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#かけだし君主の思い出 ~僕が劉禅になった理由~

by
劉禅の夏休み
劉禅の夏休み


公式『蜀には呉懿がいるじゃないですか(笑)』










ぼく『おい。公式… 今、呉懿を笑ったな?(憤怒)』












だいたいそんな時期に始めました…。

程昱が一回目の弱体化を受ける前後なんで上の発言よりちょっと前になりますかね。もううろ覚えです。

当時カードを使ったアケゲーがいくつかあって、自分はアヴァロンの鍵に興味があったのですが、

やってみたくても一人で始める勇気もなく…。

友達の多くはクエDをやってました。自分も誘われてやってはみたんですがイマイチ馴染めず。

そんな状況の中、学校であまり話もした事のない知り合い以上友達未満なクラスメイトが、

入荷仕立ての三国志大戦をやっているのを目撃! 

僕はここぞとばかりに彼に急接近! 便乗して始めました(笑)

我ながらヘタレやったなぁ…

その後彼とは当然の様に仲良しになり彼の友達も合わせて主に三人でプレイしていく事になり現在に至ります。

昔はカードの紐付けも無かったのでリサボにあるカードのみを使用という縛りで、店内対戦をやったりして盛り上がってました。

もう何もかも懐かしい…

当時の仲間で今もプレイしているのは自分一人になってしまったけど桃園のお陰で一人って気はしないですね。

公式と皆さんに感謝です。











古い~アルバムの中に~♪ 隠れて~♪





※劉禅曼荼羅



劉禅 が いっぱい♪




昔は無限収集してましたが今はこの7枚のみ。マジック・ザ・ギャザリングの1/1トークンに使っていた。







始めた当初は君主名を小学校の時のあだ名にしていたんですが…

当時の友達に偶然同じあだ名の奴がいて、気まずくなったので君主名を変える事になりましたw

そいつはゲーセンに来る様な奴じゃなかったんですが偶々ゲーセンについて来てしまって…

事前に「俺も小学校の時同じあだ名だったんだよ~(笑)」とか説明してたんですが誰がどう聞いても嘘くさいw

「(お前なんでオレの名前でやってんの?)」って心の中で思われてるんだろうな~ 

…って思うと居た堪れなくなって変更を決意しましたw 

それがちょうど1も中盤に差し掛かるぐらいで、その時ネタで試していたデッキが



勅命神速!


この当時他軍勢力(※現群雄。当時は他軍と言いました)にR献帝とかいうほぼ上位互換が存在していたので

ネタと言うよりゴミでした。

1は律義に知力時間を守るゲームだったので知力1を反映して2カウントぐらいの効果時間だったかな…

後に続編で刹那計略というカテゴリーが追加されたので(刹那の勅命という計略も追加されたのだった…)

ゴミの中のゴミ。キングオブゴミと言っても過言ではないカードだった。ていうか歩兵ってなんだよ。

士気4で2カウント+8の効率はギリギリ使えない事も無いと今なら思えますが…

R献帝は普通に長いからなぁ…


↑初代献帝。何故か賊軍と戯れていました。

勅命呂布で一時代を築いた記憶がありますが2の頃だったかな… もう覚えてないです。

現行のSR厳氏が同じ士気で+7セルフ毒なのを考えると1ならではの効率と言えます。

もっとも歩兵と弓の差は天と地ほどありますが。




まぁそんな感じでちょうど劉禅を使っていてその無害な笑顔が

『ぼくなつ』の『ボク』を彷彿とさせたので

『劉禅の夏休み』(※ちょうど6文字や!)と相成りました。

マジどうでも良い話っスね…ww


正直名前変えたいなって思った事もありましたが結局今日までこの君主名でやらせて貰ってます。

マッチしたらヨロシクね♪





ついでに1の頃に使っていたデッキもちょっち張っときます。

かなり初期に作ったデッキ。

三国志なら関羽やろ!

