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史実解説ー公孫瓚についてー

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燈蝋之斧
燈蝋之斧
こんばんは! 燈蝋之斧です!

休日が暇過ぎて、料理漫画の再現メニューや絵描いたり、三国志大戦天やったりしてる私です。あ、料理漫画の再現メニューは前からちょいちょいしてますね。

初心者向けのくーねるまるた、やや上級者向けの美味しんぼてな感じ。

三国志大戦天については、実は今まで友人から借りてプレイしかしてなかったので、コレを機に購入。適当に数時間遊んだ所、張春華さんが来ました。2枚目のSR(1枚目は鄧艾)で来てくれる辺り、いつも通り腰が軽いようです。なお、張春華さん引いて以降SR全く引かなくなりました。あの隠密鄧艾ワラとかこの間まで、散々使ってたのですが……。


とまあ、張春華さん話題ノルマ達成した所で本題。今日は前にツイのアンケートで約束致しました公孫瓚の史実解説をしてみます。

ちなみにこの公孫瓚、私が昔好きな武将だった人です。何故過去形かと言うと、今は他に好きな武将が色々出て来たので相対的に心のウェイトが下がったから。まあ、好きな武将50選とかには入るかな、と。大分ハードル下がりましたね。

ではま、解説始めてみます!



・公孫瓚(生没年:???〜199年 字名:伯珪)
袁紹のライバルとして挙げられるが、個人的には劉虞のライバルの方が適切な気もする劉備の学友。史書においてイケメンとキチンと書かれてる珍しい方でもある。

私がパッと思いつく所だと、あとは荀彧や周瑜。長身ないし体格が立派(諸葛亮、程昱等)だとか、威厳のある風貌(袁紹、劉表等)とかは良くあるけど、眉目秀麗や容姿端麗系はそんなに多くないイメージ。

ちなみに公孫瓚は高位の役人の子ではありましたが、妾の子のため若い頃は厚遇されませんでした。でも、イケメンかつ聡明で頭の回転が速く、弁舌豊かというイケイケリア充でした。そのため、太守(侯氏の父)から見込まれ、娘(侯氏)の婿になりました。それでついでに、盧植塾の学費も出してもらいました。逆玉の輿とか凄いね。

盧植塾では、劉備に兄貴分として慕われてました。なお、劉備は音楽好きで服装はオシャレ、闘犬で遊びまくって豪傑と仲良いというイケイケ大学生スタイル。イケメン公孫瓚と合わせて、多分リア充学生グループの中心だったのでしょう。演義とのイメージ乖離が激しい。

なお、異名は白馬将軍。彼が率いた白馬義従の語源は烏桓の降伏兵の内、騎射の出来る精鋭を集め白馬に乗せた逸話から来ております。本人も白馬に乗ってました。白馬に乗ったイケメンとか、キャラ立ち過ぎですね。

公孫瓚自身もかなり勇猛で、領内の見回りをして鮮卑族の騎兵数百人を見つけた時は、配下数十騎で突撃。手勢の半分を失いつつも、鮮卑族を撃退した逸話があります。鮮卑族は公孫瓚を恐れて、国境をあまり越えなくなったと言います。

そんな彼のライバルが、劉虞でした。劉虞とは張純の反乱以降、何度も衝突しています。異民族討伐のタカ派公孫瓚は異民族融和の穏健派劉虞とは政治政策の面で対立してました。自分が立てた異民族討伐の手柄を劉虞に横取りされる、と公孫瓚は危惧していた様です。

公孫瓚は劉虞と対立しながらも、遼東を基点に異民族討伐や黄巾族残党の討伐(30万の黄巾族に対し公孫瓚は2万で戦い勝利)を行い捕虜を獲得する等、勢力を拡大していきました。それでまあ、自身の天敵袁紹と界橋の戦いで決戦する訳です。これが191年。公孫瓚は袁術と同盟結んでいるので、袁紹とは相容れない訳ですね。袁紹の部下が、袁術の所に出向していた弟の公孫越殺しちゃったのが原因ぽいです。

それで、界橋の戦いは白馬義従を駆る公孫瓚に対し、対異民族で騎馬対策完璧な袁紹配下の麴義による、盾と強弩を駆使した戦法で公孫瓚は負けます。個人的に麴義は袁紹二枚看板と同じかそれ以上な気してます。

あ、ここら辺は袁家ガチ勢の柱の男が詳しいはず。質問は彼に投げましょう(阿斗の丸投げ)

一応、その後も袁紹とは数年戦って勝ったり負けたりはしています。まあ、最終的には薊に逃げ帰っていますが。あ、同時期に劉備を徐州に送って袁術派の陶謙を援護させたり、ついでに趙雲を付けたりもしました。まあ、結果は劉備が徐州牧になって独立。なんかいつのまにか袁紹派になったのか、袁術と戦ってたり。趙雲も兄の喪に服すとかで、サラッと居なくなりました。多分、滅亡フラグ立ったのはここら辺。

ちなみに劉備が徐州牧になった際、袁紹は劉備を褒め、徐州を治めるのは自分の意向に沿うと表明しています。なんか密約とかありそうな気がします。多分、袁譚を茂才に推薦したのもこの頃。ホント、抜け目ないな劉備。

※袁紹派とか袁術派とか今回書いといてなんですが、あんまりコレを意識し過ぎるのは良くないと思います。一般的には袁紹派は曹操や劉表(あと韓馥も)で、袁術派は公孫瓚や陶謙、孫堅と言われてます。が、劉表は張繍援護して曹操と戦ってたりもするし、全部が全部この二極の対立軸で動いている訳ではないと私は思っていたり。まあ、友人の友人に仲間意識はないのかもしれませんが。袁紹や袁術には自派閥の仲間意識はあっても、その同盟者全てにその意識は共有されていないのかな、と。


