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史実解説ー袁渙についてー

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燈蝋之斧
燈蝋之斧
こんばんは! 燈蝋之斧です!

昨日は、意味不明なフレンド登録依頼にお付き合い下さり、ありがとうございました。おかげ様で、今まで8人だった枠が半分越えて埋まりました。皆、張春華さんの事が好きなんですね!

さて、今日は新バージョンで追加されたある方の史実解説をしてみようと思います。ほら、どうせならタイムリーな方がいいじゃない?

てな訳で、今日は過去私がちょいちょい名前だけ出していた袁渙を解説してみようと思います。

この袁渙、三国志演義には出てこないため、マイナーな人物ですが正史だとかなり有能。なんと、劉備・曹操・袁術という三英傑に仕え、皆に評価された人です。

孫権「三英傑? は? 」

ほ、ほら……袁術は袁姫のお父さんだし、孫権の義父。だからまあ、ええやん?


私はこの袁渙、結構好きです。というか、袁術の部下で数少ないまとも枠。あ、袁姓だけど汝南袁氏(袁紹や袁術)は多分関係ないです。こんなまともな人が関係ある訳がない(暴言)

まあ、袁家も袁隗や袁遺に袁姫辺りはまともっぽいけど。袁術と袁尚がはっちゃけ過ぎて風評被害ある気します、汝南袁氏の方々。

では、始めます!


・袁渙(生没年:不明  字名:曜卿)

出身は豫州。お父さんは後漢の司徒なので、実はセレブ。劉備の豫州牧時に、茂才に推薦された。これが196年頃。ただ、劉備が呂布に追われた際、袁術のもとに避難しここで仕官。厚遇されました。でも、袁術も呂布に負けて袁渙は捕虜に。なので、呂布に仕えました。地味に劉備→袁術→呂布→曹操と結構色々仕えてる。まあ、袁渙が裏切った訳ではなく主人が逃げたか捕まったかだから、非難される謂れはない。逃走ガチ勢の劉備に足がついていけなかっただけだろう。糜竺や簡ヨウはよく毎回ついていってるよ。フットワーク軽過ぎる。

袁渙は清貧かつ正論を怖じずに述べる強メンタルの主。三国志大戦の裏テキストにもありますが、武器を持った呂布に劉備を誹謗する文書を書けと脅された際、「人を辱しめるに文書をもってしても、その人の徳が高ければ、対する人が辱しめられる(意訳:劉備の悪口を書いたところで、無意味。劉備人気あるし。むしろアンタが恥かくよ)」と平然と言い返した鋼メンタル。呂布は恥じ入った。ある意味、三国志最強の男が袁渙。

まあ、呂布も知力低いように見えて、意外と色々考えてるのか、そんなに短絡的な判断はしない感。張飛もだけど、不当に脳筋にされてる気がする。

ちなみにこの鋼メンタルっぷりは曹操に降伏した際も発揮されました。皆(陳羣含む)が曹操に平伏する中、袁渙だけは立ったまま対等の挨拶をしました。

それで、曹操が降伏者達に物資を好きに分け与えた際、皆が車一杯の物資を詰め込む中、袁渙はただ1人僅かな食料と数百巻の書籍を受け取りました。どうせいっぱい取っても、あとでまた取られると考えたっぽいです。買い溜めしないタイプね、袁渙は。

でまあ、こんな非凡な事されて人材マニアの曹操が気に入らないはずもなく、曹操にはかなり丁重にもてなされました。

曹操配下としては、内政面で人民から慕われ功績を挙げました。最終的には、御史大夫まで登ったそうです。

ちなみに、曹操に仕えていた時、劉備が死んだとの誤報が曹操の元に届いた事がありました。皆が慶賀する中、袁渙はこれをスルー。過去の恩人の死を喜ぶ真似はしませんでした。これを袁渙の断りと呼びます。別にティロがフィナーレだったり、皆死ぬしかないじゃないとか言う人は関係ないです。

そう言えば、この故事由来っぽい三国志大戦プレイヤーさんがいたような……。私は親交がないため、定かではありませんが中々凝っているなと感心しました。

なお、袁渙は220年の曹操死の前には亡くなっていたらしく、曹操は袁渙の死に涙を流したと言われてます。曹操様泣かすとか、ガチ有能な証ですね。


とまあ、彼の業績は以上! ね、有能でしょ?

