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史実解説ー三国志に至るまでの中華の歴史③ー

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燈蝋之斧
燈蝋之斧
こんばんは! 燈蝋之斧です!

気づけば断酒1ヶ月に突入していました。ドクターストップでもないのにここまで長く続くとは、我ながら驚きです。我慢強いのか、惰性なのか……。おかげでまあ、夜ぐっすり眠れるし体調的には良いことだらけではありますがね。

代わりにチョコミントが消費されている状況。甘い物が1日の楽しみというスイーツですね笑

んでまあ、今回は秦・前漢の時代を史実解説してみます。割と有名な時代だし、改めて解説するまでもないかもしれませんがね。秦あたりは教科書でも良く出てきますし。万里の長城とか兵馬俑や青銅器辺りはまあ有名ですよね。

例によって、全部語るには流石にキツイので今日は秦滅亡の理由と漢が長期政権になった理由、前漢初中期の漢の皇帝の紹介に留めておきます。ちなみにうちゃ、漢文帝がばり好いとーよ!(恋鐘ちゃん並感)

あ、②についてはこちらからどうぞ!

今回内容は、キングダムBADエンド(史実)なのでキングダム読者はお気を付け下さい。

では、始めます!


・秦(B.C221年〜B.C206年)
       ※帝国としての期間のみ記載


戦国の七雄最強で他六国を滅ぼした秦でしたが、帝国としては僅か15年しか持ちませんでした。期間にして5袁術年。袁術は短命政権の単位です。

理由はまあ色々ありますが(あっても困る)、とりあえず思いつくものを列挙していきます。なるべく、重大な順で↓


・始皇帝がすぐ死んだ
・始皇帝死後、後継いだ二世皇帝胡亥が無能
・政権の中枢に悪徳宦官趙高がいた
・無駄に難解な法&威張る秦役人
   観光地開発(万里の長城)に民心が離れた
・郡県制のため、反乱が起きた際の初動が遅れた
・六国の王族がまだまだ生きてた
・反秦軍に項羽や劉邦というガチ英雄がいた



まあ、端的に言えば政権を安定させるべき黎明期に動きすぎた挙句、始皇帝死亡。2代目がガチ暗君で宦官の傀儡。何も起こらないはずかなく……って感じです。

ちなみに、二世皇帝胡亥には良く出来たお兄ちゃん(扶蘇)がいたのですが、宦官趙高が李斯や胡亥と相談し、始皇帝の遺詔捏造して自害させました。ついでに、お目付け役の蒙恬も強制自害。

三国志にも遺詔捏造してる方いらっしゃいましたよね? なんで彼が忠臣扱いされてるんですかねぇ……。

でまあ、二世皇帝は贅沢三昧で民衆は労役に苦しみ、不満が増大。陳勝・呉広の乱という世界初の農民反乱が勃発しました。この話は教科書にもありますね。

この乱も最初は800人程度でしたが、瞬く間に全国に飛び火して各地の秦役人やら県令が殺害される事態となりました。

郡県制で各地に王がいなかったので、県令が殺されるとどうしようもなく、中央に報告が届くまでタイムラグがあり、初動が遅れたというのも反乱が大きくなった理由ですね。ま、中央に報告届いても趙高が握り潰してましたが。

亡国フラグが着々と積み上がってますね。

ちなみに、劉邦はこの時期に沛県で挙兵、項羽は伯父の項梁と共に会稽で挙兵、楚の王族懐王を担ぎ上げます。後に劉邦は項梁に合流、共に秦を倒すべく共闘します。

最初は劉邦と項羽は仲間だったんですよ。義兄弟の誓い立てたりね。

でまあ、流石に秦も対応すべく章邯に囚人二十万を与え兵とし、反乱鎮圧を任せます。章邯が名将なのもあり、陳勝軍は撃破、項梁も殺害されます。

その後、懐王は劉邦と項羽に「関中を先に落とした奴に関中を与える」と言い、軍を二手に分けて秦の都咸陽へと進軍させました。

主人公2人のRPGでありがちな展開。

んで、色々あって項羽より兵が少ない・弱い・進軍ルートが遠回りの三拍子揃った劉邦が先に関中に到達、趙高に殺された胡亥の後継いだ三代目を降します。え? 文書が矛盾してるって? それは後で説明します。あ、趙高は三代目に殺されてます。

