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まだまだいるぞ新規枠の袁家武将(切実)

by
柱の男
柱の男


>袁家武将って劉夫人に高幹・郭援も出たしゆーてももう出しつくされてると思うんですけど(笑)
今回ばーうpで2枚目陳琳だけだったけど、やむなしでは?(笑)


>もう新規で出せそうな武将いないでしょ(笑)





いいや!

限界だ

違うねッ!





まだだ、まだ袁家武将はいるのだ!
逸話やキャラクター性に事欠かない人物が…!



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袁譚の忠臣
●王修(オウシュウ)
字:叔治

青州の出身。

はじめ孔融に仕え、各地の県令(※今の県知事的役職)を歴任し、実績を挙げる。
196年、袁譚が孔融を追放し、青州刺史に着任すると、王修は招聘されて青州別駕(※その州のナンバー2的位置)に任命された。
袁譚は王修を腹心とし、信頼を置いた。

袁紹が亡くなった後の203年、後継者の座をめぐって袁譚と袁尚が争い、袁譚は敗れて南皮へ退却した。
この時王修は、青州軍を率いて救援に駆けつけた。袁譚は大変喜び、感謝の意を述べた。
さらに王修は、袁尚と和睦し、佞臣(恐らく袁譚をけしかけた郭図辛評のこと)を斬るよう進言したが、これは受け入れられなかった。

その後、袁譚は袁尚に対抗するため、曹操に一時降伏して、子らが婚姻関係を結ぶまでの盟約関係を築く。
しかし、無断で袁尚の旧領を占領してしまったことで、曹操の逆鱗に触れてしまう。
205年、南皮に曹操が攻め寄せると、王修はまたも救援に駆け付けようとしたが、今回は間に合わず、袁譚は一族郎党斬首に処されてしまった。

南皮に到着した王修は、獄門にかけられた袁譚の首を見るや、罪を恐れず慟哭した。さらに袁譚の遺体を弔いたいと曹操に嘆願し、許されると懇ろに埋葬した。

曹操はその忠義ぶりを賞賛し、礼をもって臣下に迎えた。
その後、王修は亡くなるまで官職を歴任。
魏郡太守になった際は、賞罰を厳格に定められた法を制定し、善政を敷いたので民衆から讃えられた。

また、後に晋の将軍として活躍する、若き頃の王基の才覚を見抜くなど人物眼も持ち、優れた人格者であった。





豪胆秘書官
●李孚(リフ)
字:子憲


袁尚に仕えた主簿(秘書官)。
204年、袁氏の都であるギョウ城が曹操に包囲された際、遠征から戻ってきた袁尚は、ギョウに籠城する審配の援軍に向かったが、曹操軍の包囲は固く動けずにいた。

この時、李孚は自ら、審配に援軍到着を知らせる使者になることを願い出た。
李孚はたった3人の供だけを連れ、身なりを曹操軍の都督であるかのように偽装包囲する曹操軍を騙し通して通過し、悠然とギョウ城に入ってしまった

このあまりに鮮烈な突破劇に、城内の審配軍は太鼓を打ち鳴らして喝采を挙げ、曹操も「してやられたわ」と苦笑するばかりであったという。

見事に入城した李孚は、援軍の来着を知らせた後、食糧の節約のため、城内の老人・子どもを曹操軍に降伏させるよう審配に提案した。
審配はそれに従い、降伏を実行。
その最中に李孚は城を脱出し、袁尚のもとに帰還した。

しかし、その後袁尚は曹操軍の攻撃を受け敗退、李孚は主君と離ればなれとなり、やむなく袁譚に仕え、平原を治めた。
(※バチバチしてる袁尚の主簿にも関わらず、袁譚が素直に迎え入れたのは、↑の突破劇のような豪胆さで、家中での李孚の声望が高くなっていたから。かも?)

205年、袁譚が曹操に無許可で袁尚の旧領を占領。激怒した曹操に袁譚は討伐され滅亡する。
李孚は曹操の下に出頭してから、平原城内の混乱を収拾。
そのまま仕え続けて、70余歳の頃には司隷校尉(※朝廷内の大臣たちの監察官)にまで昇進している。





凡庸な兵糧輸送隊長
●韓猛(カンモウ)/韓荀(カンジュン)/韓若(カンジャク)
字:不明

正式な名がいまいち判然としない男。
別名とされる名が2つもあるが、
『演義』でも採用されている「韓猛」が最も有名。
ちなみに『蒼天航路』では、「韓荀」が
採用されている。




袁紹配下の将。
荀攸の評によれば、「向こう気が強く、
敵を軽んじる男」で、猪武者だったようである。

官渡の戦いでは、曹操軍の西方を封鎖するよう袁紹から命じられ行軍するが、曹仁に撃破され成せず。

さらに大軍を擁す袁紹軍の生命線とも言うべき、兵糧輸送隊の警護という重大任務を担ったが、荀攸の計略により、曹仁・徐晃史渙の急襲というオーバーキルを受け、兵糧を焼き払われてしまった。
以後、韓猛の消息は不明になる。


『演義』ではこの後の顛末が追加されている。

大事な兵糧を焼き払われたうえにすごすご帰ってきた韓猛に対し、袁紹は大激怒。
即刻処刑を命じるが、諸将が取りなして命は救われる。
が、一介の将軍から雑兵に降格させられてしまった。。。



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ガチ枠2、ネタ枠1のバランス!
(※韓猛なんかは絶対に山本章史先生に描いてほしいぞ!)

ゆーても袁家に仕えている頃より曹操に降ってから活躍した人が多い(崔炎とか董昭とか辛ピとか)ので、なるべく袁家時代の逸話がしっかりある人を選定してみました。




こんだけキャラクター性のある人たちだったら、カード化される資格あるっしょ~
それが当然、正位置だッ!



全袁家民の皆様、次バーにこそ、次バーにこそ期待をして待ちましょう…!


運営様ほんま頼むで……次こそは
(¬皿¬)


 
更新日時:2019/10/06 23:18
(作成日時:2019/10/06 21:27)
コメント( 10 )
10件のコメントを全て表示する
柱の男
柱の男
2019年10月12日 10時20分

>おかかさん
兪渉将軍は横山三国志にも出てきましたね^^
「皆の者、この兪渉に続けーー」ズバーッ(瞬殺
追加1枚の怨念を終生忘れぬ…忘れぬぞ運営ィ…!🔥

柱の男
柱の男
2019年10月12日 10時22分

>ヤン提督
SR沮授。よろしい。本懐である。
那智上先生の美沮授はさすがに復刻しますよね!?

柱の男
柱の男
2019年10月12日 10時24分

>オノノクス
元袁術軍やから群雄か魏やな…
陳震もおるなぁ。どっちかというと蜀で出そう。
て紫増えとらんやないかいっ!!!(西田敏行

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