①から先にお読みください
少し怖い話
非公開中の「板尾さんのコメントについて その2」の有象無象のコメントを読むと、私の記事を読まずコメント書いてる奴ばかりです。
聞いてもないのに、中途半端な自分の階級晒して、階級マウントを取りにきた有象無象もいました。
ここまでなら、記事も読まずにマウントを取りにきた磁央さんとその他の有象無象も似たようなものです。
しかし、磁央さんとその他の有象無象のコメントでは、決定的に違うところがあります。
それは、私の主張してないことを、私の主張として書いてあることです。
磁央さんのコメントを見ながらのほうが分かりやすいので、私の主張してないことを赤字で示します。
磁央さんのコメント
縁があって拝見させて頂きました。貴方が深く傷ついた事も伝わりました。
板尾さんの事もよく知りませんが、板尾さんはそこまで深く考えず本質的な事を話しています。
士気計算は大事ですが、士気計算を完璧にしているという貴方の階級が低いから説得力がないので、貴方のデータの増すための行動をするべきで、記事を書くべきでは無い、と私は読み取りました。
ここでの階級が低い、というのは自分よりではなく、ランカーのために書いているということなのでランカーよりということになります。
プロボクサーにアドバイスするセコンドはプロボクサーより強くありませんが、経験と実績があります。
プロボクサーのようにフィジカルで戦うものでは無い三国志大戦においては貴方の士気計算の重要性が証明される為には貴方がランカーに、もしくはそれに準ずる実力を発揮出来る階級に居なければならないというのは残念ながらあります。
今のあなたはプロボクサーでもセコンドでも無ければ、ただのボクシング好きのテレビ前の観客です。
士気計算は私も重要だと思っているので、応援しています。(が、)
ここまでの長文を読んでみてどう思いましたか?不快にはなりませんでしたか?
不必要な改行で読みにくくするまでは流石にしませんが、溜めて溜めて言うことが普通な事と、バカにされたのでバカにしかえす、と言う文面はやはり投稿しない方が良いのではないかと思います。
いきなりの長文失礼致しました。並びに不快にさせる文章であったと思います。申し訳ございませんでした。これからもご健闘をお祈りしております。
・貴方が深く傷ついた事も伝わりました。
・士気計算を完璧にしているという貴方
・貴方の士気計算の重要性
これらが私の主張してないことを、私の主張として書いてあるところです
私は士気計算を否定的に捉えているので、士気計算を重要だと主張したことはありません。
また、士気計算を完璧にできると主張したこともありません。
むしろ、次に使用する計略を複数予測したり、ワラデッキに士気3、士気4計略を交互に使用されると、分からなくなることがあると書いてます。
私が磁央さんのコメントを読んで最も気になったのは、「貴方が深く傷ついた事も伝わりました。」の一文です。
私はこの一文を読んで、「こいつ、何にも伝わってない」と思わず声に出してしまいました。
非公開中「板尾さんのコメントについて その2」を読んで、私が深く傷ついたと思った方はいるでしょうか?
私は紙面を大きく使い、板尾さんのコメントは的外れであることを説明したつもりです。
的外れなコメントで傷つく人などいないと思うのですが・・・
私は「カウント方式」の士気計算を公開した時点で、「カウント方式」が士気計算の主流になることは分かっていました。
したがって、板尾さんが強い言葉で私を批判すればするほど、恥ずかしい思いをするのは板尾さん、という構図になっていたため、私は絶対に傷つかない場面です。
にもかかわらず、磁央さんは私が深く傷ついたと書いてます。
私の主張してないことを私の主張として書いてるところが、ひとつなら、読み間違いや、思い違いと考えることもできます。
しかし、この程度の文章量で、私の主張してないことを私の主張として書いてあるところが、3つもあることは、通常ありえないことです。
磁央さんが行間読みに挑戦して、行間を読み間違えたのかな、とも思いましたが、行間を読んだなら、行間を読んだことを伝える文章があるはずです。
なので、磁央さんが私の記事を読み、私が深く傷ついたと思ったことは読み間違いや、思い違いではないです。
さて、そこで問題です。
磁央さんは、私が板尾さんのコメントを読んで、深く傷ついたと思いました。
では、磁央さんは板尾さんのコメントの、どこを読んで、私が傷ついたと思ったのでしょうか?
