『三国志』の武将が戦国時代の武将に当てはめれば?
と言う、誰でも考えてみる企画。
『教えてOH!エッちゃん』第13回で話題にしてみましたが、
コメントをくれたZeroさんのピックアップも交えて、再度紹介しましょう。
★曹操→織田信長
多分、一番みんなが想像するであろう組み合わせ。
斬新な戦略、冷酷なイメージ、新たな国政など、類似点も多く、
名門との圧倒的兵力差を覆した一戦、皇帝(将軍家)を庇護して他の勢力と一線を画した、体力虐殺で汚名を被ったなどがあげられますが、
時代を問わず、その苛烈な生きざまには多くのファンも獲得しています。
★劉備→豊臣秀吉
劉備と豊臣秀吉は、裸一貫で成り上がったと言う、出世頭的なイメージが重なります。
物語的な演出が多分含まれますが、秀吉の様な苦労人の面や、他を圧倒する兵力での天下統一など、
劉備と少し違う部分も目立ちますが、人材を自身の魅力で惹き付けるのは納得ではないでしょうか。
★劉備→明智光秀
劉備が目指していたのは漢王朝の復興。
明智光秀も、本能寺の変の後、室町幕府による統治の復活を根差していたと言う話もあります。
時代の流れで目的も変わってしまったり、本能寺の変自体も光秀の怨恨や、抜き差しならない人事などが大きいとの説がありますが、
劉備も明智光秀も、新たな国を興すのではなく、自身の活躍で国を再興したいとの思いがあったのではないでしょうか?
★孫権→伊達政宗
生まれてくるのが遅かった為に天下取りに出遅れたと嘆いた伊達政宗。
孫権は、父や兄から受け継いだ形ですが、曹操や劉備に比べて若く、政宗の様に、自身が長生きすれば、他の英雄たちが寿命を迎えた後の情勢を握れると思っていたのではないでしょうか?
実際、そう思っていても、伊達政宗は、仙台へ左遷させられ、夢の百万石から、六十万石ほどへと下げられますが、
一転、現地を米どころにする政策で、土地はそのままで石高は後々百万石に達すると言う形で夢を叶えています。
★孫権→毛利輝元
毛利輝元は、中国地方の大名、毛利元就の孫で、関ヶ原の戦いでは西軍の総大将でした。
西軍、つまり豊臣側の中では最も兵力を抱えていた勢力です。
天下分け目の関ヶ原の戦いが、三国志の赤壁の戦いであれば、代々譲り受けた兵力で天下人たらんとする家康に対抗した図は孫権に重なる所がありますね。
★張角→本願寺顕如
中国最大の農民一揆・黄巾の乱の先導者だった張角、
顕如は、一向一揆にて各地で大名に対抗していました。
織田信長の宿敵とも言える存在で、どちらも国を構えた勢力ではなく、信仰を第一とした信者によって支えられていました。
国の乱れに救いの手があるならば、いつの時代も宗教が色濃く出てきます。
★袁紹→今川義元(Zeroさん案)
名門、圧倒的兵力と言えば三国志でも戦国でもこの御大は外せません。
一昔前は、名門頼りで無能なイメージがありましたが、実はしっかりした国政を行っていたり、再評価が絶えないのもこの二人です。
時代の寵児に負ける、と言った形でも過小評価を受ける元となっていますが。
★諸葛亮→竹中半兵衛
今孔明(現代の諸葛亮)と称された竹中半兵衛。
諸葛亮は、演技では知っての通り清廉なイメージですので、それと重ねる形で竹中半兵衛が選ばれてます。
★司馬懿→徳川家康(Zeroさん案)
最後に勝つ、と言うイメージから、司馬懿が徳川家康になりました。
どちらも堪え忍ぶ、が自身の特徴みたいですが、特に晩年に成功を納めた印象が、二人を結び付けます。
★甘寧→国司元相
国司元相は、「くにし もとすけ」と読みます。
槍に鈴をつけていたと言う槍の名手で、若き毛利元就を支えた武将で、なんと、100歳まで生きています。
鈴をつけた武将と言う珍しい組み合わせです。
★黄月英→新庄局
新庄局は、毛利元就の3本の矢で有名な三人兄弟の次男、「吉川元春」の奥さんです。
どちらも世間ではブサイクなことで有名でしたが、夫婦仲は良かったようです。
夫を支える面では献身的だったそうですが、見た目は伝承ですので、黄月英なんかは、色黒肌で髪は黄がかっていた、との事から、三国志大戦3の軍師カードでは、
インド系美女として描かれてました。
★周泰→北条氏康
体に無数の傷があったことで有名な周泰。
守城をまかされた時に、幼い孫権を守るために深手を負います。
孫権は、後に周泰を重用したときに周泰わを軽く見る連中に一喝すべく、酒席で周泰の服を脱がせ、「ワシがいま生きているのは周泰のおかけじゃ」と皆に知らしめたエピソードがあります。
一方、北条氏康も身体中に傷があり、「傷氏康」と呼ばれていました。
ただし、背中に受けた傷はなく、彼の勇猛さを伺えます。
★姜維→真田幸村
蜀の滅亡に際し、最後まで戦った姜維。
降伏後も敵将鐘会と反乱を企て、騒ぎに乗じて蜀を立て直すと計画しており、結果はともあれ、最後の最後まで戦った事が知られていますが、
真田幸村も、大阪夏の陣で、形勢不利な豊臣側にて、乾坤一擲、最後のチャンスをもぎ取ろうと奮戦しました。
★★★★
結果だけ見れば語るのは簡単ですが、今のコロナ対策の現状も、後々から見れば得手不得手が見えてくるものですが、
当時を生きた英雄たちも、自分が正しいと信じきっていた訳ではなく、
常に苦渋の選択を迫られていたのです。
そう言った生きざまには今を生きる自分達にも大きなヒントとなる事もあるのではないでしょうか。
今回はこれで締めさせていただきますが、
好評であれば第二回を書きたいと思います。
姜維→真田幸村、を見て「おぉ!!成る程!」と思いました😆
最後まで諦めずに熱く激しく戦いぬいた漢ですね🔥
概ね同意のイメージです! 劉備は秀吉感あるなぁ、と。晩年ボケなかった秀吉が劉備ですかね。天性の人たらしなのは同じ感じします。
このように戦国武将を三国志武将のイメージと繋ぎ合わすことができるのも、日本で三国志が長らく人気となった一因ですよね。
時代の寵児となった新星曹操と信長、寵児に敗れ去った名族実力者袁紹と義元、ここまで似通うのは面白い点😆
ただ難しいのが呂布で。あそこまでの武勇全一かつ次々と寝返った男って戦国にいたかな…?と。
武勇は本多忠勝or前田慶次?寝返り要素は松永久秀?複合タイプな気がします笑
>Zeroさん
どちらも、正史として見ると批判的な意見も多いですが、寝返る事も出来たのに最後まで戦ったのは物語的には良いですね。
>螳螂之斧さん
劉備も秀吉も、時勢を読むのは上手かったですし、庶民からてっぺんまで昇りましたからね。
どちらも最後は反対を押しきった戦をして酷いことになりましたが。
>柱の人さん
呂布は、やはり色んな意味でオンリーワンですね。
色恋沙汰が京劇になったり。
そういう意味では、裏切りも辞さない勢力で、本人の武勇もピカイチ、実は愛妻家の伊達政宗か、
「主君は7度変えてみないとわからない」と言ってた藤堂高虎あたりではと思います。