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【一番思い入れのある武将カード】"白眉"こと馬良について(人物編)

by
漆黒白眉斎
特イベ
特イベ
漆黒白眉斎
おつかれさまでございます。

世間の様々なものが自粛されてしまってる中、いかがお過ごしでしょうか。
この息苦しさを感じる状況下の中、運営側の方で面白そうな企画が立っておりましたので、久々に投稿させていただきました。
(自宅で過ごさなければならない状況なので、たまには良いかと)



『一番思い入れのある武将カード』というお題。


言わずもがな、
"白眉"の通り名で知られる"馬良"の人物ついて、段階を踏まえてお話させていただければと思います。
なお、人物の詳細な紹介については、私があえて語るより、ウィキペディア等を見ていただいた方が確実だと思います。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E8%89%AF







●馬良の人物像・魅力について

人物像と魅力を書き綴っていきます(個人的な視点・見解を含みます)

○白眉の語源・由来
荊州で名士の4男生まれ育った馬良。5人いる兄弟の中で一番優秀だったそうです。
(なお、末っ子は登山家として有名な
馬謖
その
馬良の特徴として、眉毛に白い毛が混じっていたことから、"白眉"と称されてそうです。
よく、
白い眉毛と誤訳されやすいですが、白い毛が混じっていたという解釈が正しいとのこと。
異名と言うか、通り名というか。。。最も秀でている者として後世に残せるものがあるというのは名誉なことかと思います。


○諸葛亮との義兄弟の関係
馬良諸葛亮と書簡でのやりとりをすることが度々あったそうですが、書簡での諸葛亮の呼び方が「尊兄」だったとこと。
ただし、これに関しては憶測論が強く、正確な話かは定かではありません。
でも、
諸葛亮と書簡のやりとりを密にしていたということは、それだけ諸葛亮が信に置ける人物であったのかなと思います。
もし、
北伐の折に存命していれば諸葛亮の内政での負担をいくらか減らせたかもしれませんね。


○孫権への使者への役割
上記でも諸葛亮との関係に触れたところですが、
その
諸葛亮に、劉備軍の名代として孫権への使者となった際に、推薦状を依頼しているんですね。
ただ、
諸葛亮は「自分で自己紹介文を作成してみてくれ」と返答しているそうです。
その言葉どおり、自分の推薦状を自分で作成し
孫権に見せたところ、手厚い歓迎を受けたそうです。
馬良が荊州の名士の出身でもあるとは思いますが、当時の劉備軍との関係を考えると、
孫権は代表としての立場というより、馬良個人に敬意(あわよくば懐柔)を表したのではないかと私は考えます。


○関羽との囲碁対決
演義で良く出る話として、関羽が毒矢を受けて骨の髄の手術をする話。
生身の状態で、麻酔もせずに涼しい顔をしながら囲碁をしており、その相手に
馬良が選ばれているエピソード。
実際そんなことできるとは思えないですし、演義ならではだと思いますが、
少なくとも、対局を受けた
馬良としては目の前に壮絶な状況が見えているわけですから。たまったものではないですね。
あるいは、生半可な人であれば耐えられないだろうと察して、常日頃から冷静な
馬良を指名したのかもしれません。


○劉備の側近(侍従)として
荊州が取られた後、益州の劉備のもとへ合流した馬良
再編後は
劉備侍従(秘書官・世話役)としての職務についたようです。
傍に置くとなると、やはりここでも信における人物だったのではないかと思います。
ちなみに、弟の
馬謖は信用してなかったとか。
(後に
諸葛亮へ「馬謖は信用しては行けない」というシーンもあることから。)


○異民族の懐柔
孫呉を討伐する際にも、劉備と従軍しています。
その際に、
劉備と同行せずに、道中上に展開する異民族を味方に取り着けるということをなしてます。
馬良のエピソードをかたる上で最も戦果(?)上げた話ではないかと思います。
信や人となり、時には金銭や名誉等の交渉術があったのかとも考えられますが、いずれにしても堅実な仕事ぶりでしょう。


