他軍 1コスト 弓兵 武力1知力7 防柵魅力
計略「指鹿為馬の計」(士気3)
大戦1~2をプレイしていた君主さんならご存知でしょう、そう、コモン劉表でございます。タイトルの「馬鹿先生」とは当時ついた仇名。私の現在の君主名の由来でもあります。
反計、離間の計、挑発、黄巾の群れ、悲哀の舞、賢母天啓と分かりやすいぶっ壊れ計略が跋扈していた三国志大戦初期の初期、陰に隠れて割と長い間お目こぼしされていた十二分のぶっ壊れカードでした。
直径が戦場の7割を覆おうとする前方回転円の範囲、1回で知力ー10&2度掛けで知力0が30c強続くという鬼性能、武力が低くても1コスとしては優秀な兵種と特技。こんなカードがコモンとか黎明期の試行錯誤感が窺えますね。悲哀の強化効果が一瞬で切れたり、天啓が正真正銘の幻になったりとか楽しかった。(ちなみに当時は号令の勢力制限が全体的に緩く、孫堅が後を任せる息子たちが黄巾の子だったりしてました)
流石に時が経つにつれて本人の計略性能も、(とばっちりで)コンボ用の妨害計略の知力依存も下げられていった事で末期はずいぶんと大人しい使用率となりましたが、それでも呂布の介護役及びメガ醤油の調味料として私は2末期までお世話になりっぱなしでした。
2の最終デッキ2パターン
・無双呂布、双弓麻痺矢甘寧、ゴリ、アリエナイ孫桓、馬鹿先生
・業炎周瑜、蛮勇孫策、ゴリ、アリエナイ孫桓、馬鹿先生
のデッキはミラーに1度も当たった事が無いのが秘かな愉悦。
3開幕当初はこの人が不在で割と絶望して始めましたね…
呂布ワラを1つとして、他に2コスト騎馬ワントップのワラとかを中心に使ってた気がします。隠密鄧艾とか疾風張郃とか旋略曹洪とか。それでも最後まで自分のデッキと胸張って言えるほどの物はなかった気がしますね~。本当に大きな存在だった。
新大戦になってから鍾繇とか漢劉表とか類似品はもういますが、違うんですよ。自分は「群雄の」「あのスペックの」馬鹿先生が欲しいんですよ。計略性能は全盛期のモノじゃなくていい(残当)ので…
さて、馬鹿先生は復活しないまま始まりました新大戦。
自引きした速度馬超速2兵1がま~強くて内乱の楽しさに嵌まり、馬超ワラ・関興ワラ・ダボォライダーいどふじん・曹純入りあんさつと、強計略とスペックを押し付けてひたすら内乱勝ちする大戦ライフを送っていたのですが、征圧リセット導入により内乱システムが大きく変わってしまった事で大分イキ詰まりを感じるようになってしまっていた暗黒期、其処に光をもたらしてくれたのが連撃王異でした。
先に王異を使い慣れていたチームメイトの戦を眺めている内に、「あれ、ひょっとしたら俺もやれる?」と何となく感じて始めたのがきっかけでした。負けるたびに次の対策を真面目に考えるというのが初めてに近い感覚だったので、本当にウマが合ったのでしょうね。王異使いは今でも全国で数えるくらいしかいないので、出会う切欠をくれた仲間と身近にそんな仲間がいた幸運に感謝せねば。
攻城力上昇のエラッタが入ってからは大分ヘイトも貰うようになってしまいましたが、あのエラッタを入れてくれた開発は王異の辛さを本当に心得てくれているなと思いましたね。今でも王異には弱点が多々ありますが、このエラッタが無ければ「弱点を突かれなくても勝てない」という事が多すぎたので…
一番思い入れのある武将というお題目ながら、2武将のピックアップで話をしてしまって申し訳ないところ。
しかしあれですね。思い入れのある武将について話すという事は自分の大戦人生を語る事に半ば等しいようなものではないでしょうか。ともすれば自分について知ってもらう機会でもあり、逆に皆さんの大戦人生を覗かせていただき、新たな輪を広げる機会にもなり得るわけですね。もっと広がれ、大戦の輪。
そういえば昔語りをしている内に自身の初自引きSRが王異だった事を思い出しました。当時は今の暴勇王異と同じスペックで、計略が「鼓舞の舞」だったんですよね~。1~3で同じ絵師さんながら毎回絵柄が変わりましたが、一番好きなのは1のものでした。「エロではなくエロスを感じる」といった友人の評が今も頭に残っています。
稼働直後だったこともあり、そのカードは覇王デッキを使う為に曹操とトレードしてしまったんですがね(なお、使いこなせずに爆死)。そんな「王異」というカードが巡り巡って今の自分の主要カードだとは、何か因果を感じますね。
最後に、大戦とは全く関係の無い余談を。
文中で王異の評をした友人がある日ふと語った、ある一言。
「中身のあるナース服に用は無い」
ぱっと聞いた一瞬で「?」となった方、大丈夫、貴方はいつでも娑婆に帰れます。
「あぁ~」とか「おぉ」とか感じてしまった方、残念ながら貴方は彼岸の住人です。
よお兄弟、今日も嫁は変わりないか?