また、私が傷ついたと思った理由はなんでしょうか?
磁央さんと板尾さんのコメントを載せますので、考えてみてください。
磁央さんのコメント
縁があって拝見させて頂きました。貴方が深く傷ついた事も伝わりました。
板尾さんの事もよく知りませんが、板尾さんはそこまで深く考えず本質的な事を話しています。
士気計算は大事ですが、士気計算を完璧にしているという貴方の階級が低いから説得力がないので、貴方のデータの増すための行動をするべきで、記事を書くべきでは無い、と私は読み取りました。
ここでの階級が低い、というのは自分よりではなく、ランカーのために書いているということなのでランカーよりということになります。
プロボクサーにアドバイスするセコンドはプロボクサーより強くありませんが、経験と実績があります。
プロボクサーのようにフィジカルで戦うものでは無い三国志大戦においては貴方の士気計算の重要性が証明される為には貴方がランカーに、もしくはそれに準ずる実力を発揮出来る階級に居なければならないというのは残念ながらあります。
今のあなたはプロボクサーでもセコンドでも無ければ、ただのボクシング好きのテレビ前の観客です。
士気計算は私も重要だと思っているので、応援しています。(が、)
ここまでの長文を読んでみてどう思いましたか?不快にはなりませんでしたか?
不必要な改行で読みにくくするまでは流石にしませんが、溜めて溜めて言うことが普通な事と、バカにされたのでバカにしかえす、と言う文面はやはり投稿しない方が良いのではないかと思います。
いきなりの長文失礼致しました。並びに不快にさせる文章であったと思います。申し訳ございませんでした。これからもご健闘をお祈りしております。
板尾の嫁さんのコメント
相変わらずコミュニケーションが取れないのはこの際置いといて、
あの「士気について」シリーズが、備忘録でなく他者に向けたものであれば、
悪いことは言いませんので、これ以上は止めておきましょう。
Twitterにあの投稿を読まれた方の感想がいくつかありますが、
「長すぎて読めない」「内容が理解できない」という話しか聞きませんし、
私としても、アレを初心者の方々に読んでもらうのは心苦しいです。
ひとに伝えるものを書くならば、独り善がりのものを綴るのではなく、
もっと周りを見て伝えるべき相手の視点に立って考えなければなりません。
最後に。ここまで書いた内容を理解されずに投稿されたとしても、
私自身の参考にならないことを確信していますので読みません。
先に書いたように、貴方はコミュ力はおろか実力と実績も足りていませんので、
「三国志大戦」が好きなのであれば、まずプレイして上手くなる努力をしましょう。
板尾さんのコメントから、私が傷つきそうな部分を抜き出してみます。
・相変わらずコミュニケーションがとれない
・備忘録のような投稿は止めておきましょう
・アレを初心者の方々に読んでもらうのは心苦しい
・Twitterのあの投稿を読まれた方の感想
・独りよがりの記事を綴るものではない
・コミュ力はおろか実力と実績も足りてない
私が傷つきそうなことを大きく分けると、コミュニケーションのくだりと、私の「士気計算について」の記事の批判と、私の実力と実績が足りてないこと、の3つに分けることができます。
板尾さんのコメントは、私の記事の批判に紙面を最も割いています。
しかし、磁央さんのコメントは私の記事の批判やコミュニケーションのくだりについては触れておらず、階級の話に紙面を割いています。
板尾さんのコメントで、階級について話しているところは、
「実力と実績も足りていませんので、「三国志大戦」が好きなのであれば、まずプレイして上手くなる努力をしましょう。」の部分で、 実力と実績=階級を指してます。
では、「実力と実績が足りてない」と板尾さんは書いてますが、誰と比べて「実力と実績が足りてない」と言ってるのでしょうか?