それでまあ、秦は滅亡。短い政権でした。

あ、章邯は項羽と戦って結局、降伏してます。趙高に疑われて一族皆殺しにされたからね。趙高とかいう全力でアンチ秦する奴。なお、部下の秦兵20万は項羽に生き埋めにされました。古代中国は生き埋めの桁数がヤバイですね。

劉邦が先に関中に着いたのは、降伏者の生命と地位を保証して基本、戦わずに勝ったから。逆に項羽は皆殺しにしてたので、抵抗が激しくルートは短くても進軍は遅かった。まあ、殺されるのわかってたら、全力で戦いますよね。

てな訳で、秦終了。漢楚決戦は尺的にスルーして、勝利者の劉邦が建てた漢を説明します↓



・前漢(B.C206年〜A.D8年)
        ※漢楚決戦の時期含む


さて、項羽を倒した劉邦ですが、皇帝になってからはあまり評判はよろしくありません。主に後世の方々に。

あ、別に無能だとか圧政を敷いたからだとではないです。逆に君主として有能だったから、あんま評判が良くない。

ズバリ、功臣の粛清をバンバンやりました。韓信、英布、彭越とかね。義兄弟の樊噲すら、殺されかけました。ま、韓信については直接やったのは呂后ですが。

私個人は、マキャベリズム寄りな方なので劉邦の粛清行為は別に批判する気ないです。韓信は実際謀反企画してたし、英布は元項羽配下で気が強いし、実際謀反した。彭越はまあ賊あがりだしね。粛清される側にも要因はありました。盧綰や樊噲は流石にやり過ぎだろと思いますが。

ただ、この時期に功臣を排除したおかげで、前漢は結構安定しました。劉邦死後、大規模反乱はなかったしね。呂氏専横に呉楚七ヶ国の乱とかあったけど、晋末のゴタゴタに比べりゃ月とスッポンレベル。

だから、建国者としての劉邦はかなり有能。良くも悪くも、皇帝のお手本です。まあ、范増憤死させたり、劉邦の絶対絶滅の危機を何度も救ったり、韓信失脚に手を貸したり、呂氏族滅した超有能腹黒軍師の陳平がいたからね。司馬懿と賈詡と郭嘉を足して割らない位有能だから。

余談ですが、劉備はよく劉邦に例えられて話されてます。劉邦の気ありとね。確かに任侠でカリスマな所は似てます。ただ、劉備のライバルが曹操だったので劉備は天下取れませんでした。あと、人材の差。ぶっちゃけ、曹操と劉備は時代違えば天下統一出来てた気もします。項羽みたいな脳筋が敵ならなぁ……。

と、次からは劉邦以降の漢の皇帝を数人簡単に紹介して締めますね。


・恵帝(名前:劉盈 2代目)

劉邦と呂后の子にして、かなりのぐう聖。太子廃嫡の原因なり掛けた異母弟を母呂后の暗殺から守るべく、弟と常に寝食共にし、異母兄を呂后の暗殺から守るべく、呂后が仕掛けた毒杯を自分が代わりに飲もうとした優しい漢。なんで、この両親からこんな出来た子が産まれたんだ……。

なお、弟は守れず殺され、呂后がやった人豚(スプラッタなため検索しない方が良い)を見て落胆。酒を浴びる程飲んで若死にしました。

後世の評価は可もなく不可もなくかな? 在位期間短いし、呂后が悪目立ちするから影薄い感じです。


・文帝(名前:劉恒 5代目)
   ※呂后専横時の少帝含めた場合


呂氏族滅後の皇帝。5代目だけど、劉邦の子。母は薄氏。母が倒れた際、皇帝ながら自ら薬の毒味を行い、看病した親孝行な人。後、自分への謀反企画した弟が自害した時には、泣いて食べ物が取れなくなったぐう聖。皇帝になるのを何度も断ったりもした。歩皇后並の性格の良さ。

