どうも、燈蝋之斧です!
とても今更ですが、最近ようやっと正史三国志の日本完訳を買いました。ちくま学芸文庫の奴。やっぱりオリジナルに近いのは、学術書の類になりますなぁ。
あ、全部一気に買うと余裕で一万円越えるので、とりあえず魏書1と蜀書1だけ買いました。全部買っても良かったけど、興味がある奴だけ。
え? 呉書がないって? 宴会話がメインだろうから、読まなくてもヘーキヘーキ(偏見)
今日は、劉備の妻達(糜夫人・甘皇后・孫尚香・穆皇后)の史実解説をしてみます! いや、最近甘ちゃん使う機会多かったし、良いかなーって。
いっちゃえ、いっちゃえ!
三国志演義しか知らない人にとっては、割りかし意外な話もあるかと思います。ま、とりあえず見てって下さい!
では始めます。
①糜夫人
記録に残る劉備最初の正室。あ、でも妻としては甘皇后のが婚姻も早いし長いです。名前から分かるように、糜竺・糜芳の妹です。糜竺が大金持ちなので、彼女は良い所のお嬢様だった。
劉備との婚姻は、糜竺が進めた政略結婚の形式。劉備が呂布に圧されて家族や地盤を失った際に、下僕二千人と多額の金銀貨幣と共に嫁入りしました。
糜竺、スゲー金持ちやん。というか、忠臣やん。
ただまあ、知っての通り劉備は家族投げ捨てるタイプなので結婚後も呂布やら曹操に捕まります、彼女。史実では劉備離反後の徐州で曹操に捕まって以降、登場しません。演義であった井戸ダイブもなし。殺害されたんかなぁ……。
糜竺や糜芳も劉備に付いて、漢の官位を投げ捨てて劉備に付いていったので、殺害される動機はあるしなぁ……。
あ、劉備の側室の甘皇后とは仲良くやってたみたいです。優しいお嬢様タイプだったのかな?
劉備との子供は記録上では確認出来ず。夫婦だった時期も四、五年くらいだったみたいだし、いなくても普通かな。まあ、劉禅には姉や兄が何人かいたらしいのでその母だった可能性はあります。親子諸共、死んでそうだけど。
冷静に考えて、初期劉備陣営はかなりブラックよね。
実は彼女、正史に伝がない。だからまあ、語る所はそんなにない事実。
個人的には、蒼天航路の彼女が劉備の妻としてかなり立派だった印象。孫尚香も良かったけど。甘皇后は普通。穆皇后は……いたっけ?
②甘皇后
記録に残る劉備一番最初の妻。劉禅の母としても有名。扱いを見るに、劉備が一番愛した女性だった気がします。結婚して一番長く連れ添った人ですしね。また、彼女だけ政略結婚でないので、劉備が自由意思で選んだ唯一の妻です。要は、正ヒロインですよ、正ヒロイン!
一説によると、劉備と結婚したのは194年で彼女が18歳の時。劉備はその時、33歳位。ギリギリロリコンではない、合法ラインです。
義弟(五虎将)は14歳を攫うロリコン誘拐犯だったね。
ちなみに上記計算だと、劉禅は彼女が31歳位の時の子。夫婦歴の長さを見るに、劉禅の兄や姉の母だった可能性はあります。
また、彼女は身分が低かったものの劉備の正室がすぐいなくなる中、彼女だけは昔からいたので奥向きの事は彼女が全部やってました。劉禅の母なので死後に皇后の座を追贈されてもいます。
長坂の戦いで劉備に置いてかれても、趙雲に救われるし彼女も運と逃げ足が相当良かったのでしょう。流石は劉備の嫁。
没年は、209年位? 赤壁後に死んでいるのは確かです。そうか、劉禅は3歳位でお母さん亡くしてるのか……。お母さんの代わりに王貴人にガンバしてもらったんだな……。
性格は彼女の伝での諸葛亮の発言を見るに、優しくておおらかなタイプ。まあ、あんだけ流れた劉備に付いていってる訳だし結構凄い女性ではある。あと、賢く可愛い甘皇后!だった模様。
個人的には、三国志大戦で一番好きな女性武将。劉備と劉禅併せて好きです。というか、三国志大戦始めた当初は象甘皇后ばかり使ってましたしね。思い入れあるのよ。
③孫尚香
劉備の二番目の正室で、あのアルハラ厨房(孫権)の妹。当たり前だけど、政略結婚。って、良く考えたら劉備は孫堅の義理の息子で孫策の義弟になるのか……。孫パパや孫策も生きてたら、驚いただろうな。
えー、単刀直入に言います。史実の彼女は結構なDQN妻です。いや、ヤンキー嫁かな。というか、孫策やアルハラの妹が普通な訳がないでしょう、常識的に考えて。
結婚は甘皇后が死んだ後。荊州南部占拠〜益州進行位までの間です。時期的には、209〜212年辺り。かなり短い。
