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かけだし君主の思い出 2005年頃の熱狂と混沌 その1

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QUEEN
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なにしろ15年前の話なので、記憶が曖昧で正確な記述では無いかも知れません。

1⃣2005年の確か5月稼働。

私は6月にはプレイしていたと思います。当時、カードを盤面上で縦横無尽に動かしてぶつかり合うゲームなんてのは存在しないので、その斬新なゲーム性に我々ゲーマーは引き込まれ、今に至るまで多数の大戦中毒患者を生み出す罪なゲームでした。

2⃣全員が初心者🔰 

テクニックなんて関係無し。カードが無いのでデッキは2色当たり前。無茶苦茶なデッキで前だしして白兵でぶつかり合う男らしい戦いが繰り広げられていました。だけど頂上対決で栄斗さんとかがテイイクの反計をちらつかせながらの連続突撃や、足並み揃えて号令打ったりするのを見てて、一般プレイヤーにも技術の向上が段々と見られるようになりました。

3⃣サブカ持ちは普通のこと。

魏専用のIC、蜀専用のIC、お試しデッキ専用のIC、など複数のICを所有するのはよくある話でした。それが問題になったのは、上で勝てなくなった上級者がメインでは全くやらずに10級から初めて初心者刈りをやるのが常態化してから。これで新規の客を大分飛ばしたと思います。

4⃣初めて地引きしたSRカードは趙雲。

2・5コスト8/7活持ち騎馬で神速戦法でした。当時の撤退カウントはたしか35cで、活もちはその半分の18cで復活してたような気がします。大徳に入れて4枚で戦うのが最初の固定デッキでした。

5⃣大戦1は壊れ武将だらけ

ゴリラ張梁の回復バナナが士気3で100%回復。賢母天啓が12c。チョロ松挑発の範囲が中円で複数部隊を長時間引きずり回す。奮起劉備が士気6で武力3アップ80%回復の超壊れ仕様。ホウトウのススメロックは知力と移動力を下げる計略で、2度掛けされると20c動けない。暴虐董卓が当時は7/7の2コスト。テイイクの反計が今の大徳より少し狭い程度。ジュンイクの反計が戦場中央より自陣に下がった位置でも敵陣の右隅左隅が余裕で見れる極太極長仕様。他にも悲哀とか于吉落雷とか、壊れは挙げると切りが無いなあ。

6⃣カードはカードショップで買うか、ゲーセンで直に交渉して手に入れる。

カード価値のオッズ表みたいなのがあって、SSランク→SR王異、SR馬超、Eランク→張角、みたいになってて、価値の低いカードを価値の高いカードと交換するには2枚出して尚且つ1枚Rカード付けるといった交渉をしてました。コミュニケーション障害の人には厳しい環境だったかも。トレードノートなんかも活用してましたね。
作成日時:2020/01/25 12:04
コメント( 10 )
10件のコメントを全て表示する
QUEEN
QUEEN
2020年1月26日 9時4分

黒ヘイさん、当時は店内頂上が当たり前でしたが、止めたのはクレームでも入ったのでしょうかね?1から2の時はゲーセンにうじゃうじゃと人がいて、今の閑散とした雰囲気が当たり前の若い人達に当時の熱気を見せてやりたいものです。

QUEEN
QUEEN
2020年1月26日 9時10分

眠り姫さん、キョチョイクカクカでしたか。流行りましたね。反計で牽制しながらwワイパーの威力が高くて、後方士気で武力上げながら槍を振ってれば難なく勝てましたね。

QUEEN
QUEEN
2020年1月26日 9時21分

ジェイムズ9さん、当時は色んな所でカード売ってましたね。私が売った中で一番の高値だったのは、確か2の時のランペイジ劉備が5000円位で買い取って貰った気がします。今の横山三国志カードみたいに滅多に出ない稀少品だったわけですが、計略が指揮で実用的でないスペックのカードを、イラストの可愛さだけで高い価値が生まれる事に驚きましたね。カードショップは功罪ありますね。金さえあればデッキを揃えられる反面、ゲーム機から出たカードゲームで商売するのも違和感がありました。バージョンが1から2へ、2から3に変わる時、カードが無価値になるんですもの。

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