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曹操さんちの長男

by
伏龍殿の覇者
伏龍殿の覇者
『一番思い入れのある武将カード』

この一言は当君主を恐怖のどん底に陥れた
ないのだ…明確な一枚など…
全部好きなのだ…三国志大戦の武将達が…
しかし…乗らねばならない…この「大波(ビッグ・ウェィヴ)」に…



そんな状態で一昼夜を過ごし、導き出した武将…それは…

「曹昂-子脩-」でした

・みんな知ってる「とのうま」くん
曹昂は曹操の長男で、劉夫人の息子で、早逝した劉夫人に変わって丁夫人に育てられます。
張繍が曹操は降伏しますが、それは賈詡の計略による偽りの投降であり、苑城に滞在すると、美しい未亡人の雛氏を寵愛しますが、やがて張繍の反乱にあいます。
典韋の奮闘もむなしく、逃げる際に曹操の馬が傷付き、一巻の終わりとなる所を子の曹昂が馬を差し出し、曹操を助けたが曹昂は死んだ…

というのが、演義的な曹昂の逸話の「あらすじ」であり「すべて」です



・みんな知らないかもしれない「とのうま」くん
では正史の場合はどうでしょうか?

「爲流矢所中、長子昂、弟子安民、遇害。」
「豐愍王昂、字子脩、弱冠舉孝廉。隨太祖南征、爲張繡所害、無子。黃初二年追封、諡曰豐悼公。三年、以樊安公均子琬、奉昂後、封中都公。其年徙封長子公。五年追加昂號、曰豐悼王。太和三年改昂諡、曰愍王。嘉平六年、以琬襲昂爵、爲豐王。正元景元中、累增邑、幷前二千七百戶。琬薨、諡曰恭王。子廉嗣。」


すぐに見て分かる情報としてはこんな所(だという認識)です。
どんな切り取りかって?全箇所だよ!

ざっくりですが、上の部分は
「流れ矢に当たって長男の曹昂と曹操の甥の曹安民が害され(殺され)ました」

下の部分は
「豐愍王、若いうちに孝廉(科挙、テストみたいなもん)に推挙された、曹操と一緒に南征にいったら殺されました。子供はいません。死んだあと色々諡号(死んだ後に付けてあげる称号、曹操は死んだあと王から帝の称号を贈られた、みたいな)されました。領土はどこぞやの子に引き継がれました」

こんな感じでしょうか

これがあの、超世の英傑の長男の死が残したものです。
随分あっさりしていると思いませんか?
それと同時に20人以上もいる内の子供の中から一人くらい死んだって時代的にそんなもんかなぁという感想もあります。

しかし三国志大戦をやっている人で「殿、私の馬を!」このフレーズを知らない人はいないでしょう!喜ぶべきことです!
そしてこの歩兵曹昂は騎乗する前でしょうか?馬を差し出した後でしょうか?馬に乗っていないことで色々な想像ができます。

ところで「ちょっと待ってよ!正史の曹昂は殿馬してないんか!?」とお思いでしょうか?
ご安心ください!注釈でちゃんと馬を公(曹操)に進ぜたとあります!


・それがなんなのさ?

ここからが肝です。

正史の場合
「魏書曰。公所乘馬名絕影、爲流矢所中、傷頰及足、幷中公右臂。世語曰。昂不能騎、進馬于公、公故免、而昂遇害。」
魏書のいうことには、曹操の馬は絶影という馬であったが矢に当たって傷付いてしまった。世語のいうことには「曹昂が馬に乗れなくなったので」曹操に馬を進ぜたため、免れることができた。曹昂は死んでしまった。

演義の場合
「爭奈寨後賊軍已入、韋背上又中一鎗、乃大叫數聲、血流滿地而死
死了半晌、還無一人敢從前門而入者。却說曹操賴典韋當住寨門、乃得從寨後上馬逃奔、只有曹安民步隨。操右臂中了一箭、馬亦中了三箭。虧得那馬是大宛良馬、熬得痛、走得快。剛剛走到淯水河邊、賊兵追至、安民被砍爲肉泥。操急驟馬、衝波過河。纔上得岸、賊兵一箭射來、正中馬眼、那馬撲地倒了。操長子曹昂、卽以己所乘之馬奉操。操上馬急奔、曹昂却被亂箭射死。」

