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『携帯ゲーム史三国志』の話

by
四天王FAL
特イベ
特イベ
四天王FAL
余り三国志大戦に関係ない話だが、自粛要請の最中なら誰かの暇潰しにはなると思い、書いてみます。
 
 
三国志大戦は、三竦みを三国志でモチーフにしてるのは言うまでもないが、
この、三竦みと言う状況はよく三国志に扮して用いられる。
例えば、コンビニ業界だと、セブンイレブン、ローソン、ファミリーマート。
携帯電話ならSoftbank、DOCOMO、auと言った感じだ。
 
家庭用ゲーム機でも、
スーパーファミコン、メガドライブ、PCエンジンの時代や、
その次には、
セガサターン、プレイステーション、ニンテンドー64。
その次はプレイステーション2、Xbox、ゲームキューブと、
兎角、ゲーム業界は三竦みでしのぎを削る事が多かった。
 
ここで三国志に当てはめてみると、
 
魏が業界最大手を現すなら、
蜀はそこにチャレンジしていく側、
呉はその両名の争いを見据えながら独自路線を開拓していく側と考えれる。
 
最大手のスーパーファミコンに果敢に攻勢を仕掛けていたのはメガドライブ。
一方のPCエンジンは、いち速くCDromドライブを搭載してパソコンの移植作
などを強化していった。
 
 
ここで自分が書くのは、そう言ったメジャーではないゲーム史の中でも、長い間ハンディカムゲームの主権を握る任天堂に立ち向かったマイナーハードの話である。
 
三国志時代の前の漢王朝時代。
漢の国は高祖劉邦によって成された。
これがゲームボーイである。
漢以前には、携帯ゲームの源流とも言える『ゲームウォッチ』が秦の始皇帝となるが、これも任天堂である。
 
漢の劉邦のライバル、楚の項羽はセガの『ゲームギア』と言うハード。
 
しかし、歴史と異なり、ゲームギアは、当初から大きい余り、子供には持ちにくく、電池の消費量もカラーゆえ激しいので、発売早々四面楚歌状態だった。
 
セガの名作が沢山あり、ゲーム機そのものはけして悪くないハードであったが、
衆寡敵せず、ゲームボーイの牙城を切り崩す事は出来なかった。
 
『カラーが楽しいゲームギア』と、カラー画面とバックアップライトを売りにしていたゲームギアだが、
ゲームボーイ側も開発時、カラーやバックアップライトを検討していた。
しかし、名将韓信が如く、名クリエイターの横井軍平氏は、
子供が電池を買い換える事や、ハードの値段設定をあげる事を避けるため、あえてゲームボーイはモノクロにしたのである。
 
これは項羽が戦上手で劉邦を圧倒しながらも、ここぞで兵糧不足になったエピソードに重なるものがある。
常に兵糧の調達輸送を万全に行っていた劉邦は、それを担っていた宰相・蕭何を戦功第一としたのである。
 
こうして、永らくゲームボーイの時代は続いた
(ゲームギアも、セガサターン全盛期の1996年まではソフトを出しています)
 
一事、低迷した時も、
 
ゲームボーイ
ゲームボーイブロス(本体のカラーバリエーション追加)
ゲームボーイポケット(より小さく、電池も少く)
ゲームボーイライト(バックライト追加)
 
と、細かくバージョンアップしてきた。
 
しかし、携帯ゲームに押し寄せる、新たな乱が始まった。
黄巾の乱(たまごっち発売)である。
 
 
つづく
 
 
作成日時:2020/04/26 10:04
カテゴリ
雑談・雑感
コメント( 2 )
板尾の嫁
板尾の嫁
2020年4月26日 14時54分

(^ω^) #一番思い入れのあるハード

四天王FAL
特イベ
特イベ
四天王FAL
2020年4月26日 16時26分

>板尾さん
( ´・ω・)y-~インコの顔で『は?』と言いたい

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