ランカーの方と板尾さんの証の数の差は、私と板尾さんの証の数以上の差があります。
「(ランカーの方と比べて)実力と実績が足りてない」だと板尾さん自身の批判となってしまい、文脈がつながりません。
したがって、ここでの比較対象は、板尾さんと三宅前六品になります。
よって、「(板尾さんと比べて、三宅前六品は)実力と実績も足りていませんので、「三国志大戦」が好きなのであれば、まずプレイして上手くなる努力をしましょう。」となり、板尾さんが階級マウントを取りに来ていることが分かります。
このことは、非公開中の「板尾さんのコメントについて その2」の中でも説明しました。
この説明を読み、私が板尾さんに階級マウントを取られて傷ついた、と思ったからこそ、磁央さんは、あれだけの文章量で階級の話をしたのです。
磁央さんのコメントを見ると、
「プロボクサーにアドバイスするセコンドはプロボクサーより強くありませんが、経験と実績があります。」
「実力を発揮出来る階級に居なければならない」と書いてます。
実力と実績、板尾さんと同じ言葉を使っているところからも、私が階級マウントを取られて傷ついたと思ったことを読み取ることができます。
以上のことにより、私が傷ついたと思った板尾さんのコメントは、
「実力と実績も足りていませんので、「三国志大戦」が好きなのであれば、まずプレイして上手くなる努力をしましょう。」の部分で、
私が傷ついたと磁央さんが思った理由は、
「私が板尾さんに階級マウントを取られたから」です。
さて、それでは本題に入ります。
私の主張してないことを私の主張として書いているのは、以下の3つです。
・(階級マウントを取られ)貴方が深く傷ついた事
・士気計算を完璧にしているという貴方
・貴方の士気計算の重要性
磁央さんが階級マウントを取られたことで、私が傷ついたと思ったのは分かりましたが、実際に私は傷ついていません。
磁央さんの短いコメントの中に、私の主張してないことが3つもあるので、磁央さんの読み間違いや思い違いということも考えにくいです。
それでは、なぜ、磁央さんは、私の主張してないことを、私の主張として書いてあるのでしょうか?
また、どのような思考で、私の主張してないことを私の主張として書いたのでしょうか?
これらも、磁央さんのコメントから読み取ることができます。
もう一度、磁央さんと板尾さんのコメントを載せるので、読み取ってもらいたいのですが、おそらく、これだけのヒントを与えても誰も分からないと思います。
磁央さんのコメント
縁があって拝見させて頂きました。貴方が深く傷ついた事も伝わりました。
板尾さんの事もよく知りませんが、板尾さんはそこまで深く考えず本質的な事を話しています。
士気計算は大事ですが、士気計算を完璧にしているという貴方の階級が低いから説得力がないので、貴方のデータの増すための行動をするべきで、記事を書くべきでは無い、と私は読み取りました。
ここでの階級が低い、というのは自分よりではなく、ランカーのために書いているということなのでランカーよりということになります。
プロボクサーにアドバイスするセコンドはプロボクサーより強くありませんが、経験と実績があります。
プロボクサーのようにフィジカルで戦うものでは無い三国志大戦においては貴方の士気計算の重要性が証明される為には貴方がランカーに、もしくはそれに準ずる実力を発揮出来る階級に居なければならないというのは残念ながらあります。
今のあなたはプロボクサーでもセコンドでも無ければ、ただのボクシング好きのテレビ前の観客です。
士気計算は私も重要だと思っているので、応援しています。(が、)
ここまでの長文を読んでみてどう思いましたか?不快にはなりませんでしたか?