後ろから入り込んだ賊軍に槍を受け(典)韋は叫ぶと息絶えた。しかし、しばらくは彼が死んでも門を通る者はいなかった。曹操はその隙に馬に乗って逃げるが、付いてこれるのは曹安民ぐらいであった。曹操と名馬は矢に射られるが、河を急いで渡る。だが賊軍の追撃に合い曹安民は斬り刻まれ、馬も遂に賊の弓に倒れる。しかし長子曹昂が曹操に馬を差し出したので、曹操は逃げることができた。曹昂は追手の矢の雨の中で死んでしまった。
(翻訳サイト様より参考:http://www1.kcn.ne.jp/~ssumika/sangoku/mokuji.html

演義では知っての通り、馬を曹操に渡し、(矢を受けて)曹昂は死にました。
しかし世語(伝わっている話と見るのが妥当)の注釈として正史における曹昂は「馬にもう乗れない程のダメージを負ったので曹操に馬を、生を託しています」

さぁ!もう一度!もう一度カードに戻ってみましょう!

・カーテンコール!


ここで気になるのは「あれなら」という語句です!

状況を考えれば「輝く巨星」は曹操と曹操に値する星の比喩表現と取っていいでしょう!こんな時に単純に北極星みて「デッカっ」って言うとしたらもう異常者です。まぁ意味は通りますが

そうなると「あれ」というのは、既に離れた何か、と受け取るのが日本語的常道というものです。それを指して「あれなら、続く者も迷わない」と言ったと捉えて良いと考えます。

すると先ほど言った下馬状態のシーン、これが限定されます。
今、活路を開かんとする時(余程に自信がなく死を覚悟した場合を除けば)、曹操を見てこの台詞が出て来るでしょうか?
視線は敵兵の反対側、迫りくる敵から目を逸らし逆側の何かを見て、手に放つ仕草、とすればこれは「曹操に馬を渡した後」に違いありません!ええ!妄想ですが!

するとこれは途端に「誰も見たことのない曹昂」になるのです!
正史ではない、演義にもない、物語の続きになるのです…

三国志演義をメディア作品にした場合に「苑城の戦い」が大きく描かれるのは稀です。
なのでこの「曹昂-子脩-」は三国志大戦によって、やっと描かれた(物語としての)「曹昂」の雄姿と言えましょう。
外伝です。ifです。アナザーストーリーです。みんな好きですよね。
という所でセガ様への益々のご発展とご活躍を願って~!!終わります。














・追伸という名の雑記
1.雛氏は正史には出てこないし、典韋はまぁまぁほろ酔いくらいで戦ってたと思う。

2.演義でも典韋は毒とか飲んでなかった。蒼天航路だけだった。全部蒼天航路で覚えたのが悪いっぽい、蒼天航路は読め

3.性格属性「悪」な弟には「兄ちゃんが生きててもそこそこだったろうけど、曹沖が生きてたらヤバかったな…」と言われる、なんとなく分かる気もするけどお前な。その上そんなノリで他の弟処分しそうになってなかった?

4.曹昂、曹丕、曹植、曹沖、曹彰は髪の色が大なり小なり抜けている、お父さんは真っ黒なんですけど、認知してもらえますか?

5.曹操墓からは女性の骨が二つ見付った。それは、卞夫人と劉夫人の物だったらしい。
また近くに曹昂の墓らしきものが見付かったという噂もある。
ほんとうかどうかは知らないけれど曹昂もまた(大きく)愛されていたのかも…しれない…
(外部サイト(使用は中国語です):https://zj.zjol.com.cn/news/899783.html
作成日時:2020/04/16 23:10
コメント( 4 )
4件のコメントを全て表示する
おかか容疑者
おかか容疑者
2020年4月17日 6時55分

曹昂、正史と演義で馬を渡したタイミングが微妙に違うんですか。そこからの新曹昂の解釈、非常に面白いです!
この子の活躍がなければ曹操も逃げられなかったであろう事を考えるともっと扱い良くてもいいと思えますよね……。

柱の男
柱の男
2020年4月17日 7時42分

子が親の犠牲になるのが当たり前という観念だった三国志の時代。
とはいえ丁夫人は当然怒りましたし、側室女中たちも皆丁夫人の味方をしたのは、観念以上に感情が勝ったのだと思うと涙…
曹昂がもし生き延びていたら魏はどうなっていたか、ロマンがあります。

井之頭五郎オルタ
井之頭五郎オルタ
2020年4月17日 17時51分

よくわからいうちに死なれちゃって越えることもできないから言葉上は兄のことは下げて
どう考えても長生きできない状態だった曹沖はどう評価しても自身の地位に影響ないから余裕があったって話もありますね

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