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史実解説ー孫権と蜀外交官達ー

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燈蝋之斧
燈蝋之斧
こんばんは!燈蝋之斧です!

バージョンアップ日、決まりましたね! いつもよりも、サブタイトル名がよくわかりませんけど。伝承の煌弓……諸葛弩関連とかかな? なんか、コナン映画タイトルにありそう。名探偵コナンー伝承の煌弓(ロングボウ)ーみたいな?

それはさておき、今日は孫権と蜀外交官というテーマで史実解説してみたいと思います。呉王の愛した文官とか言えば、なんか感動系映画みたいですね。

1リットルのお酒、いま諌めに行きます、この宴会の片隅に、とかだと感動要素なさそうな映画になりますね。

具体的には、鄧芝・宗預の2名の孫呉絡みのエピソードを紹介していきます。鄧芝は皆さん知ってるかと思いますが、宗預はあまり知らない気がします。カード化されてないですしね。

とりあえず、孫権の好きな順で紹介してみます!

あ、今日は人物の来歴とか省きます。あ、2番目人気の費禕は董允と併せて、またどこかで紹介します! 孫権絡みの逸話より董允関係で紹介した方が話膨らむので、省略!

では、はじめます!


鄧芝(字名:伯苗 生没年:???〜251年)
孫権の指名NO.1キャバ嬢。賢く可愛い鄧芝ちゃん。Google検索で鄧芝と入れると、かわいいが候補に挙がる。検索してるの孫権だろ、多分。


とまあ、三国志大戦での彼(彼女?)の話は置いといて、史実での話をします。


えっと、凄く言いづらいですけど、鄧芝ちゃんは男です。……しかも、どっちかと言うと魏延みたいなプライド高い系の。

……夢を壊して、ごめんなさい。三国志大戦での彼は多分、孫権視点での容姿で描かれてるんだと思います。魅力も多分孫権に好かれたから付いた感じです。ぶっちゃけ、孫権以外に魅力付きそうなエピソードがないというか。むしろ、勇猛とか城付いてた方が分かる感あります。
 
というのも、彼は部下には慕われていましたが、怒りが顔に出やすくて同僚には傲慢な態度だったのであんまり好かれてなかったんですね。魏延と同郷で劉備抜擢組だから、まあ性格に難はあっても仕方なし。だから、孫権の性癖にブッ刺さったのは割と不思議。タイプ的には、張昭や朱拠に似てる気がする。私財を残さずに部下に施したり、立派な人ではあるんですけどね。

蜀に清貧で質素なタイプ多いのは、諸葛亮の影響かな?

彼が孫権と初めて会ったのは、劉備死後で呉が魏に形式上臣従してた223年の事夷陵の敗戦後、孫権は成都に帰らず永安に留まった劉備を恐れ、和睦を申し出ました。劉備もこれを受けたので、この時期は蜀呉で停戦状態にはなっていました。

ただ、呉には親魏派の張昭が居たので、蜀との外交に孫権は当初消極的でした。鄧芝が訪問した際も、すぐには会えなかったみたいです。

孫権は鄧芝に会った際、蜀の君主(劉禅)が幼い事や関羽の件を上げ、蜀との同盟に難色を示しました。これに対して、鄧芝は蜀と呉が結べば魏に対抗出来る事、また魏に臣従していたら孫権の入朝や太子(孫登)を人質に要求され、断れば魏が攻めてくる事、そうなれば蜀も呉を攻める事を孫権に伝えました。

実はこの時、曹丕は孫登を人質に出す様に要求しており、また孫権の出した使者を無理矢理部下にしようとして自殺させてしまったりと、かなり呉に対して高圧的でした。だから、鄧芝の言っている事はかなり当たっている内容になります。

孫権は鄧芝の言を受け、蜀との同盟を結ぶ事を決意。鄧芝を賢者と褒め、返礼として蜀に使者を送りました。蜀も再度、鄧芝を派遣し、ここに蜀滅亡まで続く蜀呉の同盟が成立しました。

その際、孫権と鄧芝はこんな会話をしています
(孫権視点での超意訳注意)↓


孫権「もし、魏を倒す事が出来たら、呉と蜀で二国ずっと仲良く出来たら良いよね?」

鄧芝「うーん……。でもでもっ、そうなったら、お互いの国も頑張るし、国力も増していくから、自然に蜀と呉で戦いあう流れになるとボクは思うなー? だから、戦おうよ!」

孫権「正直な鄧芝ちゃんなら、そう言うと思ってたよ! だから、好きっ! カワイイ! 結婚しよ?

孫権を変態にするのはNG。

普通に考えたら、鄧芝の言ってる事は大分失礼なんですが、正直で率直な子が好みの孫権は大笑いして喜びました。

そして、孫権は諸葛亮に対して手紙を書き、今までの蜀の使者は微妙だったけど鄧芝は最高! 同盟は全部鄧芝のおかげ!と伝えました。

その後も、孫権は事あるごとに手紙やら贈り物を送る位、鄧芝の事を気に入りました。正史だと、孫権に一番好かれた蜀の外交官と評価されてます。

怪しい匂いがしますねぇ……。

ちなみに、孫権の元に使者として行った時期は彼が40代の時です。やっぱり、孫権視点のカード化なんじゃ……。


宗預(字名:徳豔 生没年:???〜264年)
多分、蜀マニアしか知らないであろう方。蜀によくいる剛毅な老将系武将でもある。

黄忠はじめ、廖化や鄧芝、張嶷、張翼、宗預と平気で70〜80代で将軍やってる武将が蜀多過ぎィ! 君主も割と長生きだし、蜀は健康ランドかなんかなの?

