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徐栄とかいうぐう名将を知っているか

by
柱の男
柱の男

徐栄(?~192) 字:不明




遼東郡の出身。
董卓配下の将軍。


【徐栄のすごいところ】

■曹操と孫堅、三国志の主役2名を撃破するという卓抜した事績を持つ

董卓討つべしと挙兵した反董卓連合軍。
が、盟主の袁紹は生来の優柔不断で動かず、諸将もそれに追随。
その停滞ムードの中で積極的な攻勢をかけたのは曹操と孫堅の二将のみ!

その勇者と戦った強者が、徐栄である。

士気旺盛な曹操軍と縈陽県で激突、鮑信の弟ら二将を討ち取るなど圧倒し、打ち破る。
しかしなおも瀬戸際で抗戦し続ける曹操を「侮りがたし」とその軍才を認め、決着を着けずに取って返した。
かっこよすぎかよ…

連合軍において最も董卓軍と刃を交えた闘将、孫堅とは梁県で激突。

徐栄は"江東の虎"をも圧倒する強さを見せつけ、こちらでも敵二将を討ち取って孫堅軍を撃破した。

董卓軍において最強の武将といっても過言ではなかろう。


■最期は漢室に味方して死す

司徒王允の謀略により董卓が殺害されると、王允が長安中枢を再び掌握したが、これを奪い取りたい、董卓の残滓とも言える李カクと郭汜が長安に攻め寄せてきた。

徐栄はこの時、王允に味方して胡胗とともに李カクシの軍勢の迎撃に向かった。

魔王董卓の陣営にあっても、漢室への忠と義の心は忘れぬ高潔な武人だったかもしれない。

真の強者徐栄であれば、まともな味方がいれば、李カクシの軍勢など容易に打ち破っていたはずである。
しかし胡胗は武人として弱者であった。ほとんど戦わずに敵方に降った。

徐栄は孤軍となって戦い、衆寡敵せず遂に討ち死にを遂げた。

強者徐栄の惜しまれる最期だった。


■公孫度が"遼東王"となるきっかけを作る



徐栄は中原から遥か離れた遼東の出身であった。
遼東は何より"力"が支配の根源であったといい、徐栄の強さはこの地によって培われたかもしれない。

後に"遼東王"として半島に君臨する公孫度も遼東の出身であった。

同郷の徐栄と旧知であったのかは定かでないが、
それを示すような徐栄の行動がある。

董卓より中郎将に任命された徐栄が、冀州刺史を罷免される不遇を辿っていた公孫度を遼東太守に推挙したのである。
推挙した理由や経緯はわからない。
強者の目で(こいつは見所のあるやつだ)と前々から見抜いていたのかもしれない。

公孫度は郷里へ帰還し、太守となった。
すると、急転直下、苛烈な男へと変貌を遂げる。
自分の出自を嘲る地元の名族勢力、政敵となる者たちを謀略によって次々と処断していき、己の支配体制を確立。
次に"遼東公"を自称して、遼東に公孫氏による王朝を建てようと目論み、
群雄割拠による中原の争いを横目に、高句麗・烏桓へ侵攻し勢力を拡大して、名実ともに遼東の覇者となった。

やがて中原の覇者となった曹操から上から目線の書状が来た。内容は『貴公の武威はすばらしいので、これを賞し、将軍位とおまけの候位を申し付ける。』というものだった。

公孫度は不服だった。
送られてきた朝廷の印綬を蔵にしまいこみ、
『将軍位とは笑止。
我は、"遼東王"ぞ。』
と言いのけて、曹操と遂に誼を結ぶことはなかった。

彼もまた、徐栄と同じく根っからの強者であった。

つまり遼東半島の人は強い。(終)






てことで、SR徐栄の1枚くらい出してもいいんじゃないすかねぇセガさん。
女性SRばっか出してる場合じゃないっすよ~ッ!!!
最低限、初段徐栄のスペック上方エラッタしてさしあげて…🤣


 
更新日時:2021/12/20 22:30
(作成日時:2020/12/13 22:49)
カテゴリ
雑談・雑感
コメント( 16 )
16件のコメントを全て表示する
柱の男
柱の男
2020年12月19日 19時50分

>渡邊大王さん
おっしゃるとおり!
荒む戦場に一輪の華を…という立ち位置のはずが最近大分おでしゃばりなさってないかしら?感w
むしろ、SR韓遂も欲しいですよね~!
程銀、張横がまだ未参戦…やることはいっぱいだ🤣

柱の男
柱の男
2020年12月19日 19時52分

>劉禅さん
ネタに見えて実はむーちゃくちゃ強い李郭シwww
次は「李郭シとかいうぐう強ペアを知っているか」でも投稿しますか~!

柱の男
柱の男
2020年12月19日 19時52分

>おいたん
それ、今川ウジーチカw

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