不必要な改行で読みにくくするまでは流石にしませんが、溜めて溜めて言うことが普通な事と、バカにされたのでバカにしかえす、と言う文面はやはり投稿しない方が良いのではないかと思います。
いきなりの長文失礼致しました。並びに不快にさせる文章であったと思います。申し訳ございませんでした。これからもご健闘をお祈りしております。
板尾の嫁さんのコメント
相変わらずコミュニケーションが取れないのはこの際置いといて、
あの「士気について」シリーズが、備忘録でなく他者に向けたものであれば、
悪いことは言いませんので、これ以上は止めておきましょう。
Twitterにあの投稿を読まれた方の感想がいくつかありますが、
「長すぎて読めない」「内容が理解できない」という話しか聞きませんし、
私としても、アレを初心者の方々に読んでもらうのは心苦しいです。
ひとに伝えるものを書くならば、独り善がりのものを綴るのではなく、
もっと周りを見て伝えるべき相手の視点に立って考えなければなりません。
最後に。ここまで書いた内容を理解されずに投稿されたとしても、
私自身の参考にならないことを確信していますので読みません。
先に書いたように、貴方はコミュ力はおろか実力と実績も足りていませんので、
「三国志大戦」が好きなのであれば、まずプレイして上手くなる努力をしましょう。
私の主張していないことを私の主張として磁央さんが書かれている理由は「主観の混同」が起きてるからです。
私の造語なので、正しく表現できてないかもしれません。もしかしたら、心理学にもっと適切な言葉があるかもしれません。
私や板尾さんの主張が自分の主張に置きかわっているのです。
磁央さんは関係なしで、「主観の混同」を分かりやすく説明するために、極端な例を上げます。
女性につきまといをする「病的なストーカー」をイメージしてください。
病的なストーカーの思考は、
「私は彼女のことが好きだ、だから、彼女も私のことが好きだ。」
「私は彼女につきまとうと嬉しい、だから、彼女も私につきまとわれると嬉しい。」
このような思考をします。
「私は彼女のことが好きだ」は自分の主観なので、間違ってないのですが、「だから、彼女も私のことが好きだ。」の部分は文章がつながっていません。
彼女が自分のことを好きになってほしい、との願望に過ぎないのに、主観が混同することで、彼女も同じように好きだと思ってると考えてしまいます。
では、磁央さんが、どのような思考で、私が主張してないことを私の主張としたのか、個別に説明します。
・(階級マウントを取られ)貴方が深く傷ついた事
マウントを取る方は、マウントを取られることを強く嫌う傾向があります。
したがって、マウントで私が傷ついたと磁央さんが思った理由は、
「私はマウントを取られると傷つく、だから、三宅前六品も傷ついた。」です。
・士気計算を完璧にしているという貴方
「板尾さんのコメントについて その2」で、「私の「士気計算について」は、プロ目指すなら士気計算ぐらいできるようになっとけ、との思いを込めランカーのために投稿した」と書きました。
ここを磁央さんは読み、ランカーのために記事を書くぐらいなら、私が士気計算を完璧にできると主張していると思ったのでしょう。
しかし、磁央さんのコメントは、私が士気計算できない前提で書いてます。
反論のくだりで説明した通り、磁央さんは士気計算ができません。
したがって、私が士気計算をできないと磁央さんが思った理由は、
「私は士気計算ができない、だから、三宅前六品も士気計算ができない。」です。
・貴方の士気計算の重要性
「士気計算は私も重要だと思っているので、応援しています。」
磁央さんのコメントにあった文章です。
したがって、私が士気計算を重要だと主張してる、と磁央さんが思った理由は、
「私は士気計算を重要だと思っている、だから、三宅前六品も士気計算は重要だと思っている。」
磁央さんのコメントから、「主観の混同」が起きていることが分かるところは、
「士気計算は大事ですが、士気計算を完璧にしているという貴方の階級が低いから説得力がないので、貴方のデータの増すための行動をするべきで、記事を書くべきでは無い、と私は読み取りました。
ここでの階級が低い、というのは自分よりではなく、ランカーのために書いているということなのでランカーよりということになります。」の部分です。
「士気計算は大事ですが、士気計算を完璧にしているという貴方の階級が低いから説得力がないので、貴方のデータの増すための行動をするべきで、記事を書くべきでは無い、と私は読み取りました。」
まず、文頭の「士気計算は大事ですが」は誰の主張でしょうか?
