剣門関は、四川省広元市剣門県に有り、前回に紹介した阿斗柏のある翠雲楼の近く、広元市中心部から車で約1時間ほど離れた位置に有ります。
上の写真でお分かりの通り、剣門関最大の特徴は、正に断崖絶壁の剣山の間に挟まれた天然の要害です。
唐の時代に活躍した李白は、「蜀道難」と呼ばれる詩で
「一夫当関,万夫莫開」
(剣閣の山は高く険しいので、1人が関所を守れば1万人でも落とすことはできない)
と絶賛し、その名は国内外でさらに広まることになりました。
諸葛亮は、この地に30里の「蜀の桟道」と要塞を築いて「剣閣」と称しております。
剣門関は、三国時代には最後の激戦地として争われた地としても有名です。
263年8月、魏が蜀に侵攻した時、姜維は沓中から退き剣門関に立てこもり、三か月にも渡って鐘会に抵抗しました。
姜維軍の3倍以上の10万を誇る鐘会軍も、この天然の要害の前には思うように攻め落とせず、姜維に向かって投降を呼びかけるも、姜維は頑に抵抗を続けました。
しかし、
「ミスター地の利」こと鄧艾が陰平から人跡未踏の険路を七百里も超えて江油に入り、綿竹関を破って成都に至ると、劉禅は魏に降伏。
姜維達は降伏の知らせを聞くと、刀を抜いて石を斬りつけ、その無念さをあらわしたとされています。
そして、剣門関には諸葛亮が考案したと言われている連弩が展示されています。
このように、連弩が展示されている事も有って、
三国志演義では姜維が連弩を用いて抵抗している描写がされています。
こうした事から考えると、姜維が連弩兵として登場する日はそう遠く無いでしょう。
イメージするとすれば、魏のSR郭淮かな。
そして、現在の剣門関は中国の国家重点名勝区に位置付けられ、一大ハイキングコースとして整備されています。
この案内図を見ての通り、最短の観光ツアーなら3時間。
更に深掘りしようと思うなら、普通に丸一日を要します。
そして、ここの入場料は高い(昨年の時点で日本円で約1500円)ので、頭の中に入れる必要があります。
それでは、最もメインとされる最初の写真「関楼」以外の有名なスポットを見てみましょう。
建物の上には桟道だったのか。
崖に杭が打たれた跡が有りますね。
次は劉備像
続いて石峰
続いて一線天
このように、歴史に余り関心が無くても、見どころ満載なハイキングコースと言えるでしょう。
そして、地形に関心のあるタモリさんだったら、大興奮するでしょうね。
海外ロケの「ブラタモリ」でやってくれないかな。
最後に、昨年実際に訪れた方の動画です。
時間が合えば、関楼で兵士が見張りや行軍をしてますね。
以上となります。
次回から当分は、三国志大戦シリーズで個人的に「評価の低い武将」、あるいは「もっと評価すべき武将」を紹介して行きます。
最初の武将は韓当です。