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史実解説ー魯粛についてー

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燈蝋之斧
燈蝋之斧
こんにちは! 燈蝋之斧です!

先日、何気なく張春華とGoogle検索してみたら、何故か結構上位で私の投稿がヒットしてビビりました。大徳布教より張春華さん布教のが成功してない?

まあ、アレですね、ラスボスの魔王を召喚した時の敵神官位には嬉しいですね。その後、大体用済みと言われて始末されるヤツ。

あ、今日は魯粛について史実解説してみます。呉の人物の中でかなり私が好きな人です。というか、蜀ファンは大体魯粛好きだと思う。横山漫画でのへなへなおじさん好き。同様の理由で、司馬懿・曹操も好き。横山漫画の喜怒哀楽の表情出まくるおじさんはめっちゃ☆大好物です。ぽよみがエグい(意味不明な供述)

魯粛に関しては、演義と正史でかなり性格が違います。陶謙や華歆辺りもかなり顕著に違いますね。
 

演義の魯粛は正統派なお人好しの文官みたいな感じなものの、正史の魯粛は覇気のある豪胆な謀士みたいな感じです。魏で言えば程昱みたいなタイプ。法正といい、私は程昱タイプの謀臣が好きなのかもしれない。

ちなみに、魯粛は爆弾発言もしまくるし態度が大きいために張昭からは嫌われてました。まあ、儒者だしね、張昭。赤壁でも対立したし。

まあ、詳しい事はこれから書きましょう。

では、始めます!


・魯粛(字名:子敬 生没年:172年〜217年)

出身は徐州。そしてかなりの大富豪でもあった。孫呉によくある事だけど、実は元袁術配下。まあ、すぐに孫策の所に行ったけども。元袁術配下扱いは黒歴史。

ちなみに、周瑜との交友は周瑜が魯粛に兵糧援助を求めた際に、2つある倉の内、1つを丸々与えた事から始まります。あまりの太っ腹具合に周瑜は魯粛を評価。孫策に目通りさせて孫呉に仕える事になりました。

なお、この後に魯粛は一度祖母の葬儀のため、孫策の元を離れています。そして同時に、魯粛の友人の劉曄から曹操に仕官を求められたらしいです。これを周瑜が説得し、人材流出を防ぎ孫権に仕えさせました。曹操の天下統一フラグが折れた瞬間。

それで、孫権と会談。魯粛は漢の復興は無理、曹操も簡単には倒せない、揚州を固めて皇帝名乗ろう!はっちゃけた発言をします。発想がぶっ飛んどる!

孫権はこの発言にビビりながらも、魯粛を高評価。張昭の讒言も気にせずに厚遇します。孫権はなんだかんだ直言タイプ好きですからね。二宮の変は忘れよう。

それで、この魯粛が輝いたのは皆さんご存知の赤壁前。張昭を筆頭とした降伏論唱える文官達に対し、1人開戦論を唱えました。

具体的には、劉表の慶弔という名目で荊州視察からの劉備に同盟提案。諸葛亮を呉に引き連れて孫権を説得しました。

孫権の説得は、孫権がトイレに立ったのを追いかけてしたそうです。赤壁開戦フラグは連れションだった……?

魯粛は孫権に曹操に降伏しても、孫権自身に利はない事を説明。孫権も降伏論に納得しておらず、開戦を決断しました。それで、魯粛の進言に従い劉備と同盟を結び、周瑜を召喚。赤壁開戦へと踏み切ります。


(余談)
何故、魯粛自身が開戦論者だったのかというのにはいくつか考察できる要素があります。外様、張昭との前からの対立だとかね。

私が以前面白いなと思った考察は、魯粛は故郷である徐州を荒らした曹操を憎んでおり、同じく徐州出身の諸葛亮と親交を結びアンチ曹操に徹したというもの。これなら、魯粛が徐州での行動から反曹操親劉備になる動機付けにはなります。

ただ、劉曄からの仕官要請に悩んでたりした訳だし、正直曹操自身に恨みがあったかというと微妙。性格的にも、あんま恨み持ってなさそうだし、魯粛。ただ、徐州出身者のネットワークがあったという観点は正しい気もしますね。


(余談終わり)

赤壁勝利後、一足先に帰国した魯粛は孫権に歓待されます。自分が馬丁となって魯粛の下馬を助けたら、この功に報いた事になるだろうか、と聞く孫権に対して、魯粛は不十分と答えました。驚く皆に魯粛は、孫権が帝王となり自分を迎え入れてくれて初めて報われる、と発言。孫権はこれを聞いて大笑いしました。発言がデカイ。

その後は、劉備の荊州貸与願いを認め、呉に抑留しようとする周瑜と呂範に反対し、劉備を荊州に帰しました。

劉備が入蜀し、荊州の領有を巡って紛争が起きた際には諸将と共に軍を率いて関羽と対峙。関羽相手に善戦しています。軍才もありました、魯粛。というか、孫権からは軍事が魯粛の要と言われてます。4/8/3伏援軍は演義ベース。

その際に行われた単刀赴会では、刀一振りのみで単独関羽と会談。昔、困っていた劉備に荊州を貸し与え、今益州を手にしたのに荊州はおろか、3群すらも返還しないのは何事かと叱責します。関羽はこれに何も言い返せず。近くにいた関羽配下が魯粛に無礼な口を聞いたので、そいつを追い出した。関羽らしくない態度です。

まあ、傲慢でプライドが高いと評される関羽ですが、史書では諸葛亮に髭殿と手紙に書かれて周りに見せびらかす程喜んだり、徐晃をお兄ちゃん呼びしたり、黄忠と同じ役職になったのにキレた事を費詩に諌められて謝ったり、割と柔軟というか茶目っ気があります正史関羽。左伝を暗唱出来るし、知力高めな所ありますしね。認めた相手には敬意を払うタイプです。孫権は認められてなかった……?

