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史実解説ー四方将軍(前後左右将軍)についてー

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燈蝋之斧
燈蝋之斧
こんにちは! 燈蝋之斧です!

最近、カレーを作る時はタマネギを大量に炒めてギィを使いルゥは使わない本格志向になってきました。あ、具は肉のみでニンジンはすりおろします。海原雄山並にこだわりを入れてます。ま、私はハンバーガー食べるし、女将は呼びませんが。張春華さんは呼ばなくても、排出される。


さて、今日は四方将軍について史実解説してみます。四方将軍というのは、漢と三国時代にあった前将軍・後将軍・左将軍・右将軍の4つの将軍位の事です。以下、前後左右将軍と呼称します。四方将軍は俗称っぽいので。

某KOTY受賞作の前後おおおん、左右うぅ〜は関係ありませんのでご注意下さい。別に四将軍が変なダンスを踊る訳ではありません。

この前後左右将軍ですが、今回の昇格システムで5〜8陣に該当しているので、多分知名度は高いかと思います。

ちなみに、あとで詳しく解説しますが、三国志大戦の前後左右将軍の昇格序列は、厳密には史実と異なっております。

まあ、基本的に四方将軍内は一応同格ではあります。ただ序列は一応あります。四天王の最初の人と最後の人は形式上同格だけども、実質は違うみたいな感じです。

四天王の最初の人、主人公に負けると毎回四天王最弱とか面汚しとか言われて可哀想……。三人衆や五大将は最初の人負けてもあんま馬鹿にされるイメージないのに、なぜ四天王だけ同格内でイジメが発生するのだろうか?

では、始めてみます!


・前後左右将軍

概要:周末からある伝統的な将軍位。後漢初頭に廃されたものの、後に復活。後漢以降は常設の将軍位で、朝議にも参加出来る高級将軍。首都の防衛が主任務。偉さは、大将軍・驃騎将軍・車騎将軍・衛将軍の次に属する高位。


ん? と思われた方、いるかと思います。驃騎将軍〜衛将軍は三公にも匹敵する権力なのに、その次に前後左右将軍が来るのはおかしくない? と。三国志大戦のシステムで前後左右将軍より上位にある四征将軍や四鎮将軍いないのおかしくない? 的な疑問もあるでしょう。

この疑問は半分あって、半分間違っています。私が概要に書いたのは、あくまでも後漢での扱いです。三国志大戦が参考にしているのは、三国時代の将軍位制度かと思われます。

三国期と漢時代で将軍位の扱いのどこが違うかと言うと、以下が違います。


・三国期は前後左右将軍の上に、撫軍将軍や四征・四鎮・四安・四平将軍が明確に存在(立場が逆転)した

・上記の階級は、三国時代には常設の将軍位になった



簡単に言うと、四征将軍らは漢時代にも役職としてありましたが、これは任務毎に任命される非常設の将軍位だったという訳です。前後左右将軍よりは下位でした。


(余談:上記の事実から、劉備を左将軍に任命した曹操はかなり優遇していたと判断できます。なんせ、劉備の左将軍拝命時の200年に劉備より将軍位上の群雄は、大将軍の袁紹と車騎将軍の曹操しかいません。車に同乗させたり、席は同格にしたりと曹操はめっちゃ劉備に気を使ってました。英雄は君と余だ、も実は史実だしね。俗説では的盧も曹操のプレゼントらしいし。貢がせるだけ貢がせて裏切る劉備は、悪徳ホストかなんかか?


それでまあ、この前後左右将軍ですが一般的に言われている序列は前将軍>>左将軍>>右将軍>>後将軍とされています。三国志大戦は前将軍>>後将軍>>左将軍>>右将軍なので、ここが違う点ですね。

ただ、これは史書で完全に明言されている訳ではなく(左が右より偉いのは将軍限らない伝統として記載あり)、前後左右将軍の受位者を見てそう判断されています。

以下がその判断材料です↓


①蜀の事例(劉備の漢中王時任命)

前将軍:関羽
左将軍:馬超
右将軍:張飛
後将軍:黄忠


まず、古参かつ武官筆頭の関羽が一番格上なのはわかるかと思います。荊州を任されてるし、一番偉いです。次に馬超が偉いとされるのは、涼州軍閥の長という点からとその後に馬超は驃騎将軍に昇進している事から。張飛は車騎将軍止まりでしたので、驃騎将軍>>車騎将軍から馬超>>張飛です。