板尾さんも、磁央さんも士気計算は重要だと主張してるので、「士気計算は大事ですが」はどちらの主張とも取ることができます。
しかし、行間を読むのくだりで、磁央さんは板尾さんの記事を読んでないことを説明しました。
よって「士気計算は大事ですが」と主張してるのは磁央さんです。
文末は「私は読み取りました。」になっているので、磁央さんが読み取ったのは、板尾さんのコメントの主張です。
したがって、補足をいれると、
「(私は)士気計算は大事(だと思ってま)すが、(板尾さんは)士気計算を完璧にしているという貴方の階級が低いから説得力がないので、貴方のデータの増すための行動をするべきで、記事を書くべきでは無い(とおっしゃっている)と私は(板尾さんのコメントから)読み取りました。」になります。
「(板尾さんのコメントから)読み取りました。」と磁央さんは書いてます。
しかし、「士気計算を完璧にしているという貴方の階級が低いから説得力がない」「貴方のデータの増すための行動をするべき」
この2つの主張は、板尾さんのコメントや記事の中に書かれておらず、私も主張してないことです。
したがって、この2つは板尾さんの主張ではなく、磁央さんの主張です。
「主観の混同」が起こっているので、磁央さんの主張が板尾さんの主張に置き換わってます。
次に主観の混同が起こっていることが分かるところは、
「ここでの階級が低い、というのは自分よりではなく、ランカーのために書いているということなのでランカーよりということになります。」の部分です。
文頭は「ここでの階級が低い」となっています。
「ここでの」は、前文の「士気計算を完璧にしているという貴方の階級が低いから説得力がない」を指していて、これは磁央さんが読み取った、板尾さんの主張です。
磁央さんのコメントでは「ここでの階級が低い、というのは自分より(磁央さんより)ではなく」になってます。
板尾さんのコメントから読み取ったのだから、比較対象は磁央さんではなく、板尾さんです。
よって、「ここでの階級が低い、というのは「板尾さんより」ではなく」が正しい表現です。
主観の混同が起こっているので、板尾さんの主張が、自分の主張に置きかわってます。
ちなみにですが、「記事を書くべきではない、と私は(板尾さんのコメントから)読み取りました」になってますが、板尾さんのコメントを見ても、記事を書くべきではないとは、明確に書いてないです。
「記事を書くべきではない」は、私が読解を行い変換して見出した回答です。
なので、「記事を書くべきではない、と私は(三宅前六品の記事と三宅前六品に載せてた板尾さんのコメントから)読み取りました」のほうが正確な補足です。
以上のことにより、私が主張してないことを私の主張としている理由は、
磁央さんに「主観の混同」が起きてるからであり、
磁央さんが私の主張してないことを私の主張とした思考は、
「私はマウントを取られると傷つく、だから、三宅前六品も傷ついた。」
「私は士気計算ができない、だから、三宅前六品も士気計算ができない。」
「士気計算は私も重要だと思っている、だから、三宅前六品も士気計算は重要だと思っている。」です。
私が磁央さんの主観の混同に気づけたのは、私が大学生のときに主観の混同が起きる方がいたからです。
大学のゼミのとき、課題を読んで、作者の主張をまとめてこいという宿題がでました。
全員、同じ課題なので、似たような主張のまとめ方になるのですが、1人だけ、作者の主張と逆の主張をまとめてきた方がいました。
私が「あなたが、まとめてきた作者の主張は、どこから読み取ったのですか?」と質問したら、相手は「私はこのように考えるので、作者も同じように考えていると思いました。」と当たり前のように答えました。
文章を読むときに、主観が混同する方がいることを知って衝撃を受けましたね。
磁央さんのコメントを読み取るためには、まず、私の文章を正しく読み取り、磁央さんが、私の主張してないことを、私の主張として書いていることに気がつかなければなりません。
そして、文章を読み取り、主観の混同が起きていることに気がつかなければなりません。
主観の混同が起きる人がいるということを知らなければ、読み取ることは難しいでしょう。
「(三宅前六品が)深く傷ついたことも伝わりました。」と書いてあっても、磁央さんは、そのように感じたんだろう、としか思わないはずです。
私は文章を書いた本人なので、なぜ、磁央さんは、私が深く傷ついたと思ったのだろう、と考えたから「主観の混同」に気づけただけですね。
もし、私が第三者の立場から磁央さんのコメントを読んだとしたら、磁央さんが私の記事を読まずにコメントを書いていること、階級マウントを取りにきてることは読み取れても、「主観の混同」が起きてることには気がつかないと思います。
磁央さんは関係なしで、一般的な主観が混同する方の特徴は、
主観が強いため、わがままな性格と評されやすい
客観的根拠がなく、主観的な文章を書く
主語が曖昧な文章を書く
文章の読み取りが苦手
文章の読み取りが苦手なため、学校の成績は悪い
主観を優先させるため、マウントを取りたがる
マウントを取られるのを嫌う
仕事で指示されてないことを勝手にする
職場で浮いてることが多い
友達が少ない
