こういう記事をここに書くのはどうかとも考えましたが
忘れたくないので一筆させていいただきます
12月8日、午前0時3分
大戦友人で君主名「自爆王アロハ」こと
アロハ君が癌によりこの世を去りました
30歳という若さです
出棺された12月9日10時にニコ動のほうにでも何名か俄何焼戈の動画が挙がっているのは
この人のメインカードが俄何焼戈だったからです
アロハ君と三国志大戦4:
旧大戦からプレイしてた時から「力こそ正義」な武力ごり押しが大好きでした
また人とは違うカードを好んで使ってました
大戦4になってからのメインデッキのキーが
SR張角→C楊儀→R俄何焼戈
という時点で分かるかなと
SR張角:
とりあえず前に出して、太平して前に出して、というスタンスです
三生時に「張角を登用する人なんでおるんですか?」とか張角の枚数をネタにしてましたが
登用してる人、いたんですよ、知り合いに
C楊儀:
高武力相手1体を武力-9する妨害計略で、高知力相手にも20c近く続くというトンデモ計略
その効果に気づき、全国でちらほら見るのに数か月かかっていたんですが
知り合い内では結構流行ってました
R俄何焼戈:
旧大戦からアロハ君のメインカード、といっても大戦4では想像以上にガチカードで驚いてました
2.5コス勇城活の槍で迅速赤3で端攻めぶん殴って逆転する姿
共に大戦配信してた時に「なんで勝てたし?」と言ってたの覚えてます
計略が「均衡状態で効果アップ」という
「やはり内乱で勝負せず、この拳で城を殴る」のがこの人のプレイにもマッチしてて
槍呂布、俄何焼戈、張梁の「迅速赤3で城を殴る」デッキで覇者まで一気に駆け上がっていきました
病気発覚から現在まで:
そんな覇王昇格までも一気に走るんじゃないかと思ってた矢先
「片目が見えない」と目に違和感を感じ入院することになりました
この時の診断結果で癌が発覚したそうです(定期健康診断って大事なんだなと再確認しました)
確か9月頃だったかな?
そこでちょうど関東にオフ会で集まる大戦メンバーがいたので、
応援のメッセージってことで色紙を描こうと言ったのに対し、参加者皆さん賛同してくれました
後日お見舞いの際にこの色紙を渡してホントは泣かせる予定だったんだけど
やっぱアロハ君は「周りに弱い自分は見せない」強い子でした
一緒に買ってあげた特上寿司もぺろりと食べてました、病院から出たお昼も食べたはずなのに
ホントに病人か?と思うくらいです
ちなみにこの入院時にも知り合いがいろんなところから見舞いに来たそうです
大体20人くらい?ご家族の方も毎日誰かいるとか言ってたような
退院した11月、皆であいつが食べたいジンキスカンを奢ってやろうということで
関西のほうで集まったメンバーでお祝い会を開きました
その時に、杖を突きながらも片目で元気に大戦して、いつも通りのプレイで落城勝ちする姿に
「もう大丈夫なんだな」って安心していました
その後のジンギスカンを沢山食べたし、元気に話してたり
隠れて用意した「(ポケモンしたいから)ニンテンドースイッチ」一式(余ったお金付き)を渡したときは
喜びながらも「加減しろやー」って突っ込まれたのいつも通りだなぁと
そこからアロハ君本人からの状況説明より
「初期癌は小さくなったがそれが転移した影響で体の痛みが止まらない」
というのがわかり入院してたそうです
これが12月7日、そう、前日です
もしかしたらこの時に、自分の状況がわかっていたのもかもしれません
ツイッター見るのもきついと言ってた人が俺達を心配させないと振り絞って書いてくれたのだと
そしてその文面にも「必ず帰ってくる」と
自分も含め皆あいつなら帰ってくると信じてました
その日はいつも通り過ごし、翌日朝早く出発して徳島の友人に会いに行くということで寝ようした時
ツイッターでの知り合いがざわついていたのを少し気にしながら就寝
翌日8日に高速バスで関西から徳島に行き、歩いてゲーセン行く途中で昨日のざわつきから何かあったと聞いたら
アロハ君が亡くなったのをここで知りました・・・
