時は、官渡開戦となった前年の西暦199年・・・
曹操と袁紹は、いよいよ中原の覇を競う刻が来た。
「決戦」か、それとも「和睦」か・・・
兵力・兵糧共に劣勢とされる曹操陣営が評定を開いた。
そして、評定している最中、荀彧がこう主張する。
その内容は、こちらの動画になります。
このように、荀彧は自信に溢れた面持ちで理路整然と主張した後、曹操は決戦の意向を示すのであった。
この場面、本作品のベースとなった「三国志演義」では、荀彧のところが洞察力に定評が有った郭嘉に代わっている。
それだったら、郭嘉でも良いと思うだろう。
本作品は恐らく、
①前主君・袁紹との在任期間が郭嘉と比べはっきりとして、
②この後、開戦中に兵糧不足に陥った際、荀彧に撤退か交戦かを相談した経緯があることを踏まえ、
敢えて荀彧に配役を回したのだろう。
以上となります。
次回は、三国志の主人公の一人、諸葛亮が登場します。
元々は袁紹を見限った郭嘉が説いたんでしたっけ?
堂々とした荀彧の発言格好いいですね!
初期の荀彧の活躍なくして曹操の天下は無かったと思います。まさに王佐之才!
次回の諸葛亮の紹介も楽しみにしてます。
>うさまるさん
今回取り上げた「袁紹10敗・曹操10勝」は、もともと郭嘉が主張したものです。
荀彧も曹操の優位性を説いたのですが、4つ(度量・計略・武力・徳義)にとどまっているんです。
そして、荀彧は主君を補佐するに当たって、数えきれない功績を残してくれたと思います。
こんな進言、よく思い付くものだなあと感心しましたよ。
今作では郭嘉が計略として十の因果を持ってきてますね。
袁家でその才を振るい続ければよかったものを……!
>QUEENさん
恐らく論語とかをたくさん読んだからだと思います。
>おかか容疑者さん
確かに計略として持ってますね!
郭嘉は諸葛亮と同様、仕えるに相応しい主君がいなければ晴耕雨読の日々を送るタイプの人物です。
残念ながら、郭嘉は、袁紹を相応しい主君として見なかったようですね。