昔、アーケードゲーム専門のゲームショー、AOUショーで、これまたマニアックだが、アーケードゲーム専門業界紙『コインジャーナル』にて、
『夢のゲームセンター』コンテストなるものがあった。
論文形式で、『夢のゲームセンター』を語るとか言う、ありがちなものだが、その頃高校生だった自分は、
『優秀賞には賞金10万円』に目が眩み、苦手な物理の時間を捨ててまで書き上げたそれを送った。
その結果は、『佳作・賞金一万円』であった。
高校生にしては、時給一万円になったのは大きかったが、ではその内容はと言えば……。
タイトル『コミュニケーションのあるゲームセンター』
その頃、格闘ゲーム全盛期だった最中、学校帰りに通っていたのは草津駅前の「セオラ」と言うゲームセンター。
単にゲームが面白い、と言う理由もあったが、やはりゲームセンターと言うものは人と人とが直接ふれ合う場としての醍醐味があった。
昔は通信対戦ではなく、真裏の筐体に対戦相手がいて、お互い何気に意識したりしあっていた。
今の通信対戦でも、プレイヤーネームで覚えていたり、心密かにライバル視しているプレイヤーもいるのではないだろうか?
そう言う対人とのコミュニティの場は、時として対人トラブルも招くものの、ストレス社会において、本名も知らない同士が他愛もない会話をしたりする、直接的な場としては、例えば将棋クラブだの、麻雀愛好会だの、どの様な趣味においても大事なものではないだろうか。
そう言った場の提供先として、ゲームセンターがそれを担うのなら、それが夢のゲームセンターと言うものではなかろうか。
まだ若い自分が書いたのはこのような内容だったと思う。
入賞をセオラの店長に伝えたら、
FAL「おっちゃん、夢のゲームセンターコンテストに入賞したわ」
店長「そんなん、おまえ、『セオラが一番、ファルが二番』て書いとけば入賞は当たり前やぞ」
と、まあ、こんな調子である。
店の前のパン屋で買ったソーセージパンを食べながら飲むのは当時ハマっていた紅茶花伝のミルクティー。
これは当時、バーチャファイター2で自分が勝った後、対戦相手のバンドマンらしき兄ちゃんが、
「おい…」と話しかけてきて、ビビる自分に、
「あまえ、上手いやんけ」と誉めてくれて冷や汗ものだった時、彼が飲んでいたのが紅茶花伝だった。
その後、何気に意識して買ってみたらハマってしまったのが懐かしい思い出でもある。
自分も長い間、ゲーセンに行き来して、コミュニティのこじれから引退したり揉めたりするのもよく見てきたし、
セオラの店長も、自分の勤めてたゲーセンも、結局今は無くなってしまった。
また、ネット最盛期では、コミュニティもSNSで手軽に出来る時代、ゲームセンターも必要性が問われる時代だが、
今現在、コロナウィルスによる自粛で厳しいながらも、ゲームセンターで知り合ったコミュニティでのやり取りが、それぞれ前向きに進むきっかけになっている最中だからこそ、直接的な人と人とのやり取りが大事ではないかと思う。
ビデオゲーム専門の個人経営の小さな店を立ち上げようとしたり、カードゲーム、ボードゲーム等と合わせて形式を代えて運営を試みたりと、色々な動きが見られる中でやはり閉店の知らせも多いが、
同じものに熱中する者同士が集えるゲームセンターには、まだ消えてほしくない灯火である。
セオラ懐かしい( ノД`)…
KOFとマーベルVSCAPCOMではお世話になったw
>papachanさん
マーベルの時期なら、セオラの店長がガオラに移った後でしょうか?
あの頃はパロ草津店が急に頑張って、草津セガワールドが出来たり、南草津にジャングルが出来てセオラのお客も減りつつありましたね。
メンテナンスの良さが売りのお店でした。
ちゅうぼうのと時に行っててまだ店長はいましたよー
店長がいた頃なら自分もいましたので、会ってるかもしれませんね
ですねー