少し覚悟をしていたところもあったのか、その時の落ち込みは少なかったのですが
ゲーセンで知り合いと対面したとき(お互い状況を知ってる)にお互い安心したのか、涙が止まりませんでした
涙で濡れて画面が見えない三国志大戦、ってこういうのだなと
アロハ君が亡くなったのを知り、俄何焼戈を刷りに行きました
狙いはもちろんあいつが愛用した迅速の赤3
溜めに溜めてた50枚近くの副将器券を叩きに叩くが一向に揃わず、このまま縁を使用かと思ったとき
最後の1枚の将器券で赤3ができました
わざわざ最後に持ってくるとかこれもあいつの悪戯か、と思い笑ってました
帰りに2人でアロハ君について語った際、会った友人に
「今日は会えてよかった、1人でこの状況だったら気持ちが落ち着かなかったよ」
と言われました
帰りのバスの中、夜景を見ながら眺めてたときに、この事を思い出すと
また涙が止まりませんでした(流石に声は抑えるように我慢しました)
1人でいるとってこういうことだったんだなと
自分にできる範囲でやれることはやってきたつもりだけども
まだやり足りなかったり、やれたことがあったんじゃないかと
次にあいつに顔見せる時に何かできないものかと考えてたりもします
自分の中では1つ、あいつが見れなかったところに連れてってやろうと考えてます
最後に:
ここまでの長文に付き合ってくださった大戦プレイヤーの方々にお願いです
身体を第一にしてください
仕事もゲームも健康があってこそです
「大戦中に意識がなくなってそのまま病院に送られた」というのも耳にしたことがあります
またストレスも体調を悪くする一因だと思います
大戦をプレイしてて楽しいならともかく、負け続けてテンション下がったりするなら
一度止めてみてもいいんじゃないでしょうか?
今日がダメでも明日ならいいことあるかもしれません
アロハ君ありがとう、そして、お疲れ様
君の魂はこのカードと共に
記事を読んで幼馴染が亡くなった時の事を思い出しました。
小中高といっしょの学校でその後の付き合いもあった奴です。享年23歳だったかな。あの時はすごい寂しかったなぁ…
その時僕は何の支えにもなれなかったので変な話ちょっと羨ましく思いました。
ヨルルゥさん達の気持ちは十分に伝わっていると思いますよ。そしてこの投稿をしてくれてありがとうございます。
こういう事があったという事が知れて良かったです。
>槍呂布、俄何焼戈、張梁の「迅速赤3で城を殴る」デッキで覇者まで一気に駆け上がっていきました
なにこれ、開幕乙デッキ? 見た事ないし、ちょっとわかりにくいし、覇者まで?すごいな。
>病院から出たお昼も食べたはずなのにホントに病人か?と思うくらいです
癌は体力を吸いますからね、それを補うために体が栄養を欲していたのでしょう。
・
>杖を突きながらも片目で元気に大戦して
目の奥を手術して見えなくなったのでしょうか、司馬師とほぼ同じ道ですね。
>「必ず帰ってくる」
若年性悪性腫瘍は予後不良ですからね。まず無理なのは分かっていたはず。プレイスタイル通りの前のめりな言葉ですね。
・
>ツイッターでの知り合いがざわついていた
亡くなるとツイッターを書けるはずはありませんが、書いてくれと言い残していたのでしょうか、最後の配慮に感謝。
>仕事もゲームも健康があってこそです
同感ですね。私も年を取るにつれて風邪気味でゲーセンに行けない日も増えてきましたが、仕方ないですね。
大戦は歴史あるゲーム、時にはこういう事もあるでしょう、報告ありがとうございました。
友人が亡くなった記事に対して「いいね」するのもどうかと思ったのですが、人柄と多くの友達から愛されている様子が伝わってきました。
ヨルルゥさんも友達もアロハさんも良い友達と巡り会えて良かったですね。
ご冥福を祈ります。
読ませて頂きました。
命を預かっている仕事をしている事もあり、旅立った方を忘れない為に書き記すことは、私は良いと思います。
その方を忘れない限り、誰かの中で生き続けてると考えてます。
突然のコメントですみません。
ご冥福を祈ります。