彼が最初に孫権と対面したのは、234年の諸葛亮死後の事。諸葛亮死後に孫権が蜀の国境の兵を増やした事に対し、蜀も呉の国境の兵を増員。軍事的緊張感が生じた事から、宗預が呉に使者として派遣されました。

以下、超意訳↓

孫権「蜀はなんで兵増員したの?」

宗預「それは、呉が兵増やしたからだよ。情勢の変化でこういうのはよくある事だし、お互い質問する意味ないでしょ」

宗預の直裁過ぎる言い方に、正直で率直な子が好きな孫権はまたも大笑い。鄧芝・費禕の次に気に入りました。

あ、なんで呉が兵を増やしたかと言うと、諸葛亮死後に魏が蜀を攻めるのを見越して、表向きは蜀を援護、裏向きには蜀を掠めとろうとしたからと言われてます。それを踏まえると宗預の返答は、模範解答っぽいですね。

このやり取りで、呉と蜀の緊張感は溶けました。

ちなみに、宗預は247年頃にも呉へ使者として訪問。孫権と対面しております。その際、宗預は自分も年だからもう会う事は出来ないだろう、と伝えました。

これを聞いた孫権は、宗預の手を取り、同盟を今まで取り持ってくれた事のお礼と自分も年取ったから、もう会えないと泣いてしまいました。

そして、これを私だと思ってという意味で宝玉を一つ宗預に渡しました。

アレ? 孫権の方が乙女メンタルじゃない?

まあ、この時期は孫登死んで、陸遜も死んだ二宮の変真っ只中周りが諸葛恪やら孫峻やら奸臣ばっかだし、色々とセンチメンタルになってた可能性はあります。

あ、宗預は264年死去なので、実はこの対面後15年以上生きてるんですけどね。この後も普通に将軍として働いてたし。

おじさんが活躍する中日ドラゴンズみたいな蜀。


……とまあ、以上です。

個人的に思うのは、孫権って直接的に利害関係ない人にはまともだなーって事。

あと、潘濬をベットで口説き重用した(語弊があるが事実)件といい、呉の名士以外で新参者にはかなり優しい。

私の思うに、史実の孫権ってかなり純粋というか、プラトニックな所があると思うんですね。孫登や歩皇后の話とか見るに。

よくよく考えてみると、孫権って劉備における関羽・張飛や曹操における夏侯惇みたいな、寝食共にし絶対裏切らない配下兼親友・兄弟がいないと思うんですね。兄の孫策は周瑜がいたけど。

ここら辺が、二宮の変や晩年の孫権の疑心暗鬼ぶりの遠因に繋がってる気もします。まあ、自分の子供より部下を優先しちゃう曹操と劉備のメンタルが異常なんですが。息子より典韋の死を悲しんだり、家族投げ捨てて逃げる奴よりは人間的にはまともだと思います、孫権。

だからか、利害関係なく本音でぶつかってくる鄧芝や宗預に好感抱いたのかなーって気が私にはするんですよね。

個人的に、ネタにはするけど嫌いじゃないです、孫権。曹操・劉備に比べて人間臭い所は好き。親父や孫策よりも、好きですね。

少し長くなりましたが、以上です。

長文失礼しました!

あ、明日の佐々やんおじさん杯に参加する方、よろしくお願いします! まだまだ参戦募集中ですので、ご都合の良い方はご参加下さい!

では、失礼!

 
更新日時:2019/04/19 19:48
(作成日時:2019/04/19 19:48)
コメント( 13 )
13件のコメントを全て表示する
燈蝋之斧
燈蝋之斧
2019年4月21日 22時12分

>>yunatogirlsさん
かなりタイムリーですね。費禕は語れる逸話が多いので、また書きます。
二宮の変はまあ孫権自身の問題もありますが、周りの状況も最悪でしたからねぇ……。ただ、劉備や曹操なら二宮の変は起こさなかった気もします。
張嶷も宗預も割と真っ向からぶつかるタイプっぽいので、君臣関係にない間柄としては、失礼にならない範囲で本音を話してくれるのは、孫権としても嬉しかったのかもしれません。呉がまあカオスな権力関係だから、息抜き的な?
宗預はまあ光栄三国志にもいるか、怪しい武将ですので笑
蜀滅亡後、晋に護送中に死亡ですね。カード化したら、将器は同盟者は確定でしょう。

221
221
2019年5月17日 8時23分

劉備に義兄弟、曹操に従兄弟って流れは孫権には張昭ではないかなって思いました。
この投稿読んだら、孫権が好きそうだなぁ、と。晩年の孫権は〜って言われる辺りも張昭が死んでからって話もあるみたいですし。

燈蝋之斧
燈蝋之斧
2019年5月17日 18時30分

>>221さん
言いたい事言っても大丈夫って点なら、確かに張昭ですね。ただ、君主と臣下の括りの範囲な気もします。
晩年は陸遜位しか諫言役に適任なのいないのに、陸遜は荊州駐屯でしたからねぇ……。魯粛や周瑜みたいな大功ある旧臣がもう少し生きてれば、マシだったかもしれません。

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