その後は、曹操の漢中攻めにビビった劉備が呉に和睦を申し入れて決着。長沙・桂陽の2群を呉に返還しました。これが215年の事。ここで一旦、荊州領有の争いは治りました。だから、呉も合肥を攻めた。結果は勿論、おわかりですね。

魯粛自身は217年に病死。孫権は大いに悲しみ、直々に葬儀に参加しました。なお、魯粛と親交のあった諸葛亮も喪に服したそうです。
 
魯粛の戦略は、対曹操親劉備で一貫してました。張昭は親曹操対劉備。呂範も似た感じです。呉だと非主流派でした。まあ、あんだけ色んな先でやらかしてる劉備を認め難いのはわかる。

ただ、これは劉備への好意というか、対曹操の有用な防壁として活用しようとしていた気がします。劉備と曹操は相容れない以上、放っておけば劉備は曹操と戦ってくれますから。実際、漢中奪ったし。将帥も夏侯淵・張郃・于禁・龐徳といった曹操軍でも有用な人材が、対蜀戦線で死んだり、捕虜になってる訳で。呉が合肥攻略して、アンチ曹操で一貫出来てたら結構面白かった気もします。

まあ、劉備に荊州貸したせいでかなり蜀呉関係が拗れたのは事実ですが、これについては劉備が悪い所もあるし、なんともね……。ここら辺は、蜀呉ファンで解釈割れるので深掘りはしません。まあ、お互い誤解出来るやり方した感じはします。関羽が孫権の子を犬扱いしなければ……。多分、子供の年齢的に孫登が犬扱いかと。孫登で犬なら、劉禅はモルモットか何かですかね?


とまあ、こんな感じで。

魯粛は孫権とは終始仲が良く、魯粛死後も孫権は何度か魯粛に関して言及しています。孫権は魯粛・周瑜・諸葛瑾あたりと仲良かったですね。外様優遇は張昭がうるさいからかもしれません。宴会で暴れたりする孫権も悪いが。

横山漫画の可愛いおじさん魯粛も良いけど、正史の豪胆な魯粛も私は好きです。曹操や司馬懿と言い、横山漫画はおじさん萌えを推奨している気がする。出来れば張春華のエピソードを入れて、侍女殺しにへなへなしている司馬懿を見たかった(歪んだ愛情)

では、失礼!
作成日時:2019/11/10 11:32
コメント( 9 )
9件のコメントを全て表示する
燈蝋之斧
燈蝋之斧
2019年11月11日 20時49分

>>金村保坂非道さん
演義だと外交官ですが、史実だと将軍として評価されてる感じですよね。魯粛を袁術軍カウントは可哀想な笑
突撃兵召喚はトラウマ抉られる人が多いのでNG
>>三代月統さん
どうも、お久しぶりです!
意外ですが徐州の下邳出身なんですよ。
正直、徐州大虐殺の汚点で陳宮逃がしたり、劉備に人望集めたりしてますからね曹操。地味にやらかしです、アレは。

ぐりぽん
ぐりぽん
2019年11月12日 18時57分

こないだ蒼天読み直したら魯粛が勝手に孔明連れてきたりと、記事の内容にぴったりの行動しておりましたね。
剛毅なあんちゃんやーと思いましたわ。徐州閥であれば、曹操が嫌いなのも納得しました。関羽と対峙してたのは知りませんでした。
赤壁は事実上、呉として魏の戦いで、劉備たちなんもしてないわけで、美味しい所持って行った感じですね。
貸してただけだという話もあれば、劉表に託されたのは劉備かもしれないし、んーって感じですが。
荊州抑えていた関羽が対魏へのプレッシャーだったわけだし、手放せないっすわなー。
呉を警戒してないわけでないけど、陸遜にうまくやられたのは、蜀好きとしては悔しいっすねー。

燈蝋之斧
燈蝋之斧
2019年11月12日 21時26分

>>ぐりぽんさん
蒼天航路のあの流れは、普通に正史ですね。
実際、曹操を仮想敵にしてたのは事実ですが、当人がどう考えてたかまではわかりませんね。
赤壁後は曹仁が南郡で頑張って呉と対峙してる間に、劉備が南方四郡サクッと奪った感じです。
荊州領有については、正直劉琮が魏に降伏した時点で領有権は魏にあって、蜀呉のどちらも正当性ないような気もします。まあ、劉琦がいるからまだ蜀……かな? 力関係的には呉のがあの時点で上だし、なんとも言えませんが。
個人的には、荊州は魔の地だと思います。関羽も陸遜も荊州で主君から離れたばかりに、災いがあったようにも見えますし。対魏には必要だけど……。
夷陵はまあ、陸遜が火計に気付いたのが全てでしたね。

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