謝罪ができない
これらは主観が強いために起こる特徴です。
こちらが気がつかないだけで、主観が混同する人は結構います。
まあ、私は面倒ごとは嫌なので、磁央さんとは関わり合いになりたくはないですね。
さて、ここで少し怖い話をひとつ。
「私ね、通ってるゲームセンターの店内君主ランキングで、磁央さんの名前を見たことがあるのですよ。」
さて、困りました。
と、まあ、長々と書いてきましたが、主観の混同は私が今回のコメントだけで読み取ったので、必ずしも合っているとは限りませんし、私が行間を読み間違えた可能性もあります。桃園のコメント欄は使いにくく、画面に3行までしか表示されませんし、訂正もできません。主語を忘れることもあるでしょう。また、人間誰しも思い込みというものがあります。私も他の方の投稿で動画のリンクを貼り忘れてると思い込み、実際には、URLを載せていたのに気がつかず、リンク貼るようにと的外れなコメントして恥ずかしい思いをしたことがあります。まあ、あなたに主観の混同が起きるかは分からなくても、主観が強いのは間違いないので、あなたが生きにくさを感じてるなら、主観が強いせいなので、自分を見つめ直すべきだし、あなたが生きにくさを感じてないなら、個性なので、特に気にしなくていいと思います。あと、私にゲーセンで会っても声をかけないようにしてください。いきなりの長文失礼致しました。並びに不快にさせる文章であったと思います。申し訳ございませんでした。これからもご健闘をお祈りしております。
これで終われば、収まりもいいのですが、もう少しだけお付き合いください。
まず、長文記事にもかかわらず、よくここまでたどり着きましたね。
あなたには、一定の国語力があることが証明されました。
今回の記事を書くのに、約6か月、100時間以上かかったと思います。
これだけの文章量だと一度に書けないので、7分割にして書きました。
桃園史上最長記事にすべく、ひとつの記事にまとめようとしたら、2つ分をまとめた時点で文字数制限に引っかかったので、泣く泣く、5分割の記事にまとめてます。
しかし、これだけの文章量を1つの記事にするのは、無理があるので、文字数制限がなくても5分割にしてたと思います。
さすがに長文すぎるので、「長すぎて読めない」と批判されても仕方ない文章量ですね。
本来なら、週一ぐらいのペースで投稿するべきなのでしょうが、それをすると、桃園の管理人に途中でアカウントを削除される恐れがあったので、一度にまとめて投稿しました。
さて、どのくらいの方がここまでたどり着くことができたでしょうか?
桃園の管理人はここまでたどり着けず、中身を読まずに、この記事を削除しそうです。
私に説明責任を求められ、この記事を復旧して、今、この文章を読んでいたら、私は笑いますけどね。
まあ、今後、磁央さん以上の逸材が現れない限り、私が行間読みの記事を書くことは、もうないと思います。
面倒くさいですし、私にメリットがないですからね。
主観が混同しているということは、本人には理解しにくいみたいです。
大学のゼミで、主観が混同する方に、私が「あなたの主張と作者の主張が同じとは限らないですよ。」と注意すると、周りの人は笑っていたのですが、本人は、なぜ笑われているのかが分からず、キョトンとした顔をしていたのが印象的でした。
その後、大学のゼミで、主観が混同してた方も、大学を卒業して無事就職しました。
卒業してから何年か経ってから、お会いしたとき、仕事を頑張っていると話してました。
ただ、主観の強さゆえ、人間関係で苦労しているようでした。
「主観の混同」が起きる原因は、文章を客観的に捉えられてないからです。
相手が書いた文章を客観的に読み、相手の主張を正しく読み取らなければなりません。
文章を読むとき、主観が入る余地はありません。
感想や反論などは、相手の主張を正しく読み取った後に行うものです。
相手の主張を正しく読み取る前に、主観を混ぜるから、「主観の混同」が起こるのです。
あなた達は、磁央さんを笑うことはできません。
私は「士気計算について その12」で、士気計算が重要ではないことを客観的根拠を積み重ねて説明しました。
これらは、士気計算ができる方ならば、誰でも知っていることでした。
しかし、あなた達は士気計算ができないため、士気があるか、ないか分からなかったときの印象が強く残っていたのでしょう。
その結果、客観的根拠ではなく、「士気計算は重要である」といった、自分の主観を優先した結果、客観的根拠を持たない、あなた達に何故か、私が叩かれることになりました。
板尾さんの「士気計算について」は50以上のいいね、が押されています。
主観を入れずに、板尾さんの「士気計算について」を読んでみて下さい。記事の大半が士気計算をしなくていい理由になってることに気がつくはずです。
また、私の階級が低いことを理由に、私が士気計算できない前提で批判している方も多くいました。
士気計算で求められるのは、計算能力であり、階級は関係がありません。
ソロバンで段位を持ってる方なら、初めて三国志大戦に触れたときでも、やり方を教えれば士気計算できるでしょう。
「私は士気計算ができない、だから、三宅前六品も士気計算ができない。」このような考え方をした方は多くいたのではないのでしょうか?
