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将について話したい男

by
馬様
馬様
 三国志大戦を愉しんでいる皆さん。おはこんばんちは(死語)。どんな文章を書くにあたっても書き始めは大事ですよね。特に書くことがないとこんな感じになってしまいます。


 三国志大戦を始める理由で一番多いのは何でしょう?多くの人がある理由だと思いますが、最近ではゲーム性に惹かれる人も多いのでしょう。
そのある理由とは「三国志に興味がある」です。
私は大戦友達がいないので決めつけですが遠くはないと思っています。私も三国志が好きでこのゲームを始めたのでその気持ちはわかります。

 今回はタイトル通り「将について話したい」だけなので、三国志に興味がある人もない人もふ~んで済ませるような記事です。



鮑信について

 士気が戻ってくる事で優秀であった鮑信ですが、いまではほとんど孫堅に仕事を取られて日の目を浴びることは少なくなってしまいました。袁紹と相性がいい鮑信ですが、実際には曹操との方が相性が良かったようです。
 鮑信


 鮑信(152-192)
 人間50年という中で記録では41歳まで生きており、さらに最後は戦死というお強いお方。残念に思った曹操は骨を探したが見つからなかったそうです。



その1:董卓の専横を察知する。
 
董卓の専横を予測していた鮑信はそのことを袁紹に進言しています(詳細は省く)。が、袁紹は聞き容れてくれませんでした。
この後、董卓が政治の実権を握り悪政を働いたので、鮑信の予想は当たったことになります。


その2:反董卓連合に参加する。
 
鮑信は反董卓連合に参加しますが、そこで諸侯が日々宴会を開き、酒を飲んでいることに反感を抱きます。
しびれを切らした鮑信は曹操に出陣することを相談。実際に打って出ますが、徐栄に大敗を喫して、弟をなくしてしまいます。
結果負けてしまうエピソードでしたが、このエピソードは鮑信が正義感を持つ男だったことを示しています。


その3:曹操をエン州(兗州)牧に推薦。
 
鮑信はこの時太守であった曹操をエン州牧、つまり刺史に推薦しました。太守と刺史というのは日本でいうところの市長と県知事ぐらい差がある関係で、出世ということにになります。曹操が州を手にしたのはこれが最初のはずなので、まさに魏国の礎を作ったことになるでしょう。

その4:曹操を逃がして亡くなる。
 
黄巾賊の残党・青洲黄巾軍を退治しようとした際、鮑信は曹操と共に戦場の下見に出かけます。しかし、その途中で不意打ちにあってしまい、鮑信は曹操を逃がすため戦って命を落としてしまいます。


 どうでしょうか。鮑信のカッコよさ伝わったでしょうか?


 郭嘉のように曹操に基盤をつくり、典韋のように曹操を守った鮑信。と言ったら少し大げさかもしれませんが、私はかっこいい方だなと思います。
三国志といわれる時代のかなり初期のころに活躍している分、記述は少ないですがそれもまたプラスポイントですよね!
鮑信ファン増えろ

 鮑信はただ漢の再興だけを考えていたのかもしれませんが、いつかは鮑信から鮑信でRくらいのレア度で出ってくれると私はすごいうれしいです。華装でもまたよろし。セガさんよろしくお願いします。鮑信ファン増えろ
更新日時:2019/04/28 23:10
(作成日時:2018/11/04 01:09)
カテゴリ
雑談・雑感
コメント( 3 )
QUEEN
QUEEN
2018年11月4日 6時44分

おお、彼にそんな背景があったとは。面白かったです。ちなみに自分は小説の三国志演義、家庭用ゲーム機で光栄の三国志シミュレーションゲームから入った口で、最初は大徳ばかり使ってましたね。

指鹿為馬はよ
指鹿為馬はよ
2018年11月4日 8時54分

孫堅と鮑信では所属デッキが完全に違うので、個々の比較として仕事を取られたというのは語弊があるかと。史実的には鮑信が袁家デッキ用の性能なのもおかしい気もしますがね… あと張バクも。

馬様
馬様
2018年11月4日 12時4分

>QUEENさん
三国志は作品によって評価が極端なキャラクター凄い多いですよね。鮑信は演技だと噛ませだったりして。大戦は蒼天航路の影響を結構受けてると思います。

>指馬為鹿さん
孫堅と鮑信に関してはちょっと主観が入ってしまいました。
<(_ _)>
禰衡も強烈なキャラクターですよね。過去の三国志大戦での陣略名の由来は始皇帝の時代の言葉ですが、彼に似合う言葉な気もします。

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