彼女の性格は、兄弟譲りの強気で剛勇。劉備の妻達の中で、数少ない我の強いタイプです。というか、呉の荒くれを引き連れて法を無視して色々やってたみたいです。
流石は小覇王と酒乱の妹。
だからか、劉備との仲はかなり悪かった。そして、諸葛亮にははっきり国内の脅威扱いされるなど結構な悪妻でした。まあ、若い娘が突然他国に嫁入りさせられたらグレるよなぁ。
ただ、素行の悪さはかなりひどかったので、趙雲が家内の目付けに任命されました。ヤンキーお嬢様とイケメン執事ですね。ロマンスもなく殺伐としてますが。
最後は呉に帰っておしまい。その際、劉禅を呉に連れて行こうとしたのは事実みたいです。複数史書に記載あるしね。まあ、趙雲が劉禅を連れ戻しましたが。
劉禅を守る事に定評のある趙雲。
劉禅を呉に連れて行こうとした意図は不明ですが、多分孫権の命令とかで人質にでもするつもりだったのでしょう。実は母性愛があったとかだと面白いけどね。丁夫人みたいな感じで。
あ、劉備との子は勿論居ません。あと、蜀にも呉にも彼女の列伝はなし。実は名前もわからない。孫尚香は仮の名前という訳です。
演義との違いが相当ある人だと思います。
④穆皇后
劉備最後の正室。呉懿の妹で、故劉瑁(劉璋の子)の妻。劉備の妻で唯一の人妻。正史に彼女の伝はちゃんとあります。
彼女との結婚理由は、劉備が漢中王に即位する際に部下から勧められたからというもの。流石に王様に皇后いないとアカンでしょ、という事が理由です。
でも、劉備は当初あんまり乗り気ではなく、同じ劉氏の妻を娶るのは礼教に反すると反対してます。趙雲が樊氏降ったのと同じ理論ですね。曹操なら気にしなそうなのに、蜀はお堅いなぁ。案外、劉備自身は孫尚香で結婚に懲りて独身貴族したかったのかもしれないけど。
ただ、これについては法正が説得しておさまりました。法正のお願いは劉備も断れないからね、仕方ないね。
特に劉備と上手くいってなかったという記述もないし、仲はまあ良かったのでしょう。穆という諡号から察するに、大人しく慎ましいタイプですし。あ、張春華さんと同じ諡号だから信用出来ないとか言わないの! 張春華さんもウラオモテノナイイイヒトデショー?(洗脳済み)
劉備との子は恐らくいない。劉永・劉理は妾の子です。演義では彼女との子ですがね。政略結婚だし、王太子の劉禅の立場も考えてあえて穆皇后との子を作らなかった……というのが、私の独自見解です。
没年は245年。特に政治に口出した訳でもなく、主立った事績は特にありません。呉懿も特に外戚としてやらかした訳でもないし、蜀は黄晧来るまでは権力構造まともですね。
……と、以上です。
まとめると、劉備は割と大人しめな人がタイプだったように思いますね。
ただ、劉備の婚姻は他の二英傑(曹操・孫権)と違い政略結婚が殆どです。甘皇后位じゃないのかな、自分の意思で選んだのは。意外と女性に興味ないタイプ?
まあ、劉永・劉理がいるので妾はいるんですがね。結婚はせずに遊ぶタイプなのか、劉備は。
元々、遊び人だしね劉備。
擁護としては、劉禅が身分の低い故人との子なので、変に後宮を拡張して寵姫を作り、劉禅の対抗を産んで内乱が起きるのを避けた節はあると思います。袁紹やら劉表の後継争いを誰よりも間近で見てるし、色々学ぶ所はあったのでしょう。
アルハラは悪しき先例が沢山いたのに、なんであんな事になってしまったんだ。
まあ、漢中王即位の際に劉禅を立太子してるし、後継問題は起きなさそうですけどね。劉永・劉理も妾の子だから、後ろ盾もないし、穆皇后から見ても全員他人の子だし。
えーと、解説は以上です!
長文、お読み下さりありがとうございました。
では、失礼!
三國志は奥が深い!!
私は三國志を知れば知るほど、横山先生の影響で蜀が好きでしたが‼️大人になり深く時代背景を知ると、司馬懿が好きになりました。晉推し( ´,_ゝ`)
面白かったです!
若い頃から流浪してたから「家族はいざというとき荷物(弱み)になる」って発想があったのかも知れませんね
こんにちは
孫呉は孫登がこれからって時に病死したのが痛かったですね。
30超えたら死ぬとか思わんやん普通…
蒼天での両夫人のやり取りありましたね!
リクエストで曹操側も知りたいです。
卞皇后の正室になった経緯が史実だとどの様なのか知りたいです!
