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天下三分の終焉 蜀漢編

by
戒世
戒世
※今回もPC画面で作ったのでスマホからだとめちゃくちゃになってると思います
三生直前に魏の滅亡 すなわち晋の勃興について調べようと思います。
晋が追加されようがされまいが、司馬家は来ると思うので予習しないとね!!

さて蜀漢編です。
三国志に親しんだここにいる方々にとっては当然のことだと思われますが、
劉備は蜀という国は建国していません。蜀と呼ばれる土地に漢を再建したので劉備たちにとって自国は漢です。

漢王朝の復興を目指していた劉備が何故自分で建てたかというと、曹丕が献帝に禅譲を迫って後漢が滅び魏が建国された時
献帝が殺されたという噂を耳にしたそうです。劉協が死んでしまったので劉家である自分が継ぐしかないと漢を建てました。

しかし他の正統な漢と区別するために蜀漢と呼ばれます。

蜀漢の滅亡の話の前にもう一つ挟ませて貰いたい話が
劉封の処刑です。


劉封(りゅうほう)は正史では、劉禅が生まれる前に劉備の跡取り候補として養子に迎えられました。
若くして武芸に秀で、将才もあったようです。
しかしながら樊城の戦いで再三に渡る関羽からの援軍要請を、自身の任地は占領したばかりで動揺が収まっていないという
理由から拒否します。この判断自体は後年、妥当であったと評価されていますが結果として関羽が戦死してしまいます。

 悪い顔してますね
更に孟達の裏切りもあり、自身の任地である上庸をも失います。

この戦いに関わった蜀の将兵は殆どが戦死か降伏したらしく、
辛くも成都へ逃げ切った劉封は一連の責を一身に受けてしまいます…

特に関羽を失ったことで冷静さを欠いていた養父である劉備に処刑されてしまいます…
           こちらも中々悪い顔
しかし、ここで動いたのが諸葛亮だったという話もあります。
劉封は勇猛過ぎて、劉禅の手に余るだろうと考えたようです。

                   バッバッッバカナー
実際に後継者が争って自滅してしまった袁なんとかさんがいるのでこの懸念も一理ありますが…
頼りない劉禅を斬ってしまった可能性もありますし、共に天下を射止めた可能性も…全ては謎に

ではいよいよその劉禅のお話

      
劉禅(りゅうぜん)は劉備と甘夫人の間に生まれた息子です。とても聡明そうな御顔ですね。
      
お嫁さんは敬哀皇后張皇后 この二人は張飛夏侯月姫の娘です。 ずるい…劉禅ずるい…

     
そして娘の劉安楽は劉備と張飛の孫でもあるというトンデモない血筋ですが、
甘ちゃんの血を色濃く継いだのか大戦イラストではバカっぽいほんわかした雰囲気
可愛い子しかおらんやん!蜀!(キレ気味)

 
趙雲麋夫人の話は有名ですね 趙雲カッコイイやつしかおらんやん!(謎のキレ気味)

劉禅これくしょん 阿斗これ!          
なお劉禅には劉備と妾の間にできた弟、劉理劉永がいます。劉理は馬超の娘 馬姫を娶ったそうな


全然滅亡の話になりませんね…

劉備は関羽の弔い合戦である夷陵の戦いに大敗し、失意のあまり病に倒れます。
死にあたり諸葛亮に「もし我が子が補佐するに足りる人物であれば補佐して欲しい。
もし我が子に才能がなければ迷わず君が国を治めてくれ」
といい、諸葛亮は全力で劉禅を補佐すると誓います。
さらに馬謖を重用するなとも言われます。フラグですね。

                                 
劉備の死後、諸葛亮は政治の全権を担い劉備の死に乗じて呉が動かぬように鄧芝を派遣して同盟を結ばせます。
横槍を入れられる心配のなくなった諸葛亮は北伐を敢行します。
                  
諸葛亮との内通を疑われて行き場を失った姜維が蜀漢に降ります
   
さらに、曹丕が亡くなり後ろ盾がなくなった孟達の立場が危うくなり、そこに目をつけた諸葛亮は
こちらに戻ってくるように言いますが、察知した司馬懿に孟達は斬られます。

順調に魏の3郡を奪いますが…そのとき彼が動いた…!
                     
