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袁紹と″奔走の友″何顒(カギョウ)

by
柱の男
柱の男

若かりし頃の袁紹に、
″奔走の友″(ほんそうのとも)
と呼びあった5人の盟友がいたことをご存じでしょうか?

″奔走の友″とはッ!
『心を許し合い、仲間の危機苦難には駆けつける友』という意味であるッ!(大川透の声で


その5人とは、正史の記載どおりに言うと
①張孟卓
②何伯求
③呉子卿
④許子遠
⑤伍徳瑜
の5人。
大戦ガチ勢の皆様であれば
①と④の人物は余裕でピーン💡と来るでしょう。
①の張孟卓は張バク(字:孟卓)
④の許子遠は許攸(字:子遠)のこと。


じゃあ
残りの②、③、⑤はというと、あまりピンと来る名前じゃあないって人がほとんどかと思います。誰やねんて。
ですが。
その中でも、②の何伯求カード化されてもいいんじゃないの!?

と思えるほど、後漢そのものにも、袁紹とも絡みが濃い人物なので是非ご紹介したく、事績をまとめてみました。

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何顒(カギョウ)字:伯求
生没年不詳


『後漢書/党錮伝』に詳細が記されている人物。荊州南陽出身。
清流派(※分かりやすくいえば、腐敗政治を招く宦官とそれに結び付く勢力を批判する一派。アンチ宦官。朝廷の清浄化が目的。)の人であった。



①友の仇を討つ!

何ギョウがまだ太学(※当時の高等教育機関のこと)の学生の頃、長らく病床に臥していた盟友虞偉高が、その末期に「父を殺した仇を討てなかったことが、無念だ。」と涙ながらに言い遺して亡くなった。
これを聞き入れた何ギョウは彼の父の仇(相当な有力豪族)を見事に討ち果たし、その首級を墓前に供え、虞偉高親子の無念を晴らした。
この偉業によって、何ギョウは一躍有名になり、洛陽中の名士たちから友として遇され、清流派の若きホープとして期待されるようになる。




②宦官の魔手から逃走!

166年。長きに渡って後漢王朝を腐敗させ、甘い汁を吸ってきた悪徳宦官の罪悪を、遂に清流派一派が告発した。しかし宦官らは、朝廷そのものを誹謗したとして一派を逮捕、終身禁固刑に処してしまう。(第一次党錮の禁
169年、清流派は巻き返しを図る。
実力行使で宦官どもを一掃せんと、王室外戚の竇武(トウブ)と清流派リーダーの陳蕃(チンバン)が、志を同じくする者たちと共に連合討伐軍を結成、挙兵したのだ。
(何ギョウも連名していたはず)



しかし、十常侍は朝廷に仕える猛将であった張奐の忠誠心を利用する。
『帝を廃位させようとしておる奴らこそ朝廷に仇なす反逆者ぞ』
と騙して味方に付け、それを信じた張奐は連合討伐軍をコテンパンにしてしまった。
竇武は誅殺され、加担した清流派党員らも捕縛、拷問にかけられ惨死していく。(第二次党錮の禁
希望の光は消え果てたかに見えたが、何ギョウは官憲の包囲網を突破し、逃走。その消息を絶った。




③袁紹・曹操とともにアンチ宦官秘密組織を結成!

アンチ●●組織
っていうとエゥーゴみたいでかっこE
(小学生並みの感想)

宦官の魔手から逃れた何ギョウは、姓名を変えて汝南の地、某アジトに身を隠していた。
汝南といえば袁氏興隆の本拠地。
そう、何ギョウが潜伏したそのアジトというのが、まだ20代の袁紹本初の屋敷
であった!
袁紹は、彼の高名を知り、アツく敬慕していたので招いたのだ。



四世三公の名家の御曹司ながら、全く朝廷の出仕要請に応じようとしない袁紹に、宦官趙忠は
『袁家のこせがれめが。怪しい奴らを集めて何を企んでおるのか。』

と超警戒(笑)
それを耳にした袁隗おじには、
『(宦官に睨まれ過ぎて)一族を滅ぼすでないぞ、本初。』

と苦言される始末。

しかしおんじの苦言を飛び越し、
袁紹が企んでいたのは、


宦 官 討 滅🔥

朝廷の重臣一族の御曹司がここまで大それたことを計画し、密かに同志を集めていたのである!
何ギョウ、張バク、呉子卿、許攸、伍徳瑜らを″奔走の友″とし、そこに曹操
も加えて、
『必ずや宦官どもを討ち果たさん!』

と、清流派ネットワーク拡張の地下活動を秘密裏に展開
さらには、袁紹が計画した作戦の下、何ギョウが洛陽に逆潜入するという「スパイ大作戦」も決行

囚われていた同志の多くを救出することに成功した。サンキュートム!
そして遂に雌伏の時にも終わりがやってくる。




④十常侍ら宦官を討滅す!

