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史実解説〜陳宮について〜

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燈蝋之斧
燈蝋之斧
こんばんは! 燈蝋之斧です!

この前の投稿張春華さんのゴム版を作成した所、桃園公式さんより下記のようなご紹介を頂きました。

 

公式より愛が深いと言って頂けました!

ありがとうございます! 

愛が重いと言われなくて良かった……。やってる事深いより、重い気してましたし笑



いや、張春華さんの事を思えば、私は犬馬の労も厭いませんからね。波才マスターで喜んだり、隠密鄧艾に浮気したりする事もありません。ウソジャナイヨ、ホントダヨ。

とまあ、いつもの様に張春華さんの話をした所で、本題に行きましょうか。

よくよく考えたら、張春華さんの話を世間話にしてる私色々おかしいわね。


今日は久々の史実解説。対象人物は、陳宮。また意外な所に来ましたが、彼は演義と正史で結構印象違う人なので需要あるかと思い、投稿してみました。

主に違う点は、呂布に対する仕え方。演義ないし蒼天航路とかの陳宮は、呂布に対しては基本的に忠実な部下でした。

が、正史の彼は違います。詳しくは後述しますが、正史の陳宮は呂布に謀反を企てています。

だからまあ、華歆とまでは言わないものの、媒体によってかなり印象が違うのです、陳宮。

ま、詳しくは次から見てください。


・陳宮(字:公台  生没年:???〜199年)
出身は兗州。若くして色々と顔の効く地元名士でもありました。当初は曹操に使えるのは、演義と一緒。でも、呂伯奢の件は正史にはない。

陳宮は兗州で顔が効いたので、地元連中を説得し曹操を兗州牧に付けます。これが192年の事。

しかしながら、194年。曹操が実父の仇討ちに徐州の陶謙を攻めた際、陳宮は突如として反逆。曹操の親友の張邈に、呂布を引き入れて兗州で挙兵します。

この反逆の理由は不明ですが、一説によると、曹操が荀彧ら潁川グループ(荀攸、戯志才、郭嘉)を起用したのが面白くなかった(自分の居場所の不安?)からとも言われてます。

私以外の子と仲良くしないで!って奴ですね。気持ちはわかる。張春華さんみたいだし。

元々陳宮は兗州で有名なのもあり、兗州は3城残して全部陳宮側に。大将の夏侯惇も呂布軍の捕虜になるという、曹操にとって最悪の事態すら起こりました。

まあ、正史の惇兄はあんま強くないので、仕方ないと言えば仕方ない。

ただ、これは荀彧や程昱がめっちゃ籠城頑張ったので、なんとかなりました。最終的に、曹操が兗州に戻った事で呂布は敗北。徐州の劉備の元に落ち延びます。

その後、196年。呂布が劉備を裏切り、徐州を手に入れた際の事。呂布配下の郝萌が呂布に反乱を起こします。この反乱はすぐに高順により鎮圧されますが、その際郝萌から呂布側に寝返った曹性が反乱の首謀者は袁術と陳宮と告白します。

忠臣ではなかったね、陳宮。

陳宮はこの時、顔を赤らめたと言われており、諸将も陳宮の裏切りが事実だと悟ったそうです。でも、呂布はこれを不問に付しました。意外と思慮深い呂布。他に参謀いなかったからかな?

ただ、これ以降陳宮は呂布に信用されなくなったのか、198年に曹操が劉備と共同で攻め寄せた際、城外に出撃して戦う事を主張するも進言は入れられませんでした。演義でいう所の、掎角の計のエピソードですね。

あ、この時、厳氏が呂布を諌めたのは一応当時の資料にあるので、事実ぽいです。厳氏は陳宮が信用出来ず、高順と陳宮の仲が悪い事を挙げ、呂布の出陣を諌めました。

これにより、厳氏は悪女扱いされてますが、正史の陳宮のやってる事考えると、裏切ろうとした配下を信用出来ないと言ってるようなもので、正直まっとうな意見です。悪女よりかは、賢女な気すらします。

