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『知ったかぶり』は貴方の人生を台無しにする

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このゲームに限らずだが、三国志大戦界には一種の「こだわり」勢が一定数いる。
騎馬単使い、女性単使い、特定の計略or武将使いといった具合に。

なにも意識して縛らずとも、誰しにも馴染みの勢力、馴染みの兵種構成くらいはあるもので、まったく共通点がないデッキを毎バージョン渡り歩くプレイヤーのほうが少ないだろう。(もちろんそういう方もいる)

しかしどんなプレイヤーであれ、始めたての頃は固定概念なくフラットだったはずだ。
スターターをどれにしたのか、序盤に引いたカードがなんだったのか、近くの友人やゲーセンの傾向によって、どんどん馴染み(手慣れともいう)が形作られていき、それがいつしか「こだわり」に変質するわけだ。





私は呉スターターだった。


(三国志大戦をはじめた経緯についてはこちらの記事が詳しいので、時間が有り余っているならご笑覧いただければ幸い)

元々三国志に詳しくなかったこともあり、魏蜀呉のどれになったからといって、そこに思うところはなかった。
ただ、兵種の三すくみとやらは解説を受けていたので、ただ漠然と「俺は弓メインの人になるんだ!」と思っていたし、であれば初めに呉スターターを手に入れたことは僥倖だとも思った。

私は、剣や拳で戦うなら銃を撃ちたいと思うし、モンハンをやるならボーガンを使い、スマブラであればサムスでチャージショットしかしないのであるから、三国志大戦においては弓を使うという、至極当然の結論に達していた。
私の初心者時代における、この遠距離志向は、幸か不幸か、立て続けに引きあてた「遠弓の舞い」と「流星の儀式」によって結実する。


(江東の二喬という言葉を僕達はまだ知らない)

「俺は戦わずして勝つのだ」

そんな事を友人にドヤ顔して言っていた気がする。
根拠のない自信がそこにあり、当然勝ちまくると思っていた。

「なるほどー」
と友人は言った。こいつも戦犯である。

その後の私は、0勝7敗で帰宅する日々をおくることになる。
当時の三国志大戦は、初回プレイ300円の高級ゲームであり、勝たなくては連戦できない仕様であったから、毎日2000円強を溶かした。
貧乏学生にこの出費は辛かったし、そうしてやっと「このデッキには欠陥があるのではないか」と疑い始めた。

私は甘寧というカードが諸悪の根源だと思うようになった。
なにしろコイツは2.5コスというデッキ全体の31.25%を占めておきながら、計略は強化戦法で柵の一つも持っていないときている。穀潰しも甚だしい。

私は友人にそのことを相談した。
「普通ならば武力に頼りそうなところを、そのような結論になるとは、さすがセンスがあるね」
と友人は答えた。こいつも戦犯である。

友人は自分のカードケースをおもむろに取り出すと、少し悩んで見せ、しばらくして2枚のカードを提示した。

「三国志大戦をはじめた記念にプレゼントだ。どちらか1枚を選んでくれ」


(アリエナイor遠弓)

友人も私同様、どうしようもなく貧乏学生だったので、2枚ともプレゼントするという発想はない。
SRやRですらない辺りが哀愁を誘う。
(ただしこれは、三国志大戦をはじめて間もない私の「引く楽しみ」を奪わない為ということでもあった)

私は大いに迷った。
これは高度なテストであり、私は試されているのだと思った。

世の中を知らない初心者でありながら、根拠のない自信に満ち溢れ、成り上がりたい一心の、歪な感情に支配されていた私にとって、この選択を間違えて友人に内心笑われることは、何としても避けたかった。
一種の被害妄想である。

さてどうするかだ。

やはり火計に目が行く。
初心者の私はダメージ計略をマップ兵器と呼称していた。
目標をセンターにいれてスイッチすればダメージになる。
至極シンプルで魅力的に映った。

ご存知のように、この孫桓というカードは使用率も高く、旧三国志大戦シリーズにおける呉を長年に渡り支えた名パーツである。
遠弓流星デッキを使い続けるかどうかは兎も角、孫桓を選択すれば相応の安定を得れる事は想像に難くない。
実際、初心者が使って勝率に直結するのは火計だろう。

「せっかくだから、俺はこの程普を選ぶぜ!」

ドヤっ。
俺は初心者だ。だからこの分かりやすい火計に飛びつくのは必然。
そう貴様は考えたはずだ。
ところがどっこい、俺はそうではないのだ。
既に全てを見通している俺は、この5/5柵という安定スペックと、遠弓戦法というテクニカルな計略を駆使してこそ強者だということに気付いているのだ・・・!

「さすが・・・通だわ」
と友人は答えた。こいつも戦犯である。

程普を選択した私は、それによって何かを得ることもなく、連敗の日々を続けた。
いや、"通"であるという自尊心は得たのだろう。
「孫桓にしておけばよかった」という気持ちは「俺はこの程普を選ぶぜ!」と言っている瞬間からあったが、"通"である魅力には抗えないのだ。

数日後、SR諸葛亮(八卦の陣法)を引いた私は、枚数によって効果が変わる可変号令なるものの存在に驚嘆した。
遠弓流星はその日を境に使わなくなり、今に至る八卦との長い付き合いがはじまる。
弓自体、以後一度も使わなかった。

結局そんなものである。







それから十数年を経て、今の私は八卦以外で全国対戦に挑むことは100%ないと言い切れるプレイヤーだが、もうこれは「こだわり」ではなくて、自分でもどうしようもない硬直のようなもの、ある種の思考停止に近いと自覚している。
パーツこそ変更することもあるが、決断が遅く、変化に順応するまでが面倒なので、ならばパーツも固定しているほうがマシと思ってしまいがちになった。
カードゲームとして本末転倒な考え方に違いない。

新カードが追加されるごとに、色々なデッキを楽しそうに試す友人たちを見るにつけ、とても羨ましく感じている。
それと同時に、UCカード一枚に思いを巡らせた楽しかった初心者時代、孫桓を選ばなかったあの日を思い出すのだった。
更新日時:2020/06/06 18:33
(作成日時:2020/06/06 16:12)
コメント( 2 )
司馬欣
司馬欣
2020年6月6日 18時7分

すごくためになるお話でした。
自分も絶対呉で戦う!手腕だ!と心に決めていましたが、今後は他勢力や他の主計略も使ってみようと思いますm(__)m

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2020年6月8日 10時39分

>司馬欣さん
コメントありがとうございます!
幅広く使ってみてこそ見える世界もきっとあります。私には見えてません。
ただ「手腕で生きる!」も最高ですし、気分的に一番楽しくいれる方を優先すべきですw

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