という事で当時鳴かず飛ばずだった車輪関羽を活かす為に作った。

…のだが、見ての通り車輪の大号令など打つ気は無いのである。

だって車輪になったらワイパー出来なくなるんだもん。
(※無敵槍を連続で接触させるテクニックを車のワイパーに例えてそう言いました)

当時の槍ワイパーの威力は凄まじく武力9と8のWワイパーはゲーム内カウントにして、

1.5カウントぐらいで敵が消し飛びました。

接近する必要はありますが士気0のダメ計と言っても良く、

リソースゼロで敵のみを即死させるのは初期の大戦では日常茶飯事だった。

そんなわけでこのデッキは隻眼の睨みと挑発に士気をつぎ込み(たまに張飛の車輪)

車輪の大号令は負けフラグという、武神(笑)なデッキだったので直ぐに解体しました。

ただ夏侯惇と張松が強すぎたので四品ぐらいまでは行った気がします。





飛翔全突。見ての通り強いので何も言うことは無い。

この呂布もこの華雄も今いたら相当強いね。ついでに蔡ヨウの爺さんもね。

でも結局馬超と祭ヨウの枠を張遼とカクに変えた気がする。うろ覚えです。

ただ当時は城内スペースが今の二倍以上あって潜り突撃し放題だったのは覚えています。
(※潜り突撃。当時は発案者の名を取って桐たんす突撃とも呼称されました。)


槍兵に槍撃が追加されるのが2以降というのもあって守備に入った騎馬を迎撃するには

挑発で引きずり出すとかしないと厳しめだった。

この城内突撃という技術が普及したが為に1の後期に城内スペースは縮小しました(それでも今よりずっと広い)

ただワイパーも下方されていたので結局騎馬が最強兵種なのは揺るがない感じでした。バランス(笑





他には…

袁家のクズ二人。

歴代最強の劉備が何故か袁家にいるのだった。

当時の隙無き攻勢は部隊数分士気が返ってくるクソ仕様だったので六枚デッキだと士気加速になっていた

劉備に至っては士気3で戦場全体転身という禁断の性能だったので

どんなに広がっても一部隊も落とさずに転身可能。反計にも対策しやすい。というか寧ろ反計と組まれていた。

自分も一番最後に使っていたのが隙無き転身反計というクソデッキだった。







長くなってしまった…。昔を語りだすとキリが無いですね。老害アピールはこの辺にしようかな。

他にも 悲哀、呉バラ、賢母天啓、後方指揮系、色々使いました。

あと呉懿大徳もね(←さりげない伏線回収)

奮起劉備が出てゴミ大徳になったけどね♪(元々ゴミだけど)

最後にこいつだけ張っとく



なんだこいつは!?




セガさん。新曹仁追加するなら… 台詞は分かってるね?

 
更新日時:2020/02/03 01:21
(作成日時:2020/02/02 22:57)
コメント( 14 )
14件のコメントを全て表示する
niko
niko
2020年2月4日 23時29分

懐かしいw
最初は程昱の範囲がわからな過ぎて離間の範囲もわからな過ぎてどうなってんだよ?!と思ってた時期がありました。

今考えたらあんなのゲームとして成り立ってない…

劉禅の夏休み
劉禅の夏休み
2020年2月5日 19時33分

≫nikoさん
 昔の計略範囲を改めて見直してみると絶句しますね…。計略範囲は個別に調整されずにコンパチでしたね。前方円形範囲なら全部同じ。
 しかもカードのレアリティや勢力特性で明確な優劣をつけるカードゲームらしい仕様だったので離間が連環の完全上位互換でした…。
 確か最初期は連環と同じ速度低下値で武力も知力も下げるんですよね。知力は-10でしたっけ?w
 戦場1/4以上を覆う離間。範囲が分かった所で勝てる気しねーw

niko
niko
niko
2020年2月5日 22時59分

最初は相手の知力見えなかったんでどんだけ下げるかわかりませんでしたね。ウマシカかけたら呂布がダメ計くらわなくなるので多分-10なんじゃないか?など曖昧な情報だった気がします。

離間は連環並に動きませんでしたねw

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