主観を混ぜずに、文章を読み取るということは、実は大変難しい技術なのです。
文章を読み取ることは、とても大切です。
少し前のことになりますが、文章が読み取れなくて、依田氏がやらかしてました。
前作未経験の始めたばかりの初心者の方が記事を載せていたのですが、
・初心者なのに晋軍を使おうとしている
・晋軍のデッキがキッチリ組めてる
・始めたばかりなのにカード揃い過ぎ
・初心者が使わない用語を使用してる
など、「あなた初心者ではないですよね?」といった要素が満載でした。
私は、初心者のふりをしてる方に、「そのデッキは弱い、初心者が使うデッキではない」と牽制の意味を込めて、やんわりと忠告しました。
すると、私の忠告を読み、初心者のふりをしていることを読み取れなかった依田氏は、
「初心者であっても、自由に好きなデッキを使用するべきだ」と初心者のふりをした方の擁護記事を書いてしまいました。
依田氏の擁護記事を受け、初心者のふりをした方が「初心者狩りをした記事」を載せるのは時間の問題だったので、注意したところ、「初心者狩り」を思い留まってくれたようでした。
このように、文章が読み取れなければ、加害者になることがあるということは、覚えていたほうがよいです。
以前、コメントで、「いいね、が多く押される方と押されない方がいる。あなたの記事には、いいね、がつかない」みたいなことを言われたことがありました。
なので、今回の記事は、板尾さんの記事とコメントと磁央さんのコメントに、いいねを押した方をいさしめる論調で文章を書いてみました。
「あなたの記事にはいいねがつかない」、これに対する私の回答は、まず、いいね、は文章の内容の良し悪しで押されているものではないということ。
私の「士気計算について」と板尾さんの「士気計算について」の、いいね、の数を比べれば、内容で評価されてないことは明白です。
そもそも、他者からの評価は、それほど重視しなければならないものでしょうか?
私が桃園に投稿する理由は、読みやすい文章を書く練習のためです。
文章にて、指示を出したとき、相手に伝わらなければ、文章で指示を出す意味がないですし、指示が誤って伝われば、時間、お金、労力の損失につながります。
私自身のために投稿しているのであって、いいね、が欲しくて投稿しているわけではありません。
他人の評価が気になるのは、自分の書いた文章や内容に自信がないからではないでしょうか?
実のところ、私は読みやすい文章を書くようにはしてますが、読みやすい記事を書く気があまりないのです。
争点を理解しやすいように、私と板尾さんの「士気計算について」のリンクを記事中に貼れば読みやすくなるのは分かっているのですが、私はリンクの貼り方を知りません。
調べたら分かるのでしょうが、私は読みやすい文章の練習がしたいのであって、リンクを貼る練習がしたいわけではないし、面倒だし、気になれば、そちらで勝手に調べるだろう、と私は放ってます。
まあ、仮に私がリンクを貼っていたとしても、磁央さんタイプは、結局のところリンク先の記事を読まないので、意味不明なコメントをするといった結果は変わらなかったと思います。
今回の記事も分かりやすく書いたつもりですが、磁央さんの国語力では、これだけの長文を読み取ることは難しいかもしれません。
また、読み取れたとしても、私の言ってることを受け止めるだけの器量はないでしょうね。
しかし、今回の記事は、磁央さんが理解していなければならないことを多く書いてます。
というわけで、板尾さん、磁央さんにTwitterで桃園に磁央さんの記事が書かれていることを教えてあげてくださいね。
それでは、桃園掲示板の管理人の方、後処理をよろしくお願いします。
おしまい