3148

袁紹と光武帝リスペクト~踏襲した河北統一~

by
柱の男
柱の男

光武帝
と聞いてピンと来るにはおそらく3通りあって。
  1. 倭に金印をくれた人
  2. 中国史に残るチート中のチート英傑
  3. 袁紹がリスペクトした人

だと思うんですが、取り上げたいのは③でして。
前提になる②は↓にまとめてみました。



・実名を劉秀。字は文叔。後に光武帝。
・漢の高祖=劉邦の末裔。
・末裔とはいえ主流直系ではなく、支流の貧乏貴族の出。
・中国史史上、『一度滅びた王朝の復興を成し遂げた』唯一の人物。世界史で見ても稀有な例。
・諸葛亮も「光武帝は神の如き神算鬼謀と深謀遠慮を自ら有していたため、大変優秀だった部下たちの功も影に隠れてしまうほどである」と絶賛。

事跡
・漢室に反逆し、「新(国)」を開いて暴政を振るっていた王莽(オウモウ)と数十万の大軍をわずか数千の兵で倒す。
・王莽を倒した後、皇帝の命を受け、わずかな手勢ながら1年あまりで河北大半を制圧。

挙兵からわずか3年で皇帝に即位。その後足かけ10数年で中華全土統一を果たす。
・王莽によって一度滅ぼされた「漢」王朝の復興を成し遂げる。→「後漢」の誕生。

人物
・まずルックスがイケメン。
・性格も豪胆でありながら柔和、温厚なイケメン。
・しかもめっちゃフランクで面白い人柄。
(部下と宴会でバカ騒ぎ、エロ本見て喜んでたら叱られる、夜遊びで門限破っちゃったので野宿するetc)
・部下が失敗してもむやみに殺さず、危機に陥れば必ず駆けつけ助ける。
・皇帝になっても重要な戦いでは常に先陣を切り、自ら敵将を討ち取る。
・生涯ほぼ全勝。皇帝になってからは無敗の名将。
(※より詳しいお話は古代中国史に自信ニキの燈籠之斧先生に聞こう!😋)




え、なにこのドン引きレベルの完璧超人は……



見たら分かる「理想の英雄詰め合わせセット(¥19,800)」のやつやん!

Fateとかに出たら絶対グランド鯖になるレベル。




この、チートを体現したような後漢王朝の祖、″光武帝″という先人を、身のほど知らずにもアツくリスペクトしていたのが袁紹でした。


リスペクト①光武帝の末裔 劉虞の擁立を図る



袁紹は小帝劉弁が廃された後の次期帝位に、献帝劉協が就くことに強い反発心を抱いていました。

若い頃からお肉屋大将軍こと何進に重用してもらっていた袁紹は、何進派筆頭=小帝派筆頭であり、あくまで董卓に擁立された献帝を、正統な漢室の後継者とは認めたくない立場。

そこで反董卓連合軍瓦解後、次なる皇帝候補にふさわしい人物として目をつけたのが、当時幽州刺史だった光武帝の末裔である劉虞でした。



劉虞は光武帝の末裔として、その人徳と高貴さによる徳政で、中央に反逆しがちな異民族を懐柔、特に丘力居率いる烏桓族らとは強力な信頼関係を築き、その信望を集めるほどの人格者でした。

袁紹は、その血を引く劉虞に対し、
「かの光武帝の血を引く劉虞殿こそ我らが奉る皇帝にふさわしい!」
と、劉虞ちゃん単推し→激推し→神推しばりに熱烈なエールを送り、擁立を図ります。
アツい光武帝リスペクト!

袁紹と違ってですが、身の程をよく知っていた劉虞は、「そういうややこいの、やーやーなのー!」とまつり上げられるのを避けて誘いを断り続けました。




しかしこの後、異民族に対する方針(親和による懐柔か武力による強硬か)をめぐって対立した公孫瓚によって、劉虞は殺されてしまいます。(公「雨乞い成功したら許したるわ」→真夏のドッピーカンで降るわけないー→公「そんなんで皇帝になる資格ないわ。しょーもな^^」→ズバー
超綺麗系なのにやることはエグい公孫瓚くんこわい)




これに劉虞の子 劉和、遺臣、異民族たちは当然激怒・蜂起し、"公孫瓚討つべし"の気運とともに彼らを味方につけた袁紹は、公孫瓚討伐を果たし、河北統一を成し遂げるわけですが、
袁紹が一番やりたかったのが、光武帝の事跡をなぞらえた、この"河北統一"でした。



リスペクト②光武帝の『王道』を再現




そもそもなぜ汝南にずっと本拠地を持っていた袁氏が、河北に本拠地を移し、勢力を拡大しようとしたのか?

