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曹植を語りたい。

by
七歩之才
七歩之才
まあ僕別に曹植は好きというわけじゃないんですが。

_,,_ パーン
( 唐д姫)じゃあなんで君主名にしてんだよ!?
⊂彡☆))Д´)詳しくなかったから。

三国志大戦がサービス終了して、戦国対戦のほうに移ったんですが、
そのときに、三国志大戦が再開して欲しいから、三国志大戦から来たとわかる名前にしよう。
ということで、なんとなく、
横山三国志でまあまあかっこよく書かれている曹植を名前にしました。
「七歩之詩」ってつけたあと、なんか違うなとかいいながら、「七歩乃詩」に名前を直したりしてました。

でも戦国大戦を始めた後なんですが、
北方三国志を読んだり、
やる夫が正史を書くようです

というので、まあまあ勉強したので、三国志について詳しくなったので、
あんまり、曹植って優秀じゃなかったんだなあ(いや優秀では有るんですが、別に曹丕より優れているわけではない)

逆に曹沖が「私は病弱で葬式にいけなかっただけなのだがこう詰問されては仕方ない」といって自決してしまう印象がありますが、
実は優秀で、
曹操が自分より先に死んだ曹沖を見て、子供たちに向かって「チュウが死んだことは私にとっては不幸だが、お前らにとっては幸福だった」
と言っているあたり、どうも寿命以外はかなり優秀だったようです。

それと曹操の長男は皆様ご存知のとおり「殿、私の馬を!」さんのはずなんですが、「沖」には長男と言う意味があるらしく、曹操の子供たちの兄弟順が微妙に不明だったりするらしいです。

そういうわけで、曹植なのですが、詩は当時の中国でもトップクラスに入る上手さとして、ものすごく勇名だったらしいのですが、
あくまで詩がうまいだけで、戦が出来るわけでも、政治が出来るわけでもなかったそうです。

曹丕は、実は魏の礎をほとんど自分で作ってるぐらい優秀なので、
「優秀な曹丕があとを継ぐのは当然だ。」

と言う態度だったそうです。

逆に曹丕側も
「曹植には詩のうまさでかなわない。」
と尊敬していたらしく、兄弟仲はとてもよかったそうです。


でも、曹植は持ってる領地がとても少ないと言うことに疑問が有ると思いますが、
それは、
曹操の最大の敵だった袁紹が後継者問題で均等に領地を割り振ってる状態で急逝してしまったために、一族が全滅しているのを見ているので、
兄弟で力を分け合うと、国が滅ぶ原因になると学んだのでしょう。
そのために、後継者問題が起きないように強大の力をそいでおいたわけです。

本来は、魏の国力からして、曹丕の代で中華統一を成し遂げてもおかしくなかったとは思うのですが、
残念ながら、病で早逝してしまい、
その後、
ソウエイ(豪華な宮殿を造るために、軍事費を削るクズ)
ソウホウ(女と酒におぼれて何にもしないクズ)

というまあ、後継者でろくでもないことになってしまったので、
中華統一事業が、遅れることに成るわけです。

流石にソウエイがあとを継いだときには「曹植でいいじゃないか」と言う意見もあったようなのですが、
曹丕による、権力集中が強すぎてできなかったようです。(儒教的価値観も影響している?)



余談ですが、
魏を滅ぼした晋ですが、
魏が兄弟に力を分け与えなかったために、皇帝が家臣より弱くなっているという惨状を見ているため
王位を一族で守り抜くために、兄弟に対して均等に権力を分散したようです。
今度は逆にそれがあだになって、誰が一番かをもめる戦争になって秦が滅んでしまうわけです。


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ちなみに歴史そのものとは関係ないですが、
江戸幕府の衝軍徳川家は基本的に能力に関係なく長男で直系相続になっています。

理由はやはり、後継者争いを避けるため。
(ただ、分家にも力をかなり残しているので、曹操一族とはちょっと違う)

歴史において、後継者を決めるときに
長男が継ぐのがいいのか
兄弟の仲で優秀な人間が継ぐのがいいのか
は東西問わず問題になります。

私見ですが、
平和な世の中では長男相続がよい。
乱世では優秀な人間を選ぶのがよい。

と言うことだと思っています。
まあ、誰が優秀なのかなんて神様じゃないし、完全に分かるわけは無いんですけどね。

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ちなみに、
七歩歩くうちに、テーマどおりの詩を作れなかったらギルティ!!

