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三国志の人物のお話 第五回

by
モナー平田
モナー平田
おはようございます。モナー平田です。
今回は人物紹介は…

陸遜となります。

姓は陸、名は遜。字を伯言。元々の姓名は陸議となっている。
父親は都尉。母親は見目麗しい才女であったとされる。

陸遜がまだ幼かったころ、父親が都尉就任を果たした直後に急死。まだ幼かった為に嫡子である陸遜が家督を継ぐことはなく、代わりに本家筋の陸康に家督が譲渡された。
この陸康、廬江太守であったが袁術の横暴に耐え兼ね意見を発したところ…当時袁術配下だった孫策率いる一団に急襲される。
身の危険を感じた陸康は自身の子で陸遜からすると叔父にあたる陸績に委ね密かに廬江を脱出させ、呉県へ向かわせたた。

この際に孫策により一族郎党は皆、虐殺されたと言われています。
※袁術の命令によって行われたとも、孫策の一存で行われたともいわれております。

呉県にて陸遜は若くしてその才を開花させていきます。
陸遜21歳の時、孫策の急死により跡を継いだ弟の孫権が勢力を築くと孫権に仕える事になります。

※その人物が周瑜とも張紘とも魯粛とも言われておりますが、詳しい記載はなくただ仕官したとなっております。

そこで陸遜は孫権より呉県東の屯田の命を仰せつかります。
陸遜は開墾も必要だが、先ずは疲れた民を癒し、民心を掌握する事で孫権に逆らわないようにした上で農業と養桑を奨励し石高を上げていきます。
そうした上で土地を開墾し再び農業を奨励し…と少しづつ広げる事で東呉を肥沃な大地に仕上げます。

次に陸遜は孫権に対し一計を上じます。
と言うのも、自身が開墾/開発した東呉地域には孫権に従ってはいないが、孫策による大虐殺が行われた事もあり(孫策マジでやってます)息を潜めたり逃げた将兵もいたりしていました。
それらを厚遇し孫権の配下として編入し戦力を増やそうというのである。

始め孫権は渋い顔をしましたが、この一計に可を唱える者がいました。
張昭と周瑜です。
この二人の意見であれば、と孫権はオッケーを出します。
陸遜は先ず、東呉近辺を荒らしまわっていた荒くれヤンキー集団の頭領の潘臨という者の討伐から始めました。
しかし、連れてきた手勢はほんのわずか。勝ち目などある筈もありません。

そこで陸遜は考えます。
協力すれば地位と恩賞を約束するという名目を掲げ、義兵を募ろうと。

勿論、その話を聞いて次から次に将兵が押し寄せます。そして陸遜の手勢はあれよあれよと膨れ上がり2000人を軽く超えるに至りました。
この中には、派手派手な宇随天元…じゃなかった賀斉と留賛という将も加わっていた事を付け加えておこう。

潘臨を討伐すると、次は孫権直々の名を受け山越の平定に乗り出します。
賀斉と協力し尤突率いる山越の不服従民族数千を打ち破り、山越平定を成し遂げます。
これがいわゆる
【山越ブートキャンプ】
です。

※余談解説:山越ブートキャンプとは?
 しばしば孫権(呉軍)に牙を剝いては反乱を起こす山越族の皆さん。
 その度に討伐部隊が組織され、ここで力をつけたり名を挙げた者達は孫呉の一線級の大武将に育っております。
 その名を幾つか挙げると、
 陸遜・徐盛・呂蒙・賀斉・留賛・淩統
 と、これだけ挙がる。これでも一部だってェんだからブートキャンプ扱いも納得である。

こうして陸遜は名実ともに孫呉の支柱となります。
が、ここで運命が一つ捻じれたというか数奇な運命を辿ります。

孫権が自身の兄の娘である孫氏を娶らせたいと言ってきたのだ。
孫氏の父の孫策と言えば…憎き両親の仇。普通は首を縦に振れぬ事態であろう。
が、陸遜はこの縁談を粛々と受けます。主君からの名であるからといえばそうではあるのだが。

孫権が陸遜に問います。親の仇の娘と夫婦になるのは気分が良いものではないだろう。それでも良いのか?と。

陸遜「孫策様に親の恨みはあれど、その娘である彼女には何の恨みも御座いませぬ。この縁談、謹んでお受けいたします。」

この返答は孫権を大いに喜ばせた。
力あるものを自身の身内に引き込めることはこの上ない喜びであったのだ。
(…にしても他に方法は無かったのかというツッコミもあります。…これだから仲謀は…。)

と、今回は短くこの辺にしておきます。
と、言うのも、陸遜に関しては先述の関羽とは比べようも無いほど膨大なエピソードがありますので多分、三回に分けて書く事になると思います。

次回
【関羽、死す。】
デュエルスタンバイ!
作成日時:2022/02/14 06:01
コメント( 3 )
556(クボーシャ)
556(クボーシャ)
2022年2月15日 5時40分

自分は孫策好きだからこそ…虐殺したという事実も受け止めねば
イカンすね(*T^T)なんて事してるんや孫策。
そして留賛は孫策居なくなってから登場した武将だったのかぁ
(*´ω`)一緒に戦ってたことあるかと思ってましたわww
三国志にわかの自分には勉強になりました♪有り難うです。

モナー平田
モナー平田
2022年2月15日 10時57分

>556さん
留賛に関しては実際は孫策の東呉侵攻の際に呼応して仲間の荒くれ者を引き連れて参戦し、その際に足に大怪我を負って戦線を離脱しております。
で、陸遜の呼びかけに応じて「笹食ってる場合じゃねぇ!」と足の筋を切って無理矢理動ける状態にして淩統の推挙で参陣しております。
確か覚え違いじゃなければこうだったかな?

556(クボーシャ)
556(クボーシャ)
556(クボーシャ)
2022年2月15日 12時11分

笹wwパンダネタのやつや(^3^)
そして留賛の詳細まで教えて頂きありがとうございます♪
孫策と留賛、大戦3から共に戦ってきた武将なのに何もしら
なくて恥ずかしいっすわ自分(*/□\*)

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