今回は魏の二代目の皇帝・曹叡の皇后を紹介します。
■ 毛皇后(?~237年)
父は毛嘉。
元々は後宮の女官でしたが、曹叡が平原王(222~226年)だった頃、寵愛を受けて側室となりました。
その寵愛ぶりは、曹叡と同じ輿(こし)に乗ることを許されたほどでした。
226年、曹叡が皇太子へ即位すると貴嬪(きひん)。
翌年には曹叡が皇帝へ即位すると、正妻だった虞氏を差し置いて皇后となりました。
しかし、次第に曹叡の寵愛が郭夫人(後の郭皇后)に移ってしまいます。
ちなみに、この郭皇后のイラストは
ではなく
こちらが正解です。
そして237年、曹叡が郭夫人と共に後宮の庭園で宴を催しました。
その際、曹叡は毛皇后だけには知らせず、また宴のあることを秘密にするよう侍人に箝口令(かんこうれい)を敷したのです。
しかし、この箝口令は遭えなく毛皇后の耳に・・・
自分だけ除け者にされたことを知った毛皇后は、宴の翌日に
「昨日、北園に遊宴す、楽しからんや」
(昨日の宴は楽しゅうございましたか)
と皮肉を込めて言ってしまいました。
これを聞いた曹叡は
激怒!
侍人が箝口令を洩(も)らしたと思い、十数人を殺害し毛皇后にも賜死を命じてしまったのです。
毛皇后の訃報を受けた時、曹叡は当然ながら毛皇后の死を悼んだのでしょう。
曹叡はその後、毛皇后に「悼」と諡(おくりな)し、皇后(明悼皇后)として愍陵(びんりょう)に葬らせました。
このように、皇帝に近い立場の貴人が死を命じられるのは、かなりレアなケースと言えるでしょう。
こう投稿作業している内に、「なんで出さないのだろうか?」と強く思った人物でした。
以上となります。
明日は休み。明後日に大戦動画中心の投稿をします。
重箱の隅をつつくくらい強引に女性カード増やす三国志大戦でエピソードのある女性が使われないって珍しいですねw
しかしいつの時代もそうですが、この頃の女性って人権無いぐらい悲惨ですね…。
三国志には可哀想な女性か悪女と呼ばれる女性ばかりですね。
>うさまるさん
董白を代表に、よくも大戦チームは大した記述の無い女性を有名キャラにするのかと感心します。
この頃の歴史書は、女性に対して氏名及び生没年不詳が多いですね。
今後もこの企画は続けるに当たって、氏名が不詳(○○の妻)の扱いにされている女性が多く登場する予定です。