劉邦の子はぐう聖多目ですね。

母の薄氏もかなりまともで、権威をふりかざすような事はしませんでした。功臣の冤罪逮捕を文帝にキレたり、匈奴征伐を諌めたくらいです。どちらも、まともな理由ですね。

正直、文帝はかなりの名君です。有能だけど直言する袁盎や周亜夫を重用し、息子の景帝にも頼るようにいったりとかなり器が大きい。民に対しても、減税措置を行ったりと良い皇帝です。異民族とも比較的仲良くやれてた。この時期はかなり国も豊かで、蔵の食べ物が食べ切れずに腐ったり、保管してた銭の糸が劣化して切れた(要は蔵に長く保管されてた)そうです。子の景帝の時期合わせ、文景の治と呼ばれる繁栄ですね。

ちなみに、私が一番好きな皇帝でもあります。歴代皇帝の中では目立つ方ではないですが、正統派で堅実な感じが好き。というか、嫌う要素がないですね笑


・景帝(名前:劉啓 6代目)

この投稿唯一の三国志要素ある皇帝。というのも、劉備に劉表、劉焉の祖先が景帝と言われているから。ええ、劉備・劉表・劉焉はルーツが同じなんです。

皇帝としては、父親同様名君で善政を敷きました。ただ、在任中側近の鼂錯の言に従い劉氏の諸侯王の領土削減をしたために、呉楚七ヶ国の乱を招きました。ただ、これは袁盎や周亜夫を上手く使い鎮圧。これにより、結果的に中央集権化が出来ました。

なお、皇太子時代に呉の王子を囲碁のルール解釈口論からブチ切れ、碁盤投げて殺した逸話が景帝にはあります。大人しそうに見えてキレたらヤバイあたり、流石劉備の祖先といった所。


とまあ、文量長いので以上。武帝やら宣帝も名君だから語りたいけど、キツイので割愛します。

全体的に前漢は名君多目です。後半五十年辺りは微妙でしたが、百五十年位は割と良かった感じ。劉氏のブランド力が後世大義名分になるのは、こういった歴史があるからですね。

次は、新と後漢を解説して終わり! また、三国志の時代に戻ることにします。流石に三国志から時代離れ過ぎましたし。

では、失礼!
更新日時:2019/09/26 22:02
(作成日時:2019/09/26 21:48)
コメント( 7 )
7件のコメントを全て表示する
柱の男
柱の男
2019年9月28日 18時52分

春秋戦国大戦でSRレキイキとSR范増出せ👊

燈蝋之斧
燈蝋之斧
2019年9月28日 19時54分

>>Chaosさん
大局的な視点では動いてませんね、趙高。コイツがいなければ秦は長生き出来た可能性が高まるかと。
項羽は戦は強いものの、兵站軽視で補給線を彭越に切られて撤退するケースが多かったですね。劉邦は蕭何いたし、韓信の別働隊を上手く使ってました。
項羽は単体で無双するので、部下も精強でした。3万対56万で勝つとか、最後も徒歩で項羽一人数百人倒すとか武力がヤバイのです……。
>>guriffon315さん
中国は広いので、地方統治をどうするかは歴代王朝もかなり苦労してますね。最初は王をおいて、次第に権力削ぐのが一番ベストかなぁ……。前漢は劉邦が上手くやった気しますね。
>>おかか容疑者さん
まあ、金持ちのお嬢様がぐうたらな夫に嫁ぎ、時に人質にされて、息子と娘捨てられそうになり、やっと落ち着いたら自分の子廃嫡にされそうとかキレる理由もわかります。一応、民政は悪くないし、劉邦の寵愛薄い薄氏には手を出さなかったしで、理解出来る部分もあるんですがね、呂后は。

燈蝋之斧
燈蝋之斧
2019年9月28日 20時3分

>>金村保坂非道さん
袁紹の忠臣審配と、佞臣審配は別物ですな!
汗ェ……。計略は強いものの、漢鳴だから撃つタイミングバレてるというダメ計には厳しいデメリットありますよね、審配。というか、一人だけ何故漢鳴なのでしょう……?
>>柱の男
レキイキは3/9伏柵弓の妨害っぽい。范増は呉礎みたいな計略になりそう。というか、漢に張良や陳平いる時点で妨害ヤバイし、項羽勢力詰んでないかい?

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