そんな彼が何故、三国志演義にいないのかは割と不思議なところです。劉備の持ち上げエピソードあるし、出てもおかしくはない気もします。呂布下げ劉備上げ出来るから演義にはピッタリなのに。

ただ、私が思うに袁渙のエピソードは本筋と関係ない事、劉備の死への対応が黄権と被っている事、劉備配下時代が短過ぎて書きづらい事が羅漢中からスルーされた原因かな、とも思ってます。

それに、袁渙は劉備を慕ってはいた様ですが、コレは儒教的な礼儀の関係もあるのでは?と私は思ってます。同じく劉備に茂才推挙された袁譚は、袁紹と共に曹操から逃げてきた劉備を態々城外に出向いて挨拶したそうです。要はお世話になった人に対する義理的な面も否定出来ないかと。本当に劉備を慕っているなら、最終的に蜀行ってもおかしくありませんからね。

まあ、劉備ガチファンの糜竺とかがおかしい気もする。ドリカムのやさしいキスをしての歌詞並みに、全て投げ捨てて劉備に会いにいってるし。私財注ぎ込むとか、糜竺はドルオタの鑑。


脱線しましたが、袁渙については以上。本当は他にも色々武将紹介したかったけど、文量の問題と、新バージョンはリファイン武将多目で新規武将あんまいなかったのでパス。ええい! 末期蜀武将はまだか! 陳祇や向郎、郤正、傅僉、蒋斌の追加頼みますよ!


次はまあ、普通にプレイ内容書くかな。新バージョンになってから、真面目と不真面目な投稿の差が激しいし。普通にプレイ日記書かねば。どうせ、張春華に染まるけど。

では、失礼!
作成日時:2020/03/26 22:37
コメント( 7 )
7件のコメントを全て表示する
燈蝋之斧
燈蝋之斧
2020年3月27日 20時51分

>>指鹿為馬はよさん
素で忘れてました……。もう蜀に合わせる顔がない。
糜竺はあんだけ財力あって、曹操にも評価されてたのに毎回劉備の敗走に付き合ってたの不思議ですよね。どんだけたらしこんでいるんだ、劉備は。
後漢は党錮の禁で完全に崩壊の道にいったかな、と。宦官も曹操の祖父とかはまともだったんですけどねー。何進については最後が残念なのと、優柔不断な事以外は実はあんま貶される要素はないですね。人材眼と部下の求心力はありましたし。肉屋のおじさんにしたら、割と上等です。
>>おかか容疑者さん
そんな、プーさんに袁家の全てを押し付けなくても……。
諫言しても結局投獄じゃないですかー。また墓が一つ増えてしまう😭
>>うんれいさん
いえいえ、お読み頂きありがとうございます!
>>金村保坂非道さん
呂布も張飛も性格に難があるだけで、機転は効く所ありますから脳筋ではないなーと。袁術は、知力というか器と客観視する力と民心掌握力が壊滅的なのが……。7/5/2城でイケメンなのは賛成しますが😅

おかか容疑者
yunatogirls
yunatogirls
2020年3月29日 0時8分

>曹操が降伏者達に物資を好きに分け与えた際、皆が車一杯の物資を詰め込む中、袁渙はただ1人僅かな食料と数百巻の書籍を受け取りました。
 どういう状況なんでしょうね。例えば戦に勝ってかわいい有能な武将達によく戦ったと言って物資を分け与えたのなら分かるのですが。
 降伏者に、ですか。これから仲良くやろうという事なのでしょうか。まあ曹操は家臣を厚遇したという事なのでしょうか。

 袁渙は食料はいいとして、数百巻の書物をもらう。大量印刷などまだまだ先の時代ですから、これは遠慮なくもらった方なのではないでしょうか。まあ金銀財宝じゃなくて知力アップを目指しているあたり有能そうな気がしますね。

>三国志演義にいない
 私もほぼ初めて知りました。基本的に戦記であり、文人ってあまり重視されていないような…。
 曹操に仕えて天寿を全うできた田豊って感じですね。

>傅僉、蒋斌
 前のバージョンアップで魏呉蜀の義勇ロードが完結して、とりあえず蜀と魏はクリアしました。さみしい話ですがねえ。
 傅僉の孤軍奮闘はしんみり来ます。魏軍を食い止めて戦っている時に後ろの自城が降伏するというトンデモ展開。私もどうせ負けるなら降伏か逃げるか考える方ですが、必死に戦っている味方の足を思い切り引っ張るのはよろしくありませんなあ。あ、考えたら姜維も同じ目にあったのか。
 そん時降伏したのが、うろ覚えだけど確か蒋斌だった、かなあ?

>党錮の禁
 なんでしたっけ。何進と十常侍が共倒れになった乱ですか?

燈蝋之斧
燈蝋之斧
2020年3月29日 10時11分

>>yunatogirlsさん
状況的には、下邳の籠城後だと思うので、食料のない冬場。降伏者に分け与えないと餓死する状況とかだったのかな、と。
三国志演義には活躍しづらいタイプですね、確かに。マイルドな田豊みたいな?
傅僉は父子ともども蜀に忠誠誓って死んだのが泣けますね。蒋斌は確か降伏したのかなり後だった気が……。鍾会から来た手紙に礼節に叶った見事な返礼をした事で有名な人です。
党錮の禁は、清流派の志士を宦官が公職から追放した事件ですね。特に第二次党錮の禁は人死にも出てる惨事です。

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