184年、黄巾の乱が勃発。
十常侍はその対応に苦慮し、また先の「党錮の禁」の捕囚たちが乱に呼応して蜂起するのではないかと不安に駆られ、禁固を解除してしまう。
これにより清流派は息を吹き替えし、何ギョウが15年もの潜伏期間で築き上げていたネットワークによって、連絡連携を深め、大将軍何進を味方に引き入れて急激に勢力を回復させていく。
何進第一の側近となったのは袁紹だったが特に何進の参謀として活躍したのは、何ギョウ・逢紀・荀攸の三人であった。



宦官との対立姿勢を見せていながら、処断に踏み切れていなかった何進は、無防備に参内したところを、張譲らに暗殺されてしまう。しかし、これが宦官討滅実行の火蓋となり、袁紹・袁術・袁隗おじ・呉匡(※何進の私兵の将)・盧植先生らが宮中に乗り込んで、遂に十常侍ら宦官とそれに味方する勢力を駆逐せしめた。
「朝廷を清浄化させる。」
何ギョウの志もやっと叶ったかに見えた。




⑤魔王の弾圧により落命す

しかし、乱世の混沌は、悪徳宦官以上の魔物を呼び起こしてしまう。
それすなわち″魔王″こと董卓である。



董卓は何進により涼州より召集され、都の近辺まで進軍していたところを、袁紹らの宮中乗り込みから逃れてきた劉協(献帝)の身柄をうまいこと保護。
何進の死と宦官駆逐による朝廷の大混乱に乗じて、何進の兵を吸収しながら宮中に居座り、そのまま実権を握った。
そこからはご存知、悪逆無道な魔王の暴政祭り2020。
これでは十常侍どもを排除した甲斐がない。
ぴえん。(ノω・、)

何ギョウも有用な人材として、董卓に半ば脅されながら官職に任じられたが、今度は胸中に「董卓斬るべし」を秘め、盟友荀爽(※荀イク、荀攸の叔父)・荀攸・鄭泰・王允ら同志と、董卓暗殺の陰謀をめぐらせる。

しかし。この企みは決行寸前で明るみに出てしまい、何ギョウら首謀者は捕縛されてしまった。
拷問にかけられ一人一人が死んでいく中、
袁紹のアジト潜伏時代からの親友であった伍徳瑜が獄死すると、何ギョウもその後を追ったか、獄中にて自死した。
享年不明。恐らく40代くらいか。

董卓の専横に真っ向から反抗した袁紹が、激昂した董卓にあわや殺されかけたことがあった。
これを取り成して被官させるよう仕向けたのも、何ギョウと伍徳瑜らであった。
何ギョウらの死後、命永らえた袁紹を盟主として、反董卓連合軍が立ち上がることとなる。。。


※余談
何ギョウは曹操のことを
『漢王朝は今まさに滅びようとしているが、その後の天下を安んじるのは間違いなくこの人だ』
と評した。

また、荀イクを″王佐の才(器)″
と評したのも、何ギョウであると言われている。

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キャラ濃くない!?!?
カード化されてもいいレベルの人物かと思います。まさに漢の傑士!


そして、
何代も前から三公という朝廷の重職を担ってきた袁氏の御曹司が、義の志のために、政治犯・指名手配犯扱いされている烈士たちを受け入れ、反宦官の秘密組織を結成していたという事実。
とてもただの良いとこのおぼっちゃんではできないマネ!




つまり、
若い頃の殿も、めっちゃかっこいいってこと。(これが言いたかったやつぅ

いいですねッ!?(ワザップジョルノ


 
更新日時:2020/05/16 20:14
(作成日時:2020/05/16 12:21)
カテゴリ
雑談・雑感
コメント( 10 )
10件のコメントを全て表示する
柱の男
柱の男
2020年5月19日 20時10分

>Chaosさん
許攸は袁術からそのようになじられてますね笑
袁紹のとこにばかり人が集まるのを見て嫉妬しての発言のようですが、この時の許攸は本当に輝いてた、のかもしれない…?
魂は刻とともに老い腐るものですよね…😇

柱の男
柱の男
2020年5月19日 20時11分

>おかかさん
こういう前日譚的なものを追うのはどの媒体でも楽しいんですよね~😆
カードはまだまだある…!あとは運営が切ってくれることを願うのみぃっ…!

おかか容疑者
柱の男
柱の男
2020年5月19日 20時12分

>楊狐さん
絶対そうですね😃
若い時はみんな輝いてるのを見ると、老いが怖くなってきます…盧植先生みたいになりたい…😇

楊狐
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