あ、薊に戻ってからは劉虞との対立が深刻化。劉虞が先手を打ち、異民族と合わせて数万の兵で公孫瓚を攻撃します。ただ、劉虞の臣下に内通者がいて公孫瓚に作戦を送付。公孫瓚は精鋭100騎で奇襲を掛け、劉虞を破ります。最終的には劉虞を捕らえ、一族共々処刑しました。毎回寡兵で勝つ辺り、戦には相当強い公孫瓚。

ただ、劉虞は光武帝の血を引く皇族。それを処刑したとあれば、人心は離れるというもの。この辺りで公孫瓚は驕り始めて、他人に不寛容になってたみたいです。滅亡フラグが積み重なってきた。

ま、劉虞も実はそんな良い人でなかった説ありますので、公孫瓚が全面悪いかと言うと微妙かな、と。戦そのものを仕掛けたのは劉虞が先ですからね。まあ、公孫瓚も劉虞と異民族の和平の妨害工作とかしてたけど。

袁紹は劉虞の子の劉和を援護し、公孫瓚を攻撃。公孫瓚は堅城である易京に逃げて籠城します。この易京は、兵糧10年分の備蓄と何重の城壁を兼ね備えた城塞。公孫瓚曰く、ここで引きこもっている内に天下の情勢も変わるだろうとの事。コーエー信長の野望の真田家や姉小路家の戦略かな?

実際、易京は硬く、劉和や麴義を兵糧切れに追い込み撤退させるくらいは凄かった。ただ、ここら辺から公孫瓚は人間不信が積み重なってきたのか、孤立する味方に援軍を送らない(援軍を期待して皆戦わなくなるから)とか、自分の周りに女性ばかりおいて(男は暗殺の危険あるため)側近を遠ざけたりとかし始めました。最後の滅亡フラグね。

最終的には、袁家得意の土竜攻めにより地下から侵入を許して敗北。公孫瓚は一家心中しました。首は袁紹により、許都に送られたみたいです。


公孫瓚は自分が若い頃苦労したせいか、名士を嫌う悪癖がありました。しかも嫌うだけではなく、陥れるタイプ。彼は名声の高い人を陥れ、凡人を抜擢する(元々名のある人は抜擢しても感謝しないが、凡人は自分には感謝するから)という捻くれ者気質。あと彼が重用した商人らは、悪徳で百姓をよく虐めていたそうです。

つまるところ、公孫瓚は性格が歪んでました。他群雄も性格面はそんな褒められたのはいませんが、表面にまで出てしまってるのはレアかと。特に顕著になったのは、劉虞殺害した辺りから。名士らも、公孫瓚を支持せずに袁紹に付きました。だからか、彼には趙雲や劉備以外あまりパッとした部下はいません。というか、内政面での長期的視野があった感じしません。戦で勝つ以外あんま考えてなさそう。某イナゴプレイ動画は割と史実プレイという事実。

まあ、戦にはかなり強いので一流の前線指揮官ではあると思いますね。これにブレーンが付くと、陳宮付けた呂布みたいになれたかも。人間不信さえなければ……。名言されてないけど、劉備が地味に原因とかじゃないの? もしかして。


……と以上。今日は割りかし真面目な感じでした。

さて、三国志大戦ではやはり騎馬率高めな公孫瓚ですが、史実面考慮すると実はデュランダル公孫瓚が1番スペック計略共に再現度高い気します。引きこもり、弓、6/2/2勇、移動速度あがるとかね。シレッと再現度高いのは凄い。

あ、今後も暇になったら、ツイでアンケート取ってから史実解説とかやろうかと思います。皆どの武将好きなのか気になりますし。

では、失礼!
更新日時:2020/04/26 18:36
(作成日時:2020/04/26 17:32)
コメント( 7 )
7件のコメントを全て表示する
Chaos
Chaos
2020年4月28日 9時39分

易京の城塞…実際に見てみたかった…!
中原に出るのではなく易京に籠って天下の鄒勢を見る… 公孫瓚も色々疲れてきちゃってたのかな…
籠っている間に群雄の誰もが疲弊しているだろうとか、疲弊しているところを突いてしまおうとか思っていたんでしょうかねえ。
しかし10年は長い…

燈蝋之斧
燈蝋之斧
2020年4月29日 18時53分

>>野獣先輩24さん
狙って手に入るものではないというか、ただしイケメンに限るというか……。
>>眠り姫さん
これはリアル嫁ですね、間違いない(確信)
>>ワムウ
じめんタイプ無効の参謀が沢山いたのだろう。人材マスター曹操だし。
まあ、気持ちはわからんでもないけど、天下伺うならそれやっちゃお終いよね。人材集め過ぎても制御出来ないパターン(袁紹)もあるから、名士扱うの激ムズだけど。

燈蝋之斧
燈蝋之斧
2020年4月29日 19時12分

>>指鹿為馬はよさん
懐かしい混色バラデッキですねぇ……。文鴦ホント強かったです。軍師時代の張春華さんも懐かしい。当時は使ってないし、持ってもいなかったですが笑
>>Chaosさん
どんな程度の守りだったのかは、気になりますよね。
実際、あと1年持っていれば官渡決戦だったので、頑張っていれば曹操と共同して袁紹に当たるとか出来たかもしれません。まあ、それだけ守れる力あったなら、追い詰められてはなかったでしょうが。
戦略ゲームとかなら耐久戦術ありですが、リアルだとうーん……。

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