これ当然の疑問。
だって汝南って、地図で見ると分かりますが、漢の中心地=中原。
そっからいきなり北の河北まで手を伸ばし、冀州に新たな本拠地を置いた理由は?
もちろん何となくじゃあない!


それこそが、袁紹の光武帝リスペクトの現れ。
つまり、
『光武帝の歩んだ王道をなぞらえる』
です。


新国と王莽を打倒した後、河北統一を成した光武帝ですが、勢力拡大の本拠地をそのまま河北・冀州に置くことを決めます。
国の基礎となる農業生産能力の高い肥沃な土地に目を着けたわけです。

さらに、
"冀州強弩"と称される弩の精鋭部隊、
"幽州突騎"と称される騎兵の精鋭部隊を編成し、これを率いて全土統一を成し遂げました。



袁紹は冀州強弩を麹義で、
幽州突騎を弓馬に並々ならぬ長けていた烏桓族の兵らを編入させることで実現した感じがあります。
(ホント麹義すぐ殺してよかったんかなぁ…😅)



袁家を滅ぼし、河北を手中に収めた曹操が、その農業生産能力と兵の動員能力の具体的な数字を知って大喜びしてしまい、その不謹慎さを崔エンにたしなめられて反省したという逸話がありますが、
河北にはそれだけ豊富な糧秣と強兵を揃えられる生産力と土壌=天下統一への足掛かりがあったということ。

袁紹はこれをなぞらえて、もしくはあやかって、天下統一を果たそうとしました。
ゆえにまず劉虞の擁立を画策し、
それが成せないとなれば、
自らが『河北の覇者』になる必要があったわけです。
これぞ光武帝リスペクト。



見事に河北全土を制し、当時最大最強の軍閥を作り上げ、天下に最も近い勢力となった袁紹でしたが、
負けるはずがない官渡決戦で曹操に敗れ去ってしまい、光武帝をなぞりきることはできませんでした。

その最大の理由は皆さんご存知、


・人材を大事にしなかったから

これに尽きる。
最高の英傑である光武帝の、天下を制する「王道」の戦略はリスペクトしながら、
部下をとにかく大事にして人心を掴む「王道」はリスペクトしなかった。
人の上に立つ者こそ、ここが肝心なのに…。

名族の威光によって、待っていても有用な人材が続々集まってくる恵まれ過ぎた環境が、人材は使い捨ててもよいものという慢心を育んでしまったのか。

「才を愛する」「才を信じる」
結局袁紹という人の弱点はそれができなかったことでしょう。




立木文彦『だがそれでいいっ!
袁紹本初の魅力とは、そういう欠けているところであるっ!』






義勇ロード袁紹伝は、そんな「袁紹」のif、新たな可能性・魅力を描いてくれている意欲作です!

さぁみんなでプレイだ、袁紹伝!👊
更新日時:2020/04/07 07:00
(作成日時:2020/04/05 17:35)
カテゴリ
雑談・雑感
コメント( 10 )
10件のコメントを全て表示する
柱の男
柱の男
2020年4月8日 23時6分

>Chaosさん
メタもこなせるのが伝統的袁紹軍でございます!笑
麹義は武将としては優秀だけどコントロール効かないやつだったんでしょうねー。最初は麹義の独断専行を冗談で笑い飛ばしてた殿が、遂に粛清を決意するまでの流れも袁紹伝でしっかり描かれてます…。

柱の男
柱の男
2020年4月8日 23時7分

>劉禅様
いやこの写真他人様のやつなんですけど、神がかってますよね。僕も最初集中線やん!と思いました笑
完全になろうなんだよなぁ…w

柱の男
柱の男
2020年4月8日 23時9分

>オノノクス
燈籠之斧保険(掛け捨てじゃないんです!
知ってる。実は俗物だったみたいな。
だから殿が「劉虞じゃアカンわ、ワイが光武帝なぞったるわ」ってなったのかもね いやでもあんたも大概…笑

コメントするにはログインが必要です
シェア