厳氏可哀想。あちらが立てば、こちらが立たず。

最終的に、陳宮は魏続らに捕まり、呂布と共に曹操の元に引き出されます。曹操に問答された陳宮は、呂布が自分の策を用いなかったから負けたと言います。

陳宮を惜しんだ曹操が、陳宮の老母について尋ねると、陳宮は母の生死は曹操の手の中で、自分にはないと言い放ちました。曹操は陳宮を涙ながらに刑場に送りますが、陳宮は振り返らずに毅然と処刑されたそうです。

陳宮死後、曹操は陳宮の家族を厚遇し、陳宮の娘が嫁入りするまで面倒をみたそうです。裏切り者相手にここまでする辺り、相当陳宮の事を買っていたのでしょう。曹操様、関羽の件といいこういう所で度量広い。流石、天下人。


ここまで見てわかるように、陳宮は忠臣というよりも気高い孤狼みたいなタイプでした。呂布の忠臣というか、アンチ曹操を貫いた人みたいなイメージのが近いかな?

呂布の忠臣というと、高順が間違いないですね。彼、呂布の娘婿の魏続に兵取られたり、呂布に疎まれても主君に忠を尽くして殉死しましたし。他の呂布配下は……裏切り者ばかりな気しますね。袁渙くらいか立派に降伏したの。

あ、私個人としては正史陳宮も好きです。なんか、自分の才オンリーで生き抜く孤高の反逆者感が良い。ま、蒼天航路の陳宮も好きだけど。


……てな訳で、解説終了! 長々と失礼しました!

次は新バージョン迎えてからかな? 新しく来るっぽい張春華さんを迎え入れてから、ご相談ですね。追加されるよね? 司馬懿の隣に居たのが、柏夫人や伏夫人だったら私張春華さんの代わりに断食しちゃうよ?(愛が重い)

では、また!
作成日時:2020/03/02 23:25
コメント( 4 )
4件のコメントを全て表示する
燈蝋之斧
燈蝋之斧
2020年3月3日 12時53分

>>不屈のパッチさん
戦の結果は、呂布が部下と信頼関係築けてなかった部分もあるので、厳氏の責任ではないかなと。言ってる事は正論ですし、出陣した所で陳宮以外にも、魏続とか裏切りそうな気もしますしね。厳氏は結構冷静だった気もします。

不屈のパッチ
劉禅の夏休み
劉禅の夏休み
2020年3月6日 19時47分

高順ていつ頃からか評価がうなぎ上りですよね。昔は違った気がします。
今となっては何でこいつが評価されてなかったんだろうと疑問にすら思えますがw
おそらく日本だとコーエーの三国志の影響が強いからだとは思いますが近年ではちゃんとハイスペック化してきてるらしいですね。
三国志大戦でも初登場時は微妙なカードだったのに3以降では群雄の顔とも言える一枚でしたね。
間違いなく呂布軍最高戦力だし呂布軍の強さの支柱だったと思います。こいつに加えて張遼と呂布本人までいるとなると…
恐ろしいっすね…。曹操と劉備が手を焼くわけです…。
強い上に謙虚で忠義に厚い名将。う~ん、呂布には勿体ないw(スゴイシツレイ)

燈蝋之斧
燈蝋之斧
2020年3月8日 18時5分

>>劉禅の夏休みさん
まあ、昔は曹仁が凡将扱いだったり、演義ベースな評価大きかったですからね。
高順については、多分三国関係ないからスルーされてただけな気もしますが。一応、夏侯惇と劉備破ってるし、紀霊並みにはピックアップされても良さそうですがね。
3の陥陣営は士気の割に強すぎてましたね……。
高順は呂布軍の看板でしたが、呂布からは不遇なのが可哀想でしたね。まあ、今は評価されてるので、良い時代になったものだ。……臧覇や袁渙も評価して欲しい。

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