は全く動かなかったとか。たぶん脳内最強デッキビルダーの頃が1番楽しい気がします。