今回は董卓を罵った女性を紹介します。
■皇甫規の妻
この女性は、『後漢書』「列女伝」に記述されています。
段熲、張奐と並ぶ「涼州三明」(りょうしゅう さんめい)の一人である皇甫規は、妻が先立たれ、後妻として新たに彼女を迎え入れました。
彼女は美人で文章を作るのに秀でておりました。
時々、夫に代わって手紙の返事を書き、人々はあまりにも返信が立派なので不思議に思わせる一面が有りました。
そして189年、董卓が相国(日本でいう首相)になった頃の事です。
この頃の彼女は夫の皇甫規と既に先立たれ(175年)、未亡人となっておりました。
先立たれた頃は、まだ若いと記述があるので、仮に20代前半ならこの頃は30代後半でしょう。
董卓は、美人で評判の彼女を聞きつけ妾にしようとしました。
その結納は、二頭立ての幌馬車百台、馬二十匹、奴婢・銭・絹は道にあふれるほどだったそうです。
彼女は、暴虐で悪名高い董卓のもとには行きたくなかったのでしょう。
そこで彼女は、普段着のまま董卓邸の門まで来て妾にしないよう哀願しました。
すると、董卓は小者や侍従に命じ、刀を抜いて彼女を取り囲ませ
「わしの命令は四海も靡(なび)かせるほどだ。たかが女一人に我が命の行なわれないことなどあるものか!」
と恫喝しました。
彼女はもはや逃げられぬと悟ると、すっくと立って
「お前は羌族の生まれで、天下に毒をばらまいてそれでも満足しないと言うのか!私の先祖は代々清い徳で名を馳せ、主人の皇甫氏は文武にすぐれた漢の忠臣。お前の親は皇甫氏の小間使いではないか。お前は主君の夫人に無礼を働こうというのか!」
と董卓を罵ったのです。
この中で、「私の先祖」について唐の時代の『書断』によると、扶風郡出身の馬援を代表する馬氏(馬騰や馬超)ではないかとされております。
これを聞いた董卓は
激怒!
董卓は車を庭に引き入れ、彼女の首をくびきから吊るし、鞭と棍棒を代わる代わる打たせたのです。
彼女は棒を持った者に
「もっときつくしなさい。早く死なせてくれるのが慈悲というもの」
と言い、そのまま車の下に落命・・・
この後、とある絵師が肖像を描き、「礼宗」と号しました。
男性相手には権力を掴んだ董卓。
しかし、女性のハートを掴むには至らずでした。
一方、彼女は、亡き夫に対する貞節・純潔を守り抜きましたね。
以上となります。
明日は先週の対戦動画を投稿します。
そのような女性かいたとは知りませんでした。
また、新しい知識をありがとうございます♪
しかし、董卓はつくづく女性にはモテない男だったんですねーw
いつも初めて知るエピソードばかりなのですが、この様な女性が居たのですね。
その痛みや恐怖は想像もしたくないぐらいですが、そんな状況でも毅然と自分の意志を突き通した素晴らしい人ですね。
三国志に出てくる女性で一番格好いいんじゃないかとすら思いました。
>みいけんさん
いえいえ、どうもです!
董卓は、(一徳さんのイラストのように)あれだけ残忍極まりない行為をしたら、そりゃ逃げますよねw
>うさまるさん
今回取り上げた人は、出身がはっきりしないものの、かなり聡明な方だとわかります。
最早逃げられないと思ったのは、過去に董卓が同様の事例を起こしたのでしょうね。