黄忠については、後将軍任命以降に死去しており記録はありません。ただ、関羽に同格扱いを嫌がられている点や、軍功と品格的に馬超や張飛より上位はなさそうな点、諸葛亮が関羽と馬超より下と取れる発言をした事から、前後左右将軍の中だと最下位扱いで問題ないかと思います。


では次の判断材料。


②袁術の事例(袁術の官位遍歴)

・189年     入京した董卓より後将軍拝命

・192年頃  懐柔を企んだ李傕より左将軍任命



これはわかりやすく、左将軍>>後将軍を示しているかと思います。袁術は当初、董卓政権に加盟してました。だから、比較的高めな将軍位を拝命してます。董卓四天王の連中も同時期に同じくらいの将軍位だったので、優遇はされてます。

その後、董卓が死に、李傕が政権を握ると左将軍に任命されてます。懐柔をするのに、前役職より下の役職に付けるのは知力1の李傕でもないと思うので、素直に捉えればこれは昇進と解釈して良いでしょう。降格を態々伝えるとか、煽りみたいなもんでしょうし。


なので、上記点等から、史実的には前将軍>>左将軍>>右将軍>>後将軍の序列だと考えられます。袁術の事例は私が見つけた内容ですが、①や魏呉の人事で他の方は上記結論を出しているっぽいです。

三国志大戦の前後左右将軍の序列が異なるのは、多分わかりやすさ重視なのかなーと。前後左右の並びで違和感覚える人より、前左右後の並びで違和感覚える人いそうですし。

そもそもこんな細かい事気にするのは、私みたいな歴史オタクしかいないよ。

ちなみに、前後左右将軍が三国時代に地位下がってしまっているのは、三国時代は常に戦争で漢時代より将軍ポストが必要だった事が原因です。個人的には、首都防衛より外敵排除を主とする四征将軍らの権限向上が三国時代には即していたから、立場逆転したんじゃないかなー? とか考えてます。


とまあ、長かったですが以上!

今回は真面目な投稿過ぎたので、ちょい疲れました。疲れを癒しにちょっと張春華さんと全国対戦行ってきます。

余計疲れる気しかないけど。

では、失礼!
作成日時:2020/03/22 10:17
コメント( 9 )
9件のコメントを全て表示する
Chaos
Chaos
2020年3月23日 8時55分

黄忠が漢中で大して活躍しなくて魏延が後将軍になっていたら関羽は文句を言っていただろうか…
後に左車騎将軍、右車騎将軍が出来たりで車騎将軍とはどう違うのかとかわけ分からなくなってます…
これらは張翼、廖化がなってますが張翼、廖化の順でもてはやされているのにも関係しているんですかねえ(それともただの偶然かな…?)

燈蝋之斧
燈蝋之斧
2020年3月24日 0時5分

>>王ムルさん
前後おおおんの原作出ちゃった……。名和歌からなんであの迷作が出たのか、不思議ですね。
>>七歩之才さん
煮込みに多少時間かかりますが、自分で試行錯誤して作るのも中々楽しいです! スパイスから作るカレーキットとかもあるので、そういうのから始めても楽しいかと。
>>眠り姫さん
インドの映画じゃあるまいし……。甲冑のおじさんが踊る姿に需要はあるのだろうか(いやない)

燈蝋之斧
燈蝋之斧
2020年3月24日 0時30分

>>ワムウ
色々工夫して一晩寝かせたカレーですし。お弁当の佐々やんの料理担当枠やけん!
我ながら、変に調べたと思ってるよ。袁術からネタ拾うとは思わなんだ。
>>金村保坂非道さん
龍造寺さんちかな?
袁術は調べると色々あるので、歴史的価値は高いです。袁術の天上は寿春の上にしかなさそうですが、それは良いのですかね?
>>おかか容疑者さん
RPGとかだと普通にありそうですね。遊戯王とかにもいそうなネーミング。
>>Chaosさん
魏延は一応、入蜀前に部隊長位になる地位で黄忠よりは一発感ないため、関羽も文句は出ないかなーと。漢中太守に任命された際も、張飛は文句言いませんでしたし。
それは単純にポストが足りなくなったので、左右に分割した例だと思いますね。呉とかも似たような例ありますし。
張翼と廖化の評価の優劣は恐らくは殆どないかな、と思います。まあ、漢代は左を右に優先する傾向にあったので、一応は張翼のが上? でも、前後左右将軍程の優劣はないかと。

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