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懐かしい武将カードを眺める①

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引退しました
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どうも、未だに私生活では何も解決してなく、鬱と闘いながら大戦をしている日比谷の猫です。

さて、三国志大戦の状況というと、ようやく八州に昇格したところです。
デッキは相変わらず、いろいろ使っています。
この記事を書いている頃は、いわゆる華佗皇甫嵩デッキと武人麒麟児デッキをメインに全国で、それなりです。

華佗皇甫嵩デッキに関しては、以前に皇甫嵩劉焉や朱儁皇甫嵩デッキをメインとして使っていたので、懐かしい気持ちで遊んでいます。
巷では環境トップとも言われる華佗皇甫嵩デッキですが、漢鳴大号令が上方されたことよりも、華佗と武安国という優秀なパーツのおかげ感がとてつもなく強いです。
この二つに下方修正が行われるまで、ちょっと使ってみようと思います。

さて話をタイトル戻したいと思います。
先日、部屋を掃除していたら、大戦2と大戦3のカードが発掘されたのでそのころのカードを眺めてみようという企画になります。
そこで前置きの話つながりで、このカードを眺めたいと思います。










大戦2のスーパードクターことSR華佗です。

大戦3の勇猛つき華佗は手元になかったので、もしイラストを見たいというかたはWEBで画像検索してみてください。
おそらく華佗という武将はこれが初参戦だったと思います。
※ご指摘がありました通り、大戦1にもいました。
すいません、本当記憶ってあいまい…

所属も懐かしい他軍です
勇猛も魅力もなく歩兵6/8と平凡な数値でしたが、このころの歩兵は攻城力も高く他軍に浄化持ち号令というのはそれまでの他軍にとっては神医だったと記憶しています。しかもお国の限定もなかったので、いろんなところに出張していたのも、この頃だけの華佗特権でした。。
しかも今でいう将器(当時は戦器)として「書物(計略時間)」が装備可能でした。
さらにこの時代は、伏兵ダメージも高く、妨害計略も今に比べると効果時間も長かったこともあり、他軍でこのスペックはまさにスーパードクター的な存在でした。
※大戦2の後期は、妨害が軒並み弱くなったこともあり需要は減りました。

ちなみに華佗の通称が「スーパードクター」といわれるようになったのは、イラストを手がけた真船一雄氏の代表作が「スーパードクターK」の主人公である「KAZUYA」に似ていたことが理由です。
また、大戦3の華佗も同じく主人公「KAZUYA」なのですが、イラストのタッチが少し変わっています。
これは真船一雄氏の絵のタッチが少し変わったことが影響されています。スーパードクターKの続編ともいうべき「K2」でも、絵のタッチの違いが感じとっていただけると思います。
初期のタッチは北斗の拳のケンシロウに似ているので、ぱっとみると初期の北斗の拳の作画原哲夫だと勘違いされるほどだったと覚えています。
真船氏は、原哲夫さんのアシスタントをしていたので、タッチが似ているのも頷けます。

さて、この企画は如何だったでしょうか?
私自身ではちょっと文脈が怪しかったり、話があちらこちらに飛んでいて、読み難い内容となってしまったと思っているのですが、楽しんで貰えたでしょうか。
昔の頃の記憶なので、不確かなところもあると思いますが今後もこの企画にお付き合いしていただけたら幸いです。
では。


 
更新日時:2018/10/25 21:27
(作成日時:2018/10/25 18:31)
カテゴリ
雑談・雑感
コメント( 4 )
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引退しました
引退しました
2018年10月25日 21時35分

>papachan_292227さん
ご指摘ありがとうございます。
いました…そういえは1のカードって殆ど2に引き継がれていたんですよね。
大戦1の頃はガッツリやってなかったので、記憶が曖昧でした。

楊狐
楊狐
2018年10月27日 11時43分

懐かしいですなぁ。
大戦2の戦器システムの使い方がいまいちわからなくて苦労した記憶があります🐘

引退しました
引退しました
2018年10月27日 18時51分

>楊狐さん
コメントありがとうございます。
結局、戦器有無だと将器みたいに戦況に影響があり過ぎて賛否の嵐。
テンプレ化までされたのは、現在の将器と同じ流れだったですよね。
武将に対して装備出来る戦器のアタリハズレも…

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