とかやってる話は正史三国志にはありません。
ただ、演義オンリーのフィクションでもなく
「世説新語」という、民間の色々な伝承を集めた説話集(三国時代以外のことも書いてあるらしい)の中にあり、それが三国志演義が出来るときに○△×□▽ートされたらしいです。

一応本に載ってる話なので、事実も混ざってる可能性もあるのですが、
僕の呼んだサイトでは、フィクションの可能性が高いそうです。
理由は「詩のレベルが低いから」
当時の中国でトップクラスの詩人が作ったにしては平凡な詩なんだそうです。

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なんか曹植のことを思ったよりも書いてないな
と思ったのですが、
そもそも書くことがあまりない。

詩が当時の中国でトップレベルに上手かった。その実力は本物。
と言う以外は、あまり情報のない人なんですよね。

どうも、演義に出てるほど実力のある人でもなかったけど
演義と違って慢心せず自分の分を知っている人だったようです。

ちなみに楊修さんが「鶏肋」で処罰されてますが、
曹操が曹丕を後継者として見定めていたため、曹植閥の人間を
処罰したというのが真相なようです。

だから、あそこで余計な発言をしなくてもおそらくいつか消されていた・・・
まあ、中国では派閥と言うものが命にかかわることが多くて
結構簡単に消されるようです。

なので、賢人と呼ばれる人はすぐに
「仙人の修行をするために山にこもります」
といって、いなくなってしまうのですが、
要するに、
「派閥につくのはリスクが高いから、ある程度の収入が確保できたら、政争に巻き込まれない位置にいるのが安全。」

という伝統があるようです。

そういう意味では、
喧嘩両成敗とかいって、次男の派閥と三男の派閥を処分した孫権様もそこまで悪くな・・・
・・・いやなんで末っ子を後継者にするねん?頭おかしいやろ・・・
とはいえ、孫権様は若いころには優秀なエピソードもあるので、年をとって耄碌したのでしょう。
どんな人間も自分の老化には勝てない。豊臣秀吉なんかもそうでしたからね。(彼の場合は優秀な部下が自分より早く死んだと言うことも原因ですが)

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と言うようなことを次回の地声実況で上げる予定です。
(きちんとしゃべれるかは不明)

_,,_ パーン
( 唐д姫)一言に直せ
⊂彡☆))Д´)君主名ぺぺれけに変えたい。

_,,_ パーン
( 唐д姫)本文と関係ないじゃないか
⊂彡☆))Д´)読むのが面倒な人は僕の実況を見てね!!



ちなみに、三国が復帰したのに、なんで「三国復帰希望」みたいな名前をつけてるのかと言うと

ボケっとしてて、ついつい戦国と同じ名前入力してしまったから。
でした。
紐付けの関係でaime作り直すのきついなとか思っていたら、
称号やら戦跡やらの関係で余計に新しく出来なくなってしまったので、
ぺぺれけになってません。

まあ、うまく今バージョンで計略名と一致したのでよかったです。

ちなみに戦国のころの名前見てわかると思いますが、実は四文字熟語のことを知ったのは君主名をきめた後です。
七歩の間に詩を呼んだわけだから之より乃の方が自然だと思うのは僕だけですか?
中国語のことはよくわかりません。



【追記】
動画上げました。
更新日時:2021/02/13 00:16
(作成日時:2021/02/12 22:36)
カテゴリ
雑談・雑感
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