三国志の中で有名な合戦を挙げると、多くの人は真っ先に浮かぶのが赤壁の戦いでしょう。
この赤壁の戦い。正史『武帝紀』では、魏を正当化する曹操軍の負け戦だった事から、
「曹操は赤壁に到着し、劉備と戦ったが負け戦となった。そのとき疫病が大流行し、官吏(かんり)・一般兵・兵卒もろとも多数が戦死した。そこで軍を引き揚げて帰還した」
と、余り多く書かれていません。
一方、三国志演義は、ここぞとばかりに全120話のうち9話(42話から50話)も赤壁の戦いについて書かれています。
悪く言えば、
「演義のやりたい放題」と言ったところでしょうか。
この9話の中には、6つのフィクションが挿入されています。
ではどんなフィクションが挿入されているのでしょうか。
それでは追ってみましょう。
1【蔣幹盗書】
曹操軍の蔣幹は、説客として旧友である周瑜を登用する目的と孫権軍の情報を盗み出す諜報官の役割も担って潜入します。
周瑜は、蔣幹がスパイだと察知し、逆に蔣幹を利用しようと企てます。
まず偽手紙を用意して蔣幹の目に留まるように置いておく。
そして、その偽手紙を信じた曹操により水軍の将軍である蔡瑁が処刑となりました。(反間の計)
2【連環の計】
周瑜は当初から曹操軍を倒すには火攻めという考え。
そこで蔣幹を介した龐統が「連環の計」を曹操に献策して実現しました。
船同士で鎖を繋ぐことによって船酔いの防止の観点では効果が有るものの、火攻めには・・・・
3【苦肉の計】
当時、曹操軍は圧倒的な数的有利だけでなく、
益州からの軍事支援を受けていました。
これに加え、孫権の従妹(孫堅の兄の子)である孫賁(そんふん)が曹操軍の勢いに圧倒され、
息子を曹操に人質として差し出そうと検討。
しかし、朱治の説得で断念した経緯が有ります。
以上の点を踏まえて実際のところ、
曹操は苦肉の計が無くても黄蓋の投降要請を迷いながら受けていました。
しかし、演義では黄蓋の投降をより理由付けする為に、公然の前で黄蓋から罵倒された周瑜による鞭打ちの刑。
そして、曹操へ投降の書簡を史実では当時地方の役人で、ほとんど記述が無い闞沢に授ける設定となりました。
今回はここまでとします。
続きは明日。
横山三国志と人形劇で育った自分には、それらが真実として大人になりましたからねw
史実と演義を知った時は、おやおやおやとなりましたからw
そういう意味では蒼天航路は、魏目線で新鮮でした。
誰か呉目線で漫画書かないかなw
>みいけんさん
本当に呉目線の三国志は無いですよね。
横山三国志が始まったのは、日中国交正常化(1972年)前の1971年でしたので、資料は演義をベースにした『吉川三国志』ぐらいしか入手できなかった点を考慮すると、やむを得なかったでしょうね。