まぁ劉備は長坂の戦いで劉禅を命懸けで救ってきた趙雲に「子はまた成せばよいが、お前の様な忠臣は……」
とか言ったり、諸葛亮に遺言で色々言ったりと自身の親族にそこまで拘ってない節がありますね。
真実は小説より奇なり……本当はどうなんでしょうかね?(^_^ゞ
とは言え、今回も本当に面白かったです♪(*´ω`*)
……ところで、劉封は? (´・ω・`)
尚香と劉備実際は仲悪かったんか
蒼天ではめっちゃイチャイチャしてて、お互いさっぱりしたええカップル感あったのに……。
王貴人にガンバ(意味深
好いぞ好いぞ
先日の劉備の字名、何かで見たなと思っていたら宮城谷三国志にありました。(以下引用)
「老子」のなかに
生じて有せず、為して恃まず、長じて宰せず、是れを玄徳と謂う。
産みだしても所有せず、成功しても誇らず、そこで最高になっても支配するようなことをしない。それを玄徳というのである。
極道の妻たち。面白かったです。
蜀に毒のある女性少なすぎるのはこの劉備の奥さん達のイメージが強いからかもしれませんねー。
>>蓮琴さん
横山三国志は晋までやりませんからねー。晋は色々調べていくと面白いですね。司馬懿は自分も好きです!
>>けいとさん
いえ、お読み頂きありがとうございます!
元々根無し草なのと、当時は親が子を捨てるのは問題ないという考えがあった事のダブルコンボな気がしますね。まあ、あれほど露骨にやったのは劉備くらいですが笑
>>どうしよう?さん
こんにちは!
まあ、孫登立太子までは孫権も迷ってなかったので、呉は運が悪かった感はありますね。二宮の変は防げたとは思いますが。
>>春涼さん
蒼天は女性も印象に残る人多かったですね!
卞皇后は逸話も結構あるので、甄姫と併せてやりたいですね。
また、投稿しますよ(^^)
>>ジェイムズ9さん
お読み頂きありがとうございます!
実際、親が子を捨てるのは当時の価値観では別に非難される事ではありませんでした。ただ、劉備はあまりにも親族に拘らな過ぎたと思います。まあ、それで正解だった気もしますが笑
劉封はその養子ですし、カウントしてないというか……。扱いが微妙なので、言及してませんでした(´・ω・)
>>柱の男
まあ、年の差めっちゃあるし、アルハラの妹と劉備ではお互い気も合わないでしょうよ。孫尚香自体は嫌いではないけどね。
>>劉禅の夏休みさん
王貴人にガンバされたら、暗君になっても仕方ないね!
>>新人魔術師さん
おお、玄徳の由来見つけたのですか!
ありがとうございます!
老子からの引用とは、曹操と同じ史書関係の命名なんですね。その場合、備は玄徳を備えるとかの意になるのかな? 結構変則的な命名な気もしますね。
>>おかか容疑者さん
お読み頂きありがとうございます!孫尚香はまさに姐さん感ありますよね。
言われてみれば、蜀は三国志大戦でも回復ばかりで毒ありませんね。妻同士の争いが無かったからかな? 良い事だと思います!
劉備と孫尚香の話は三国志関連のドラマやアニメではよく出てきますよね
呉との絡みもあって話を広げやすいからでしょうか
若くして政略結婚させられたのに健気に劉備を慕う孫尚香、とかの方が印象は良いと思いますが、やはり実際は違うんですね
>>亮+さん
孫呉のお姫様と主人公といった設定映えのする組み合わせですからね。好まれやすい題材な気がします、劉備と孫尚香。
史実は残酷というか、リアルですね。残念ですが笑
>史実では劉備離反後の徐州で曹操に捕まって以降、登場しません。演義であった井戸ダイブもなし。殺害されたんかなぁ……。
…え。てことは、関羽の千里行もフィクションだったって事ですか? んー、まあ曹操がいかに人材コレクターだとしても、降将にサービスしすぎのような気はしていました。当時の常識からすれば、敵は三族皆殺しですよね。あーあ、史実はやっぱりそんなもんだったのか…。
>>yunatogirlsさん
関羽が降って曹操に厚遇されたのは事実ですが、千里行はフィクションですね。曹操が関羽に追っ手を差し向けなかったのは事実みたいです。
まあ、五関も突破されてお咎めなしは流石に駄目でしょう。関羽関係は演義だと割と盛られてますね。
よくわかりませんが、演義だと色々盛られていそうなイメージがあります。正当な中華政府の代表たる魏はなるべくボコボコになってもらって、民衆びいきの蜀の活躍は八面六臂の大活躍にしてもらう、その方が人気がでると。…そのあたり、史実とどれだけ違うか知りたい気もしますね。
まあ関羽の忠義は本物らしいので良かったです。でも井戸ダイブは無かったんかー。