皆さん、先週の「なんでも鑑定団」をご視聴された方はいらっしゃるでしょうか?
この回の出品した依頼品の中に、関羽の山車人形が出品されてました。
そして、依頼品に関する紹介の中で、関羽の生没年を(?~219年)ではなく(?~220年)と誤って表記されてました。
これをうちの母に言うと、「そんなの大した事ないわ、一年ぐらいで」と一蹴。
しかし、三国志を学ぶ上で、219年(定軍山の戦い、樊城の戦い、呂蒙死去など)と220年(曹操死去、後漢滅亡、魏王朝鼎立など)は大変中身の詰まった年なのです。
こと関羽の死に至っては、日本の本能寺の変のように、この後の展開が大きく変わった出来事です。
もし、呂蒙が関羽を死に追い詰めることをしなければ、夷陵の戦いは起きなかったのは周知の通りでしょう。
ちなみに、中国の歴史の中で部下の死による戦争勃発は、夷陵の戦いのみだそうです。
私見で三国志を学ぶに当たって、数多くの人物の中で亡くなった年を覚えて欲しいのは曹操(220年)、諸葛亮(234年)、関羽(219年)、劉備(223年)、孫策(200年)です。
どれも、影響力のある人物で、その後の展開が大きく変わったのは言うまでもないでしょう。
さて、明日の鑑定団は、前回の放送に関しての訂正テロップがあるのか、それともないのか・・・・
今wikipediaで関羽の没年を見てきたのですが
建安24年12月(220年1月)
と表記されていました。恐らくですが、中国の旧暦(太陰暦?)だと一ヶ月の差が出るので、旧暦のままだと219年。現在の暦だと220年と言うことなのかなと勝手に思いました。
詳しくないので、間違っていたら申し訳ありません。
>七歩之才さん
見てきました。
おっしゃる通り、wikipediaでは旧暦ではなく新暦で表記されてますね。
対する関羽の斬首後、間もなく病死した呂蒙は219年と表記されています。
したがって、関羽は新暦、呂蒙は旧暦というややこしい表記となってますね。