当方、11州の砦になんとか到達でき、
茶をしばいております🍵
優雅に茶をすすりながらヒマつぶしに書いてみたので、ヒマやったら読んでね😃
我らが殿こと、袁紹についてよく言われるのが、
「明らかに有能な参謀の田豊や沮授を冷遇し、奸臣で無策な逢紀や郭図を重用した、人材を見る目のない無能なトップ」的なレビュー。
結構、「三国志の人物に見るリーダーの資質」的な本て出てますけど、
大抵殿はこき下ろされるのがテンプレ。
結果だけ見れば、特に『三国志演義』での描写だけ見りゃあそうなんですが、
殿も殿で、用いる人材を剪定しなければならない事情があったのね。
それが袁家の参謀たちが形成していた二大派閥、″
河北派″と″河南派″の対立です。
□河北派
代表:河北出身の田豊、沮授
目的:袁家の本拠地であり、戦乱で荒廃・疲弊した河北の安定、復興が第一。
今後の方針:長期戦。献帝を奪還し、漢王朝の庇護者としての袁氏を目指すべし。
(=曹操の打倒)
■河南派
代表:河南出身の審配、郭図
目的:河北はあくまで兵士・物資の供給源と割りきり、中原制覇の足掛かりとなる河南を制するのが第一。
今後の方針:短期戦。もはや漢王朝に復興の余力無し。袁氏による新王朝を創始すべし。
(=曹操+漢室を廃す)
官渡決戦直前の袁家はこの二大派閥に別れ、対立していました。
途中、韓馥軍を吸収して拡張していった袁紹軍(※田豊、沮授、荀シン、張谷βあたりは元韓馥配下)
なので、根っから一枚岩ではなく、
「袁術派の打倒」
(※群雄割拠の時代は袁紹と袁術の二大勢力対立の時代。
袁紹派=袁紹+韓馥、曹操、劉表
袁術派=袁術+孫家、公孫瓚、陶謙に別れ、争っていた)
「河北に争いの火種を生む公孫瓚の討伐」
というみんなの共通目標を達成してしまったため、このような対立構造が表面化したわけです。
河北を制し、次の戦略をどうするか、
どちらの派閥を支持していくか、
どの人材を重用していくか、
=
どちらの派閥・人材を切り捨てるか
殿はまさに王者となるための決断を迫られます。
こうなると、後は殿の事情次第…
事情①何進(=少帝)派だった殿にとって、董卓に推戴された献帝は否定すべき存在
事情②陣営の厚さ的にも兵力数的にも決戦したとして負ける要素が見当たらない
事情③劉表、孫策等、曹操より袁家に加担する有力勢力の方が多い
事情④漢室も無理っぽいし、どうせなら袁王朝創始したい…したくない?負ける気せーへんし名族やし
→A.河南派
「刻は来たっ!我が覇道、今こそ爆進せんっ!!!!」
作戦や、如何に!?
自軍
🔴
敵軍
🌕
🗡️🗡️🗡️🗡️🗡️🗡️🗡️🗡️
(ぶち破られる門
(炎上する烏巣)
(防衛失敗)
「ありえん……!ありえんっ!!!😨」
こうして中華の覇者になるために河南派支持を選択した殿でしたが、
・審配が許攸の一族を逮捕して恨みを買い、後の寝返りの一因を作る
・関羽参戦による白馬延津の戦いでの顔良文醜を失う大敗
・短期戦を挑んでしまったことにより、曹操軍のゲリラ戦法に嵌まり、翻弄される
・郭図のふたを開けてみたら、″
出ると負ける軍師″とかいう万能地雷グレイモヤだった
・機に乗じて曹操軍の後背を突くと思われた孫策が、許貢の刺客に暗殺されてしまう
etc…
水を差すように数々のイレギュラーが連続で多発。
その場その場で、殿は悪い方へ悪い方へ決断していってしまいます。
袁紹軍の物量に物を言わせた猛攻に押されまくり、荀イクに「許都にかえりたーい😭」と泣きの手紙を送ってしまうほど追い詰められていた曹操でしたが、袁家の内輪揉めが発生しはじめると、しめしめ顔。
そこに生じた隙を突きまくり、許攸の寝返りにより遂に、烏巣急襲という一発大逆転チャンスを掴み、
結果、官渡決戦はまさかの曹操軍勝利で幕を閉じました…。ありえん。
「なぜ袁紹は郭図なんかを重用したのか」
「なぜ袁紹は田豊・沮授を冷遇しはじめたのか」
その背景には
二大派閥の存在と、袁紹の今後の戦略の方針決定があったわけです。
実際、この時の袁紹のような事例は、
・清流派との手切れのため、荀イク他功臣たちを処分していった曹操
・二宮の変を始めとする、自分の粗相に対する諫言がうざったいからと陸遜他功臣たちを処分していった孫権
など、他を見回しても体制確立のためによくある話だよね。うんうん。
なんで、
殿は無能だったとかじゃあなくて、
王者になれる運を持ち合わせてなかった、
いわゆる″持ってなかった″人ってことなんじゃあないでしょうか。ああ無情。
まぁ、そこが袁本初の良いとこなんですがね!
完璧な袁本初なんて殿じゃあないのだ😁
長々とお読み頂き感謝☆
凄く分かりやすくて勉強になりました!