先鋒だった馬謖は諸葛亮の指示を無視して”僕の策”を展開 張郃に敗北し、3郡は奪い返されます。
諸葛亮は軍規に則り愛弟子馬謖を処刑します。”泣いて馬謖を斬る”の語源となりました。
なお、泣いた理由として愛弟子を斬る悲しさ、劉備の忠告を聞けなかった自分の愚かさに涙したという2説があります。

しばらくして孫権が皇帝を称します。漢を自称する蜀漢としては認めるべきではないという意見が出ますが
諸葛亮はいざこざを起こしている場合では無いと呉とは改めて同盟を結びます。

その後、五丈原において遂に諸葛亮が病に倒れてしまいます…

    
内密に、楊儀、費禕、姜維らを呼び自分が死んだら全軍撤退するように指示します。
さらに魏延は従わなかった場合は置いて行けとも言います。

                    
諸葛亮の死後、遺言に従い撤退が始まりますが魏延は自ら指揮官となって北伐継続をすると主張
       
魏延の部下たちは王平に諫められると魏延を見捨てます。孤立した魏延は息子たちと出奔しますが、
  ココニイルゾ
楊儀は馬岱に追撃させ、魏延を息子たちを斬ります。
楊儀と魏延は前から仲がめちゃくちゃ悪く、言い合いになると魏延が剣を突きつけて楊儀を泣かせたらしいですw
魏延の首が届けられた楊儀は踏みつけたそうな
     
さて、政務は蒋琬、費禕が引き継ぎますが(蒋琬は密かに諸葛亮に後継者と指名されていた)
自分の方が優れていると思っていた楊儀はこれに不満を漏らし、丞相が死んだ際に魏に寝返ればよかったと漏らします。
費禕はこれを劉禅にチクり楊儀は庶民に落とされ流罪に、流刑地からも悪口を書きまくった為についに拘束されて自殺します。

蒋琬、費禕は内政の充実に力をいれ大々的な北伐は控えます。この頃、魏も司馬懿の専横で混乱し

夏侯覇が父の敵である蜀漢に降ってきます。司馬家にとって曹家と繋がりの深い夏侯家は邪魔でしかないので英断でしょうか。
                           
この時点で蜀漢は斜陽の一途を辿っていますが…費禕の死後は姜維、陳祗が国政を執り北伐を繰り返して国力は疲弊
       
更に劉禅が奸臣 黄皓を重用してしまい、国力は衰退します。
       
諸葛亮の息子 諸葛瞻は黄皓側について姜維の追放を画策していたりします。姜維は劉禅に黄皓の処刑を進言しますが
逆に成都に帰れなくなってしまいます。劉禅の弟、劉永も兄に黄皓を除くよう進言しますが、
逆に10年以上謁見ができなくなってしまいます。

しかしながら、姜維がいたずらに国力を疲弊させていたのは事実で諸葛瞻が間違っていたとも言い切れません。
結果的には蜀漢は軍事、内政の両面で自ら衰退を招いてしまいます。

やがて魏の実権を握っていた司馬昭は蜀討伐を開始 
姜維は鍾会・鄧艾を相手に奮戦しますが、別働隊に回り込まれ蜀の地に侵入されます。呉の援軍が到着する前に諸葛瞻が斬られ
それを知った劉禅は成都が戦場になる前に降伏します…

こうして劉備玄徳が長き流浪の末に建てた蜀漢は三国で最も早く滅んでしまうのでした。チャンチャン
更新日時:2018/07/20 21:24
(作成日時:2018/07/20 21:24)
カテゴリ
雑談・雑感
コメント( 12 )
12件のコメントを全て表示する
YOU
YOU
2018年7月22日 1時2分

長い長い放浪のすえに、和だけが取り柄だった劉備の建国した蜀漢が、次世代が不協和音でバラバラになるのかなC
井戸に身を投げる糜夫人、敵陣を単騎駆ける趙雲、一番好きなシーンです。その結果はちょっとアレですが…
三国志は三国鼎立する前が面白いんですよねー。呂布が好きだからかもですが…群雄割拠編が好きです。
行。戒世先生の次回作魏晋編!お楽しみに!(勝手に期待してます笑)

マーマイト名護
マーマイト名護
2018年7月23日 17時7分

姜維が戦犯とかよく言われますが、ほぼ積みの状態でバトンタッチ、出身のせいで差別、味方がサボったせいで敗走とかやられてる中でよくやったなと私は思います
諸葛亮が自分でやったほうが早い系上司だったのも少なからず影響ありますよね

戒世
戒世
2018年7月23日 21時52分

YOUさん
やはり世代を跨いで結束を維持し続けるのは難しいですよね。
戦乱を生き抜いた君主らも”皇帝”になってしまうと、息子は皇太子ですもんね…経験値が段違い
マーマイト名護さん
諸葛亮の病は過労からじゃないかなーとw なんでも出来すぎたような…国力に差がある時点で雌雄は決していたのかもしれません。
三国志のミッドウェーはどこにあったのか 荊州かな?

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