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天下三分の終焉 曹魏編

by
戒世
戒世
2揃をカンカン出来ないみたいですね…何だよ完全ランダムって 探索に賭けた方がいいやん 縁20とかなんですよね?

LEも替えられたらダブった突撃速3曹操が念願の攻撃速3に
他は突破速3甘寧を長槍にしたり…漢関羽は最速は維持して兵3を長槍にしようか 神武将神将器!ってのは無いですね…

そんなことより胃がおかしくてアプデ当日にやりに行けるかも分かんない(´・ω・`)

さて、曹魏編です。ツライが三生直前って宣言したものね

曹操、曹丕の後は曹叡、曹芳、曹髦、曹奐と続きます。アケでカード化されているのは曹叡までのようですね。
終焉のお話なので曹丕以降からにしましょう。
                                             
【文帝】曹丕(そうひ)は魏の初代皇帝、【武帝】曹操の三男で母親は歌妓から側室、正室へとのし上がった卞氏 皇后は郭氏
                  
曹操の長男である曹昂(そうこう)は戦死、養母の丁夫人は曹操を恨み離縁します。
次男の曹鑠(そうしゃく)は若くして病死し(どちらが先に死亡したかは不明)、
卞氏が正室に昇格することで曹丕が嫡子と扱われます。ちなみに曹昂曹鑠の生母は早世した劉夫人
        
曹操の五男である曹植(そうしょく)と激しく後継者争いをし、勝利した後も冷遇したり
               
わざわざ袁煕から奪った甄氏を殺したり、于禁に嫌がらせをして憤死させたり

曹洪がお金を貸してくれなかったのを恨んで殺そうとしたりと如何にも権力者のもとに生まれたボンボンという印象ですが、
その一方で治世は安定していたようです。

三国志の著者 陳寿にはざっくりいうと”器が大きければ古代の賢王に劣らない”と評された。 うん、つまり器がちいせぇってさ

父、曹操が逝去すると丞相を受け継ぎ、その後献帝に禅譲を迫って皇帝に即位します。
この時、家臣や献帝から禅譲を頼まれて仕方ないなぁと18回辞退した後ようやく即位したことにしたのは有名ですね。
正に非常時大権を手にした時のパル○ティーン最高議長です。
さて月日は流れ、風邪をこじらせて肺炎になり崩御します。
    
その際、司馬懿、曹真、陳羣、曹休に皇太子を託します。
                        
その皇太子が曹丕の長男で魏の第2代皇帝【明帝】曹叡(そうえい) 生母は甄氏です。郭氏は子に恵まれなかったようです。
曹叡が生まれた年を考えると、実は甄氏は奪われる前に袁煕の子を身籠っていたのではという説があります。

母親が死を賜った経緯もあり、殆ど公の場に出なかったようで司馬懿などの限られた者しか曹叡の人物を知らなかったようです。
曹丕は甄氏の息子である曹叡を疎んでいたようでかなり長い間太子にはなれなかったらしいです。
が、死期を悟った曹丕が年長の曹叡をやむなく指名したとか

曹叡は即位するとまず甄氏の名誉回復に動き、皇后を追贈します…良い息子ですね…
ところがどっこい、おおよそ10年後には父親同様、寵愛の薄れた毛皇后に死を賜ります…血は争えぬか…
               
しかも寵愛の移った先が何の皮肉か郭皇后 同じ”郭”です。

軍事によく関わり、孟達の反乱を防いだり蜀漢の北伐に対しては祖父以来の宿老たちを用いて防ぎます。
孫権が合肥に攻めてきた際は自ら向かうなどかなりアクティブです(到着前に張穎、満潮が見事撃退するが)
五丈原では司馬懿に対し、「持久戦に持ち込み撤退時には追撃せよ」と物量の有利を活かす詔を出します。

このように戦時中は名君ぶりを発揮しますが、諸葛亮を破り内政に力を入れ始めると陰りが見えてきます。
中華そのものも復興を差し置いて宮殿造りに財産を投じ、労働力に農民を徴し農村は荒れ
兵力を維持するために兵士の家同士の結婚を奨励 これだけならまだしも、
”兵士以外の家に嫁いだ既婚者を召し上げて兵士に再婚させる” ”妻の身代わりに奴隷を出しても良い”
というルールを作り人身売買を横行させます…
宮殿造りは諸葛亮の死より前に行われた公共事業であったという説もあります。