○夷陵での戦死(正史限定
蜀軍が大敗した際に、その混乱に乗じて亡くなったとのこと。
戦死であったり、異民族に手の平返しをされたりと、正確なことは分かっておりませんが、
文官よりも武官らしい最期を遂げたと言われてます。
個人的には
劉備を撤退を最後の最期まで体を張って支えたっていうエピソードがあれば、もっと目立ってたのかなという気もしますが。。。


○南蛮征圧での病死(演義限定
正史では夷陵で亡くなってますが、演義では逃げ延びて延命してます。
ただし、夷陵で
諸葛亮からの布陣を伝えた後は一切出番が無く、諸葛亮の南蛮遠征の折に馬謖が登場し、馬良が病死したと伝えてくるだけです。
なので、
実質的には夷陵での活躍が最後だったとも言えるでしょう。


○北方謙三版三国志の馬良
正史ベースでの文庫本として出版されてますが、馬良の名前が結構出てます。
諸葛亮の片腕的な存在で描かれており、劉備とのやりとりも多く書かれてます。
夷陵では
参謀としての役割を果たし、地の利を生かして舟を使うよう提案してます。
(結果的に却下されてますが)

劉備から「死ぬなよ。馬良。」と命じられますが、そのまま戦禍に飲まれて。。。
なお、
曹丕司馬懿からも蜀の要的な存在として諸葛亮馬良の名前が上がってました(うろ覚え)




◎総論
エピソードとしては、これといった華のある活躍もないので、世間的には三国志で出てくる多くの文官のうちの1人という印象でしかないでしょう。
逆に言うと、地味ではあるものの、仕事ぶりは実に堅実であり、失敗はしない
ゆえに信頼もあり、安心して仕事を任せることができる人物だったのではないかと思います。
劉備諸葛亮関羽孫権といった有名どころとのやりとりがこれほどあれば、優秀な文官というのは間違いないでしょう)
その上で、一介の文官に
"白眉"という通称・通り名があるのが凄いカッコいいなと思い、
気が付いたら
馬良をものすごく贔屓していたわけです(大戦界隈であれば特殊称号持ちなイメージです)

実際のところ、北伐以降も存命であればいろいろと変わっていたかもしれません。
(特に弟の
馬謖との絡みもあるので、街亭以降、馬兄弟がどうなっていくかは見てみたいですね。)




ここまで目を通していただきありがとうございます。

とりあえず、人物編についてはこんなところで。

武将カード編はまた後日書いていきます。



白眉斎
更新日時:2020/04/20 23:29
(作成日時:2020/04/19 23:31)
コメント( 6 )
6件のコメントを全て表示する
紫苑
紫苑
2020年4月20日 23時26分

沙魔柯をはじめとした異民族の懐柔は、馬良にとって最大の功績です。
本当に兄弟の中で一番なら、弟の馬謖がRで登場し続けている以上、Rぐらいで登場しても何ら不思議でも無いでしょう。

漆黒白眉斎
特イベ
特イベ
漆黒白眉斎
2020年4月20日 23時42分

皆様、コメントありがとうございます。

>>柱の男さん
後世に故事として残ることって、ホントすごいですよね!

守護の剛雷には大変お世話になりました!
排出停止後も何故か上方修正を食らい、知力8相手に1発で4割をたたき出してましたねw

>>楊狐さん
正史で戦死、演義で病死ですね。
記載ミスの指摘ありがとうございます!(修正しました)

身に余るお言葉、うれしく思います!

>>金村保坂非道さん
謙虚で堅実な生き方をしていたからこそ、信頼ある人物になっていたのかと。

守護の剛雷は独自計略であり、ハマったときは爽快な計略でしたね!

>>紫苑さん
孫呉討伐において、相手に更にプレッシャーをかける一手になっていたとは思います。
孫権に手厚くされた外交手腕は並みではありませんね。

しっかりとしたエピソードがあれば、馬良もレアリティ―が上がっていたかなと。
それでも、弟は3枚め出ましたからね(笑)
もう1枚ぐらい出てきてほしいですがw

楊狐
おかか容疑者
おかか容疑者
2020年4月21日 6時58分

大戦2だと再々出撃でしたっけか、馬良。
シリーズ毎に様々な種類の計略を持って蜀をサポートしてくれているんですね(*‘ω‘ *)

漆黒白眉斎
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