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【神となった漢】 関羽―神格化への道

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紫苑
紫苑
三国志の武将の中で人気投票をするとしたら、本場中国では関羽が一番人気とされています。

この関羽。三国志の武将で唯一神となった漢(おとこ)であり、関羽の神格化は二つの側面で構成されています。


■ 武神としての関羽


北宋の時代は、北方民族の襲来に悩まされていました。

皇帝の徽宗(きそう)は、唐の時代から仏教の伽藍神として祀られていた関羽を「守護神」、「武神」として崇拝するようになりました。


■ 商売の神様としての関羽


明の時代に入ると、関羽の出身地が地盤の山西(さんせい)商人が台頭します。

この山西商人が三国志演義の作者、羅漢中のスポンサーで演義の制作上、大きな影響を与えたのは言うまでもないです。

山西商人の強みは、salary(給料)の語源とされるほど貴重な食物だった塩の販売。

山西商人は、塩を生成する上での守護神、また(一説にはそろばんを発明して)曹操から義を称えられた関羽を「商売の神様」として崇拝するようになるのです。 

清の時代に入ると、山西商人は金融業を携わるほどの最盛期を迎えるように、神格化された関羽も最盛期を迎えます。

なにしろ、清の時代にあった軍事報告書には、「赤い顔の長い髭の神が降りて来て清軍を護り勝利を収めた」と記述されている程です。




次に、関羽の諡号・神号を時代別にたどってみます。



先述した北宋時代の皇帝徽宗は、

1102年の忠恵(ちゅうけいこう)から1108年の武安(ぶあんおう)




明の時代の皇帝熹宗(きそう)は、天啓年間(1621~1627年)に

「三界伏魔大帝神威遠震天尊関聖帝君
(さんかいふくまたいていしんいえんじんてんそんかんせいていくん)




清の時代の皇帝徳宗(とくそう)は、光緒(こうしょ)5年(1879年)に

「忠義神武霊祐仁勇威顕護国保民精誠綏靖翊賛宣徳関聖大帝
(ちゅうぎしんぶれいゆうじんゆういけんごこくほうみんせいせいすいせいよくさんせんとくかんせいたいてい)



と時代を追うごとに、まさに執筆者泣かせの膨大な字数で追号され、位も字数と比例して昇格したのです。



ちなみに、大戦3で証500に到達した君主が授与された「聖天大帝」は、最後の関聖大帝から採ったといわれております。






このように、関羽は最終的に孔子と並ぶ二大神として崇拝され、中国国内に多くの関帝廟を祀るようになったのです。




以上となります。

明日は大戦動画中心の投稿をします。

 
更新日時:2023/01/21 21:20
(作成日時:2023/01/21 21:10)
カテゴリ
雑談・雑感
コメント( 2 )
みいけん
文豪
文豪
みいけん
1月21日 22時55分

私が住む佐賀県の隣県の長崎県には中華街があり、昔から唐人町があったため、関帝廟があります。
後日、投稿も考えていますが、毎年この時期にはランタンフェスティバルが開催され、関帝廟も中華風の飾りでお洒落になります。
コロナの都合で、三年ぶりの開催となります。
毎年、観光に行っていたので、今年も参加予定です。
身近に関羽の神様に手を合わせられる事に感謝しています御

紫苑
紫苑
1月21日 23時47分

>みいけんさん
長崎も横浜と同様、関帝廟が有りますね!
三年ぶりの参加が盛大に催され、関羽の信仰心が増す事を祈ります。

みいけん
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