やがて病に罹った曹叡は曹芳の後見人に司馬懿、曹爽らを立てて34歳の若さで崩御します。

第3代皇帝、曹芳(そうほう)は曹叡の養子です。曹叡の実子は全て先立ってしまったようです。
即位しますが当時僅か8歳で、もう何が起こるかお分かりですね…呉と同様です。
こうなると君主というものの責務に”長生きすること”が入りそうですね。長生きしすぎて老害になるのも困りものですが…

”狼顧の相”司馬懿と”爽やか曹爽”こと曹爽が政務を取り仕切ります。ちなみに爽やかは曹真の息子です。
                          
曹爽は初め、司馬懿を父のように接していたようですが、何晏らが唆したことで権力を独占しようと動き始めます。
司馬懿の軍事実績が重いのに対し、何晏らは実績が乏しかったので活躍して軍権を奪うべく蜀漢征伐を試みますが敗北
この後も何晏達は魏の政治をしっちゃかめっちゃかにして、危険を察知した司馬懿は仮病で引き篭ります。

一時は司馬懿を退けた曹爽と爽やかな仲間たちですが、司馬懿にクーデターを起こされて滅ぼされます。
これをもって司馬家の魏の支配が完了します。こうみると先に喧嘩を売ったのは皇族ですよね…というか何晏戦犯過ぎない?

さて、司馬懿が死去すると長子の司馬師が実権を握ります。李豊、夏侯玄、張緝らが司馬師を追放しようとしますが失敗
関係者は皆殺しにされ、皇帝の廃位を計画します。廃位の理由は色欲に耽っているからとされたそうな 非道い
しかし司馬師は病が悪化し逝去、弟司馬昭が継ぎます。

曹芳の廃位後に第4代皇帝、曹髦(そうぼう)が即位します。曹丕の孫で、郭太后が司馬師を押し切って推しました。
この曹髦 個人的には是非カード化されて欲しい皇帝です。(TCGではいるようですね)

魏は司馬師、司馬昭兄弟に完全に掌握されているにも関わらず、側近の王業、王沈、王経に
「司馬昭の心は道行く人でも皆知っている。私はこのまま廃位の恥辱を受けることはできない。今日こそ卿らと共に打って出よう」
と打ち明け、自ら剣を手にし数百名の召使いを率いて挙兵します。
あの献帝が劉備に頼りながらも遂に実現出来なかったことを自らの手と足でやってのける こんな格好良い皇帝が他にいますか。

さて、曹髦は司馬家を打ち破り曹魏を取り戻すことができたのでしょうか…?

勇敢と無謀は違うということでしょうか…王業と王沈がチクって賈充が軍勢と待ち構えていました…
賈充は部下に罪に問わないと約束して皇帝を殺害させます。その後、実行犯の成済に責任を押し付けて処刑してしまいます。
                 
このドクズですが、あの賈南風の父親で、あの賈逵の息子です。世の中何が起こるか分かったもんじゃないですね。

第5皇帝、【元帝】曹奐(そうかん)まで来ると語られることは殆どありません。曹操の孫にあたります。
在位中に司馬昭が蜀漢を滅ぼし、司馬昭が死去すると司馬炎が継ぎます。そして司馬炎に禅譲を迫られ魏は滅亡します。

手抜きになってしまいましたが時間もギリギリなので許してけろ(´;ω;`)
ちなみに曹髦、曹奐の嫁さんはそれぞれ卞氏(曹操)の弟の曾孫と孫だそうです。
更新日時:2018/08/04 16:02
(作成日時:2018/08/04 15:59)
コメント( 7 )
7件のコメントを全て表示する
戒世
戒世
2018年8月5日 18時13分

劉禅の夏休みさん
曹叡の内政に関しては殆どの家臣が諌めたようですが強行したようですね…
とはいえ意見を述べた臣を処刑したりはせず、流されずに自身の意思で動けるのは皇帝として悪い性質では無いと思います。
何にせよ長生きしてたら皇太子も大きくなって歴史は変わったかもしれません。呉も同様ですが。
おかか容疑者さん
実質的なラストエンペラーと思っています。曹奐は諦めの境地に達しているというか、抗う気は毛頭なかったようなので…

うさまる
うさまる
2018年8月6日 16時49分

ぶっちゃけ孔明が死んだ後の三国志は急速に興味が薄れてしまうので、智識があやふやでした。
分かりやすい文章ありがとうございます!
曹洪の銭www

戒世
戒世
2018年8月7日 21時26分

うさまるさん
ほんとは鄧艾など戦の話も入れたかったのですが…力尽きましたorz

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