「ありえん…!ありえん!!!」も「バッ、バッ、バカなぁ!?」も殿らしさ全開で三国志大戦きっての名台詞だと思っています←
°ω°) 跡目争いも、袁尚が有能だったから長幼の序を無視したと言われてるそうですね。
曹操が徐州の劉備攻めた時、風邪引いた三男がそのまま死んでいた方が良かった説。袁家は戦犯多過ぎて、全員処断したら逆に弱体化しそうや。
田豊と沮授は比較的新参っていうのもあって郭図等と比べて立場も弱そうですよね。
それとは別に武将達はどう思ってたんでしょうね。何となく彼等も速戦を支持しそうではあります…
袁紹は危ない橋を渡り切れなかった感じですよね。対する曹操はギャンブルに勝った感じ。
もし官渡で袁家が勝利していたら、諸侯に号令して統一していたかもしれませんね。
となると三国志大戦だって生まれてなかったでしょうし、こうやって自分達が話し合うことも無かったかもしれないですね。
そう考えるとやっぱり殿の存在はデカいなあと。
なるほど、持ってた曹操と持ってなかった袁紹という構図になるのか!にしてもこの残念な感じ…確かに袁家の天下に夢をみちゃいますね。
曹操軍に関羽の参戦なんて不運でしかない(;>_<;)
((((;゜Д゜)))リュウビコッチオルヤン
本丸がぁぁぁ❗
運がないのが袁本初……無情だなぁ😅
でもそこが三国志大戦ではチャームポイントですね😌
100回いいねしました。詳しい解説はきみとアンディにまかせる。
なんで城持ち相手に黄色押さないんですか殿………(なお押しても青(兵糧庫攻め)が飛んでくる模様)
ひいおじいちゃんから袁家は優秀だったんだけど、なぜか人望がない。悪い実を残す剪定した感じがすごい残念。官渡が一番天下の分け目だったという人もいる分惜しい。でもその雰囲気が袁紹の良いところになってますよね!
真に無能な人物であれば曹操も友人として接しなかったでしょうしね。
個人的に、蒼天航路の扉絵で「若かりし頃の曹操と袁紹が花嫁泥棒をしたけど袁紹が足をくじいて置いてきぼりにされてる」ワンカットが大好きです。
どこぞの漫画でも言われてましたが、「天下人は天が決める」と。故に、仮に殿がその天下人なら、上で上げられてたイレギュラーは無かったのかもしれませんね。世の中、勝てる奴は何をやっても勝てますし、負ける奴はどうやっても負ける。
>うさまるさん
袁家のことをより知って頂きうれしい限り!
全くもって同感です!袁紹らしさ、袁紹の袁紹たるゆえんが詰まった良いセリフですよね^^
>ぬるぽ神様
跡継ぎは序列で決める、の基本を無視してしまったことは劉表と同じ失態として陳寿に赤点付けられてますね…
一説には審配と劉氏が結託して、殿の遺言状を偽造した疑惑もあるそうで。。。🤔
>ギバッシュタイン
そうね。。。ほんとそう。。。
後妻との間にできた子が一番可愛く生まれてきてしまったというなんともならん感
>劉禅様
武将でいうと、立ち位置を明確にしていたのが淳于瓊で、河南派支持だったようです。
郭図と組んで、沮授がほぼ握っていた軍権をぶんどってます…w
ほんとそこですな。殿は膨張しすぎた陣営をコントロールできなかった感があります。曹操はほんと少数精鋭でやってきた強みを活かしましたね。
>chaos様
おっしゃるとおり!
よく、黄巾の乱がなかったら三国志は生まれてなかったから張角はエライなんてのを聴きますが、
直結させたのは、官渡決戦で敗北した殿ですよねw
泣いても転んでも、生まれながらにして影響力のある人だったようです😁
>お孫さん
普通にやっていれば間違いなく袁家が勝てた状況でしたから……
しかしこうした大番狂わせがあるからこそ歴史はおもしろいんですよね😉
殿はその礎となったのだ!
>新人魔術師さん
一説には、関羽にこっちに来るよう言付けてほしいと劉備から頼まれた顔良が、「あ、関羽さん?拙者、顔良と申すものでお兄さんの劉備さんから…」と戦場で見つけた関羽に話しかけに行ったら、言い終わらないうちに瞬殺されてしまったなんて話もあります😂
>1051さん
黄色安パイ😂
おっしゃるとおり!
袁紹の良さは運の無さにあり!
>おかかさん
ハシラアイス「本懐でございますOKK様m(_ _)m」
黄色選びからの青通りで捲られ負け
ありえん…!ありえんっ!!
>馬様
蒼天航路はうまーくそこを描写していましたよね!
「心に闇が無さすぎる」という婉曲的なフレーズでw
光武帝の戦略に倣い、天下に最も近づいたが、天運に見放され曹操に引導を渡されてしまった男。
うーん、なんと魅力的なんだろう!😉
>からすやんさん
おっしゃるとおり!
僕もあの扉絵だいすきです。
蒼天航路しかり、三國無双しかり、
曹操がしっかり袁紹を認めていることが描写されるようになって、満足でございます☺️
>sirasuke9様
運も実力のうち、って言いますが、今も昔もほんとその通りだと思います。無情ですが、天運ってのはありますよね😑